CINEMA STUDIO28

2014-12-31

New year's eve

 
 
映画納め、日比谷シャンテで。今年最後の1本というより、誕生日に観たいな、と思ってた。「Boyhood」(6才のボクが、大人にになるまで。)は、12年かけて作られた映画で、6才だった男の子は映画の終わりには18才の青年になり、両親、姉といった周りの登場人物たちも同じだけ年を重ねていく。
 
 
自分がここまで生きてこられたことも、当たり前にも、奇跡のようにも思えた。我ながらナイスチョイス。そして大晦日、昼前から始まるこの上映が満席だったことに驚愕。みなさん用意周到に年越し・お正月の準備を終わらせたのか、それとも諦めたのか…。
 
 
そのまま歩いて、銀座で年越し蕎麦を。今年は映画好きに因んで、小津安二郎監督行きつけだったという「そば処 よし田」へ。
 
 
 
中途半端な時間だったけど、さすがに混んでる。10代の終わり頃、小津監督をきっかけに映画に狂い始め、フィルモグラフィ制覇を試みたり、いろんな本を読んでみたりしたけど、さすがにこれを読むのは早いだろう、と思っていた「小津安二郎 全日記」を、そろそろ読む時期が来たのかもしれない。もっと自分が枯れて、監督行きつけの店にも臆せず入れるようになった頃が読み頃だと思っていた。
 
 
時は流れるもの。そして、お気に入りだったというコロッケ蕎麦を頼んでみると、ジャガイモのコロッケではなく、つみれのような練り物のようなものが入った蕎麦が出てきた。美味。
 
 
どの街のみなさまも、よいお年を!

 

 

 

 

 

2014-12-30

Conte d'hiver

 
 
年末に向かうこの時期、同じ時期を描いたエリック・ロメール「冬物語」を観たくなるけど、タイミングよく映画館にかかる奇跡は起こらないし、ロメールのほとんどはレンタルもされていない。Blu-rayが発売されてるのは知ってるけど、所有嫌いとしては何か…別の方法…もしや?とリサーチしてみたら文京区図書館がDVDを所蔵していた。今年の灯台もと暗しランキングBest3に入る出来事。本当に何でもある図書館。引っ越せる気がしない…。
 
 
借りに行って驚き。ジップロックに入った状態で貸し出された…。確かに中身は見えるし安いし丈夫だし使わない手はないね。ロメール、四季の物語は全部あり、他に「海辺のポーリーヌ」「緑の光線」遺作の「アストレとセラドン」があることを記録しておく。
 
 
「冬物語」、12月14日から12月31日まで、パリとパリ近郊。つまらないミスで愛する人とはぐれてしまった主人公・フェリシーの物語。
 
 
映画を観る時、物語を立ち上がらせるためのロジックのようなものに興味があって、そのロジックのようなものに監督ならではの手つきが感じられる人が好きで、物語そのものにはあまり興味がないのだと思う。特定の俳優の熱狂的なファンというわけでもなく、俯瞰しながら画面を眺めているので、登場人物に強く感情移入ということは滅多にない。感情移入というわけではないけども、「冬物語」のフェリシーという主人公は、本当に自分そっくりだな、と観るたびに思う。これまで観てきた映画のほぼ全てにヒロインがいたとして、何千人ものヒロインからたったひとり、フェリシーにだけそう思ったのだから、N値としてはじゅうぶんのはず。
 
 
フェリシー、頭で考えることと身体で考えることの比率だったり、決断に至るまでの行動の積み上げ方、自分なりの結論に至った後の行動のすばやさ、振り返らなさ…他人にはきっと伝わりづらいだろうそういうことが、自分を見てるみたい。そんな主人公に、大晦日の日に極上の奇跡をもたらしてくれる「冬物語」1本だけで、ロメール、我が心の映画人殿堂入りは早々に決定というところ。
 
 
シェークスピア「冬物語」が下敷きにあり、キリスト教思想も、ロメールの物語に頻繁に登場する「パスカルの賭け」についても、この物語を理解するための、まだ詳しくない要素についてもっと知りたい。似てる!と強く感じるものの、説明しづらいフェリシーという女性について、もっと知るために。
 
 
この発言。まるで自分!
 
 
 
人生4度目ほどの今回の鑑賞においては、フェリシーが男性に対してかける物言いにぎょっとした。「あなたは相手じゃないの。きっと前世は兄弟だったのね。もしかして飼ってる犬か猫だったのかも」…。確かにフェリシーは私そっくりだけど、私はこんなことは言ってないはず。無意識のうちに言ってませんように…。

 

 

 

2014-12-29

Under the skin

 
 
アップリンクの見逃した映画特集、本当に私にとっての見逃した映画特集で、助かる。今年観た中で良かった映画の話をしてる時の、もうとっくに上映終わったしDVDになるかどうかもわからない。って切なさも回避可能。「グランド・ブタペスト・ホテル」って人気あるんだなぁ。「ムーンライズ・キングダム」のほうが断然好きだったのだけど。
 
 
 
 
見逃した「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(懐かし感漂う邦題)を鑑賞。ジョナサン・グレイザー監督はジャミロクワイ「Virtual Insanity」のPV(懐かし!)などで有名な人。主演はスカーレット・ヨハンソンで、この映画で遂にフルヌード!という点で少しだけ話題になった映画。イギリスの北のほう、荒涼とした寒そうな街で、スカーレット・ヨハンソンに声をかけられた男たちが次々に消えていくという謎の女の物語で、タイトルがずいぶん種明かししてるけど、あらすじを知っていてもいなくてもこの映画がもたらす感覚に大きな差異はないのでは。
 
 
クローネンバーグなどとは違う角度の、でも奇妙で癖になる不思議な映画。観ながら、この映画にスカーレット・ヨハンソンをキャスティングする発想の勝利だし、これまでも脱ぐことを全世界が期待していたであろうスカーレット・ヨハンソンが敢えてこの映画で。というところに、俳優としてプライドあるなぁ、と唸った。スカーレット・ヨハンソンの全裸は、撮りようによってもっと夢見心地な見せ方ができるはずで、むしろ失礼なほど全く綺麗に映っておらず、でもこの物語には誰もが誘惑されてしまう表皮、その説得力が何より必要で、だから脱いでると嬉しいけど脱がなくても色っぽければ大丈夫。という程度のラブシーンで脱ぐのとは大違いなのだよなぁ。スカーレット・ヨハンソン、賢い。
 
 
映画を観る時の癖として、なぜか音がほとんど耳に届かず残らない傾向にあり、一緒に観た人が後で映画に流れた音楽を聴きながら、これはあのシーンで流れていたね。という会話にまるでピンとこない。鑑賞時の集中力はほとんど目によって消費されているらしいのだけど、この間、ウディ・アレン「セプテンバー」を観た後、嵐の夜に小さな音で流れていた曲は「I'm confessin'(that I love you)」という曲だと教えていただいた時、曲名をあらかじめ知っていたら、あの場面でその名前の曲が流れてきただけで、画面を観る目もずいぶん変わっただろう。と思うと、耳に疎いせいで知らないうちにもったいないことをしているのではないか、と考えているところ。「アンダー・ザ・スキン」では繰り返し流れる音が耳につき、その音が「Death」というタイトルと知って、観終わった今、改めて戦慄しているところ。
 
 
 
Under the skin / Death
見逃した人が多かったのか、アップリンクは満席。

 

 

2014-12-28

新宿ミラノ座 LAST SHOW

 
 
2014年、東京でどれだけ映画館が閉館したのだろう…。最期を看取る気分で閉館プログラムに行ったのは、吉祥寺バウスシアター、新橋文化劇場、そして新宿ミラノ座。大晦日に閉館するミラノ座、LAST SHOWとして素晴らしいプログラムが組まれてる。これぞミラノ座の矜持!というラインナップ。ほとんどが35mmで上映されるのも、昭和の象徴のような映画館の最期に相応しい。
 
 
 
 
引っ越してから足が遠くなった新宿、東口の階段を上がり歌舞伎町に向かって歩くと、見慣れない高層ビルが建設中。来年4月にオープンするTOHOシネマズ新宿は都内最大級IMAXシアター。これまでIMAXで観たくても都心から離れなきゃいけなかった(…はず)だけど、新宿で観られるのは嬉しいな。高層なのは上階はホテルが入るかららしい。コマ劇の跡地。
 
 
エヴァや銀河鉄道999が混み混みで行列が西武新宿線の改札あたりまで届いたと聞いたので、早めを心がけて到着するとアニメほどではないにせよ、「アラビアのロレンス」も大行列。それでも開場してみると6割ほどの埋まり具合で、ミラノ座の収容人数に改めて感心。開演時には9割がた埋まっていた。
 
 
 
 
上映前のスクリーンでは開館から現在までの外観の変化と、主な上映作品のスライドが流れてる。視界に映るだけで、あぁ歌舞伎町にいるなぁ。って自分の現在地を確認する、シンボルみたいな建物だった。久しぶりに見ると、外観も中もこんなに昭和っぽかったっけ?さっき通ってきた建設中のTOHOシネマズとのコントラスト、見られるのは今のうち。
 
 
 
 
インターミッションを挟んで堂々4時間の上映は、大画面の映画館でしか味わえないものだった。今、東京で一番正しい500円の使い道。
 
 
 
 
どの街にも同じチェーン店ができて、どの街にいても東京みたい。と思うけど、人、人、人のこういう風景の一部になっている時が一番、これは東京でしか味わえないな、とも思う。人の多さこそ東京。そして私の行動範囲で今年一番、人の多さ、東京らしさを感じたのが、こういった映画館の閉館イベント。という事実が、皮肉なことのようにも思える。どんな大作の封切りでも、これほど混んではいなかった。大画面で堪能した「アラビアのロレンス」の感想は後日。大晦日までに、あと1回行きたいなぁ。

 

2014-12-27

Film calendar

 
 
大掃除中。今年いただいた手紙を整理していて、 LAから届いた手紙に同封されていて、開けた瞬間、狂喜したEgyptian&Aero theatresの2014年2月の月間上映スケジュール、改めてしげしげと読む。未踏だけど、いつか行きたい憧れの映画館の上映スケジュール、こういうの見るの大好き!その街に暮らす自分を妄想して、土曜の朝はこれ、日曜午後はこれ。って勝手にスケジューリングしてると時間があっという間に経ってる。映画に興味のない人にはまるで伝わらないだろう悦びだから、つくづく趣味とは極私的なもの…。
 
 
アメリカっぽいフォント、アメリカっぽいデザイン。ピンクやハートが使われてるのはヴァレンタイン月間だからかな。比較対象として、2007年6月ー7月のパリ、シネマテーク・フランセーズの月間カレンダーはこれ。フォントもデザインもお国柄が出るなぁ。
 
 
 
 
久しぶりに引っぱりだして見て初めて知った。この時期、Preston Sturgesの特集あったのか…。あまりに遅れてきた観客として私がスタージェス党宣言!するのはそれから数年後だから致し方なしとしても、タイムリープできるなら(最近そういう映画をよく観るので発想がSF寄り)、何をおいてもスタージェスを観なさい、この後好きになるけど東京で観られる機会少ないよ!と過去の自分に伝えたい…。
 
 
年々、嗜好がクリアになっていくのは好きなものが煮詰まってくると同時に、どうでもいいもの、自分に合わないものの切り捨てっぷりが鮮やかになっていくからなのかな。やっぱり物にはたいして興味がないな、と気づいて潔く処分し始めてるけど、映画の資料はある程度は残してるから、極めて大事なものなのだろう。キリのいいところまでさっさと片付けたら、恵比寿にある何でも額装してるところに持ち込んで、長らく大切に飾ろうかな、と思ってる。「額装出来ないものはありません」…心強い…。
 

 

2014-12-26

Year end Loubitsch

 
 
シネマヴェーラ恒例の「映画史上の名作」特集の上映ラインナップが発表されると、まず探すのはエルンスト・ルビッチの名前。ここ数年、12月最終週にルビッチがかかることが多かったから、映画納めはルビッチで。というのが、決め事になっていた。他にどんな大作がかかっていようと関係ない。ルビッチで今年の映画生活を締めくくる以上の贅沢ってこの世にある?
 
 
去年は「牡蠣の女王」一昨年は「男になったら」。しかし困ったことに今回の特集では、ルビッチは1月にしか上映されず。何を観て納めればいいのか。まだ決めていない。
 
 
 
なるべく映画館で出会いたいから、その機会を逃さないように気をつけているつもりだけど、何年かけてもまだ観ぬルビッチ映画に出会う。汲めども汲めども尽きぬルビッチの泉…。どれだけ撮ってるの。フィルモグラフィーだけでも把握しておきたいな、とルビッチ文献をリサーチしてみたけど、ルビッチについてこれ1冊読んでおけば大丈夫!みたいな映画本ってなかなかないのね…(私の調べ方が良くないだけかも?ご存知の方いらしたら教えていただきたい…)。とりあえず92年、ルビッチ生誕100年祭というパルコスペースパート3で開催されたらしい特集(といっても「天使」「極楽特急」「生活の設計」の3本のみ)のパンフレットを手に入れてみた。
 
 
表紙を開けた瞬間から「ルビッチ狂宣言」の文章が。92年のこの上映は、
 
 
『「古き良き名画の鑑賞会」として展開しようという気持ちはみじんもない。今、最も刺激的で、最も芳醇な魅惑に満ちたルビッチの、それが創られた当時以上に輝いているだろう作品群。この「100年目の媚薬」の密かな楽しみを、同時代の観客たちと享受したい。それは、途方もなく遅れてきたルビッチの発見者としての自然な義務でもあり、権利でもあり、そしてまた、ひとつの賭でもあるのだ。』
 
 
…おお…鼻息荒い…!と驚きつつページをめくると、淀川長治、秦早穂子、蓮實重彦…のルビッチ愛に溢れた文章が続く…。寝転んで読んでてすみません!居住まいを正して読ませていただきます!正装!正座!そして知りたかったフィルモグラフィも載っていて嬉しい。ドイツ時代の本数の多さよ!年代的にほぼ短篇だと思うのだけど、どのぐらい現存していて、いつか観る機会があるのかな。youtubeで検索する。みたいな、便利で不粋なことはなるべく避けたいのだけれど。
 
 
 
 
年の終わりにルビッチを観られない今年を嘆き、やむを得ずDVDで1本観ることにし、「生活の設計」を選ぶ。長らく家で映画を観ることをしなかったのが、最近ちょくちょくするようになったのは、ひとえに飲酒習慣がほぼなくなり、集中力がぐっと増したから。そして秋、スクリーンでトリュフォー「思春期」を観た時、映画館でかかることを待ち続けてそれまで観る機会を持たなかったことを後悔したから。
 
 
このような経緯でようやく出会った「生活の設計」は33年、ルビッチがハリウッドに渡ってからの映画。列車の中で出会った女1人、男2人の恋の鞘当て。どちらにも友情以上の好意はあるけど、セックスはしないという紳士協定を結ぶのだが…という物語。
 
 
パンフレットでの蓮實重彦の文章のタイトルは『扉の戦慄、または「ルビッチ的」な遊戯の規則』というもので、戦慄とは大袈裟な!と思いはするものの、確かにルビッチといえば扉の演出。ルビッチのハリウッド第1作の主演女優メアリー・ピックフォードはルビッチ演出がお気に召さなかったようで「なにしろあのドイツ人は、女優のことより、扉にばかり気を遣っているのよ」「朝から晩まで扉、扉、扉なんですから」と、うんざり語ったというエピソード、このパンフレットで知った。
 
そして「生活の設計」も、物語が素早く展開する後半にさしかかってからの扉の開閉回数は日本野鳥の会スタイルでカウントしたくなるほどで、終盤にかけて畳み掛けられる物語の肝のほとんどは扉の向こうにあり、何が起きているのか見せてはくれない。扉を開けた登場人物たちの動かす眉ひとつ、仕草ひとつから想像するしかない。
 
 
2人の男に挟まれつつどちらも選ばず、愛はないけど権力はある男と結婚した女は、置いてきたはずの2人の男から送られた鉢植えを、新婚初夜の夜中、こっそり起き出し、ベッドルームの扉を開けて、リビングの床の正しい位置に飾る。翌朝起きた夫はベッドルームの扉を荒々しく開け、忌々しげに鉢を蹴飛ばし、扉のむこうのふたりの初夜がまるで甘いものではなかったことが台詞もなく映し出される。
 
 
なんて粋な映画なのだろう。
 
 
尋ねてもいないのに知り合いが3食何を食べたのか日々知ることになり、遠くに旅立ったはずの人が今何しているかも手に取るようにわかってしまって寂しがる暇もない。この頃は、うっかりしているとそんなことばかり。肝心なことは何も見せてくれないから好き。言葉で説明しようとしないから好き。わからないから知りたくなる。そんな自由を私にくれる。「途方もなく遅れてきたルビッチの発見者としての自然な義務でもあり、権利でもあり、そしてまた、ひとつの賭け」として私がルビッチ狂宣言するならば、だいたいこんな理由から。とりあえず、今のところは。

 

2014-12-25

World's first christmas movie


寒さが厳しくなると、今年もクラシック映画の季節が来た!と胸が躍るのは、毎年楽しみにしてる本郷中央教会での上映会や、シネマヴェーラの「映画史上の名作」特集のせいかな。


今日知った映画。1898年に撮られた「サンタクロース」、世界最初のクリスマス映画だとか。


http://youtu.be/Dc3ei1tseeM




昨夜ちょうど、チキンもケーキもない食事(=焼肉)しながら、何歳までサンタクロースを信じてた?って質問はよく意味がわからない。信じたこと、1秒もない。と話したばかり。この映画に出てくる子供たちは、私とはちょっと違う方向に育つのかな。


東京のクリスマスディスプレイ、思わず写真を撮ったお気に入りは、松屋銀座。


 
 
 
 

それから表参道ピエール・エルメ。ここはたびたびペンギンをディスプレイに登場させてる。VMD担当の人、ペンギン好きなのでは…?その嗜好、断固支持いたします。

 
 
 
 
 
どの街のみなさまも、素敵なクリスマスをお過ごしください(1日ぶり2度めの季節のご挨拶)。

 

2014-12-24

A Merry Mancini Christmas



こんなに家にいる時間が短い人間に、こんなに広い部屋は要らない。ってよく思うけど、この冬は家に篭って進める取り組み事項があり、音楽を聴く道具が欲しいな。と考えていたところ、教えていただいたシンプルなレコードプレイヤー。無駄のないデザイン、スピーカー内蔵だから電源につなぐだけで聴けて、値段も手頃。



届くまでの間、さてレコードをどうしましょうか。と、リサーチしてみたら、文京区の図書館は日本随一のレコードコレクションを持っていることを知った。区内に散らばっていたレコードを小石川図書館に集め、レコード室まであるのだとか。きっと熱心なレコード好きの職員さんがいるのだろう。オンラインで検索して予約しておけば、我が最寄りの図書館にすぐ届く。借りる人が少ないのか、ほとんどのレコードは待たずに借りられて、期間延長すれば4週間も借りられる。聴きたい欲はあるけど所有欲が低く、コレクター気質など皆無な私に、これ以上恵まれた環境があるとは思えない。



秋、たくさんスクリーンで観たトリュフォー映画にレコードがよく登場することもレコード熱を高めたみたい。




アントワーヌ・ドワネルは音楽好きで、レコード会社でレコードを製造する仕事をしてたし(本当にレコードってあんなにアナログなやり方で昔は作られてたのだろうか…)、奥さんの妊娠がわかると、出産時の呼吸法を教えるレコードを聴いてた。「私のように美しい娘」は色っぽい場面で必ずF1のような、ハイスピードで走る車の音のレコードかけて音漏れ・声漏れを防止。この秋はパリのシネマテークでもトリュフォーのレトロスペクティブが開催され、映画に登場したレコードプレイヤーも展示されたらしいことを、写真で観て知った。


長らく部屋では無音状態で過ごしていたので、買ったもののレコードプレイヤーの存在を忘れてることのほうが多く、レコード生活に馴染むまでもう少し時間はかかりそう。クリスマス前に借りた、ヘンリー・マンシーニ(ムーン・リヴァーでお馴染みの)の楽団によるクリスマスアルバムは、お決まりのクリスマスソングばかり入ってて、ここのところ、何度も表裏ひっくり返して聴いている。


どの街のみなさまも、素敵なクリスマスをお過ごしください。

2014-12-23

Map to the stars



11月の終わり、東京フィルメックスのクロージングで。 一足先にデヴィッド・クローネンバーグ「マップ・トゥ・ザ・スターズ」を観た。幼少期にテレビで「ザ・フライ」を、思春期に映画館で「クラッシュ」を観てから、去年「コズモポリス」を観るまで、長い間クローネンバーグを通過してこなかったことを少し悔やんでいる。


常軌を逸した表情でHollywood walk of fameに膝をつくミア・ワシコフスカのスチルを観た瞬間、観ることを決めた。「イノセント・ガーデン」に「嗤う分身」、ダークで不条理な物語に今これほど似合う女優もいないし、クローネンバーグの画面にもきっとぴったり。という予想は的中し、火傷跡を隠すべくレザーの長手袋を常に外さず、途中から登場し物語を掻き乱す彼女をフィルメックスの熱心な観客と一緒に眺められる至福の時間だった。


意外なことにクローネンバーグが初めてアメリカで撮った映画とのこと。「コズモポリス」はNYが舞台だったけど別の場所で撮ったのね。ハリウッドに近づかず、興味もなさそうなクローネンバーグが、ハエ男の変化を眺めるような冷徹さで撮るハリウッド・ゴシック。映画の都で創られるものはどれだけリアリティがあろうと人工物なのだし、スクリーンに美しくおさまるサイズに身も心も矯正・修正し、最適化する頃にはずいぶん歪みの多い存在になってしまうけれども、それでもスクリーンにしがみつくのは映画愛なのか自己愛なのか、もう後戻りはできない人々ばかり出てきた。ジュリアン・ムーアが絶賛されカンヌで女優賞も獲ったとのこと。確かにあれを演じられる女優はとても少ないだろう。


ちょっとした会話の相手ですら選ぶ言葉や表情など生理的に是か否か、ということを無意識に判断しているはずで、2時間静かに暗闇で光を眺め続けるのが映画を観ることなのだから、どれだけ脚本が完璧でもキャストが魅力的でも、映画監督の吐き出すものが生理的に是か否か。というのは大きな問題なのではないか、とクローネンバーグ映画を観ると思う。背徳的な色気に満ちていてクローネンバーグ、大好き。と、「クラッシュ」を観た時から気づいていたのに、「コズモポリス」まで何故それを忘れていたのか、不思議。そういった自分に長い間、間違った形で蓋をしていた気もしている。


ミア・ワシコフスカがマントラのように唱えるポール・エリュアールの詩「liberty」、言葉の響きが美しく、いつまでも聴いていたい。と思ったら最後も詩の暗唱で終わり、エンドロールの間、音楽も耳に届かず詩だけが耳に残った。




この冬は「インターステラー」「マップ・トゥ・ザ・スターズ」と「星」にまつわる映画を観られて幸せ。この2つを両方気に入る人は少ないかもしれないけれど…。


確か「ザ・フライ」は土曜映画劇場のような地上波・ゴールデンタイムに、家族と一緒に観た記憶がある。しばらく蝿を見かけると怯えた。今振り返ると、お茶の間で小さい頃、家族と一緒にクローネンバーグを観たなんて、その光景、クローネンバーグ映画みたい。

12/20から公開中


2014-12-22

about "Studio28"

放置気味のBlogをリスタートさせたいけど、これまでのタイトルは何かもうフィットしない気がする。と、思ってたところ、

 

 
 
スクリーンでトリュフォーの「華氏451」を観て、こういう、その数字には意味がないけど、監督なりのこだわりがある記号的なのがいいな。と思った。王家衛における2046のような。
 
 
URLはずっと 好きな映画館、パリのstudio28に因みcinemastudio28 を使っており、別件の調べもので「映画で歩くパリ」を本棚から取り出しぱらぱら調べていたら、studio28はパリ最古の映画館だと何かで読んだ気がしたけれど間違いで、カルチェ・ラタンのstudio des ursulinesが先。1926年開業。2年遅れの1928年にstudio28開業と知った。そしてようやくstudio28の28って、開業の年だったのね…って調べればすぐわかることを知ったのだった…。
 
 
studio des ursulines も、現役
 
 
それでもstudio28が私にとって大切な場所であることに変わりなし。カフェスペース、屋根がテントみたいだったのが改装して立派になってる。子供向けにstudio28でパーティーしませんか?という上映つきプランまで載ってて、何それ羨ましい。今すぐパリのブルジョワジーの娘に生まれ変わってstudio28貸切りでパーティーしたい。

 
 
 
studio28について何も知らなかったな…と愕然としつつ更に調べてみたら、別のstudio28が真っ先にヒットして驚いた。アメリカ、ミシガン州ワイオミングに存在したstudio28は1965年開業、ピーク時は20スクリーンもあったシネコンで、90年に達成した1日の観客動員数16000人という記録は現在でも破られていないらしい。28th streetに因んでの命名。2008年閉館。
 
 
 

 

 

同じ名前でも各国の土地柄を反映した真逆の見た目と規模。第2のstudio28を知ったことで記号的な印象が増したことに気を良くし、studio28の名前でBlogをリスタート。パリでもミシガンでもない東京の架空の映画館studio28として、映画について書いていく予定。映画館はほぼ毎日オープンしているものだから、ほぼ毎日、映画について何かをメモしていければいいな、と考え中。ほんとに毎日…?

 

 

 

2014-08-17

ホン・サンスの恋愛論…?

 
東京に戻ったら、ホン・サンス監督の新作、2本同時に公開された。さっそく見に行ったら、過去作のフィルムでできたしおりをいただいた。うれしい。これはきっと「ハハハ」の一場面だと思う。
 
映画の感想は後ほど…。って最近まるで映画や本について書ける頭のテンションではない…。
 
 
去年「3人のアンヌ」が公開された時のインタビューが、ここ数年読んだあらゆるインタビューの中で最も響くものだった。何度も読み返したいので、記録しておく。
 
 
特に最後のページ。
 
全てのものに意味がない、理由がないというのは、私の考えからきていることだと思うのですが、意味や理由はなくても、必要性は理解します。人間が生きていく上で意味は必要です。それはたとえば意味であるとか、本質、あるいは確信、メッセージ、そういうものは生きていく必然として必要だと思うのです。でもそれと同時に、全てをそれで表現することはできないと思うんです。たとえば記者の人がある女性を好きだとしますね。横から友人が、なぜ彼女のことを好きなのと聞かれても、あなたは彼女がこれこれこうだから好きだという風に答えたとします。でもあなたが家に帰ってからよく考えてみると、自分の言った理由が嘘だと気づくと思うんですね。なぜか。それは単に好きだから。理由もなく好きなんだけど、そのことは家に帰って考えてみたら気づくことだと思う。でも必要性ということから考えれば、その友人から聞かれた時にこの女性はこれこれこういう理由で好きなんだ、私にはこういう好きな彼女がいるんだと紹介する必要性があるわけですよね。自分はこれこれこういう理由であなたが好きだという、そういうことを本当に信じていたとすれば、たぶんそれは後々になってそのことが理由となって2人の間がうまくいかなくなる可能性もあるということだと思うのです。」

この最後の「自分はこれこれこういう理由で…」のくだりは、ほぼ私の恋愛観(のようなものが、あるとすれば)と一致するなぁ。

あと、ラストの

「個人的に自分は幸せになりたいと思いますが、それでもなかなか幸せになることはできない、それは世の中の人があらかじめ準備している手段であるとか道具を用いても自分はなかなか幸せになれない。でもそれを映画の中でどのように(なれるかということです)。普通のエンターテイメントの映画であっても、その中に込められているものがありますよね。イデオロギーであったり、社会的なものだったり。あるいはもっと言えば、我々がこういう風に生きれば幸福になれますよというメッセージが込められていると思うんです。でもよく考えてみると、私たちはそういう映画の中のメッセージを使っても、なかなか幸福になれないじゃないですか(笑)。映画の中に込められているメッセージ、あるいは世の中にあらかじめ準備されている色んな生き方を通じても幸福になれない。私たちは幸福になりたいけれどもなれないという、そんなもどかしさを感じているわけですが、私は新しく別のシステムを作りたいわけでも、何か別のシステムを提示したいわけでもないんですね。ただそういうもどかしさに気づいてほしい。いや、気づくだけでも十分だと思うんです(笑)。」


というくだり。私がホン・サンスの映画を見ている時の安心感というか、作品が自分との間に保ってくれる距離のようなもの、言い換えれば品の良さ、みたいなものかもしれないけど、そういうものの源泉がこの言葉に今のところはあるなぁ。もちろん、作風はどんどん進化していくし、私も変化していくので、ずっと共感できるというわけではないだろうけど。


それにしても、巷に溢れる「何かもっともらしいことを言ってるようで何も言ってない」言葉群の真逆にある、「のらりくらりしてるようで、案外核心ついてる(ようにも読める)」素晴らしいインタビュー!映画の印象と言葉の印象にブレがなくて、ホン・サンスがますます気になった。

2014-07-18

l'Origine du Monde

 
今日、オルセーにあるクールベの「l'Origine du Monde(世界の起源)」が、今はオルセーにない。という日記を読んで、

 
 
 
 
オルセーの作品なんてしょっちゅう世界中に貸し出しされてるだろうから、私がオルセーであの絵を観られたのはラッキーだったのだな、と思った。絵に動揺したわけじゃないけど、撮った写真は全部ピンボケしてた…。
 
 
この間この絵を思い出したのは、ホン・サンスを劇場で観てから、私的ホン・サンス祭(=DVDで過去作を狂ったように見る)を開催した際に見た「アバンチュールはパリで」を見た時だった。
 
 
DVDのパッケージを見ていると、パリでロケした軽妙で爽やかなロマコメのように見えてしまうこの映画、中身はパッケージを大きく裏切り、相変わらずのホン・サンス節。映画監督が何かの事情で妻を置いてパリに逃げ、おそらく郊外にある知人の家に身を寄せ非生産的な時間を過ごす。もちろんパリでも女をたぶらかし、韓国とパリの距離を隔て展開する身勝手でだらしなく最低なホン・サンス映画独特の男の恋愛模様なのだけど、だらだら過ごす男もオルセーには行っておかねばと思ったのか、オルセーロケの場面があった。
 
 
わああ。ホン・サンス映画で、オルセーロケときたら、あの絵が登場するに違いない。と想像してたら案の定、「l'Origine du Monde(世界の起源)」が登場し、けっこうな時間、男がこの絵を覗き込んでいたので心で大笑いしてしまった。期待を裏切らないホン・サンス。


パリを再訪したとして、大きな美術館を再訪する気になるかはわからないけど、「l'Origine du Monde(世界の起源)」をまた観られるなら、行ってみたい気もしている。絵の前に立ったときの心のざわつきは、あの絵にしか引き起こせない種類のざわつきだった。

 

2014-07-16

Jacques Demy!!

 
 
夜に知ったニュース!8月の終わりから、フィルムセンターでジャック・ドゥミの展示が始まる!さっそくドゥミ好き友達に共有、ベルばら上映の日はお互い予定を今からブロック!トークの日も皆勤賞で通いたい。
 
 


この鼻息荒さは、この展示がパリのシネマテークからの巡回で、心底パリで見たかったけど仕事のアレで行けなかったから。そしてしぶとくパリ在住の友人の一時帰国時に図録輸入を熱烈要望。友人はピアニストで、パリから日本まで図録を運んでくれただけでなく、日本に戻ってからも東京にたどり着くまでの各地ツアー先にも荷物として運搬してくれていたらしく、ようやく東京の我が部屋に辿り着き、荷解きしつつひとこと「めっちゃ重かったわ!」と…。分厚い友情つきのずっしり重いこの図録、一生大事にすると決めてる数少ないもののひとつ。仏語なので死ぬまでには全部読みたいと思ってる。
 
 
 
 
豪華なことに、シェルブールの雨傘のフィルムもついてる。何のシーンかわからないけど、ドヌーヴのシーン。

2014-07-14

思い出のマーニー

 
 
先週末のこと。1年ぶりに、よみうりホールへ。去年「風立ちぬ」の試写会以来。
 
 
 
 
この夏のジブリ。2年連続でジブリを試写で見させていただいた。夏休みは親に連れられてアニメを見に行く習慣のある少年少女がどれぐらいの割合でいるのかわからないけど、私の幼少期はそんな習慣はなかったので(父が好きなハリウッドクラシックを家で一緒に見る子だった)、2年連続ジブリは新鮮。
 
 
千と千尋…も、もののけ姫も見てないぐらい疎遠なので、ジブリの印象といえばナウシカ、ラピュタまで遡ってしまうけども、記憶の中のジブリは、青い空、お菓子みたいな白い雲、高いところから俯瞰で見る大地、正義感の強い女の子、と、一緒に戦いながらちょっと恋の香りがする男の子…みたいなイメージだったので、去年の「風立ちぬ」は老人性もう好き勝手撮らせて系の異形の映画(そういった男性監督が年老いて徐々に我儘に暴走する映画が大好物な私としては、今後宮崎駿の映画は何を差し置いても見ねばなるまい。と思っていたら引退してしまった)だったので例外として、今年の「思い出のマーニー」は私の希薄なジブリイメージからずいぶん程遠いなぁ。これが現代というものか。と、物語よりそちらの違和感をスルメみたいにしがしがしながら見た。
 
 
小学生の頃、父に買ってもらったお菓子づくりの本を今でも持っており、たまに眺めると、ケーキの型の大きさ、砂糖の多さに時代を感じる。最近のお菓子本は身体に優しそうな素材で、少ない家族でも食べきれる量の小さな型でつくるものが多いことを考えると、現代の幼少期の過ごし方も、私の小さい頃とはきっとずいぶん違うのだろうなぁと想像したりしている。
 
 
「思い出のマーニー」の主人公の女の子は、学校で仲間に馴染めず、休み時間は校庭でスケッチし、同級生にからかわれると過呼吸になる。これまでのジブリのヒロインとはずいぶん違った彼女のストレスの原因が複雑な家庭環境にあることが徐々に示され、都会から静養に移動するのは夏でも曇った空の湿原地帯で、青い空も美味しそうな白い雲もなかった。そこで出会うマーニーという金髪碧眼の少女との物語は、なるほど異国の児童文学が原作、と納得する展開。始まって8割がた、暗い物語に面食らいながら見ていたら、残りの2割でしっかり感情移入。少女が自分自身に出会う過程を丁寧に追った大人の映画。大きな何かと戦わず、ひたすら己の内面と向き合う少女の物語に登場するのはもう1人の少女で、ちょっとだけいい感じの雰囲気になる、一緒に戦う少年はもはや登場の余地すらない。主題歌も英語だし、流行るのかしら…と心配になったけど、去年「風立ちぬ」も流行るのかしら…と思ったのがとんだ杞憂で大ヒットだったので、ジブリブランドは強いなぁ。これもきっと大勢の人が見に行って、あの少女の夏を静かに見つめることになるのだろう。
 
 
いつも美味しそうなものが登場するジブリ、今回は四角いピクニックバスケットから出てきたジュースとクッキー、かわいらしい2人の少女にぴったりで、とても美味しそう。
 
7月19日から公開
 
 
 
 

 

2014-07-08

新橋のグラインドハウス

 
 
昨夜知った衝撃のニュース。世にもかっこいい新橋のグラインドハウス、8月いっぱいで閉館。最近、吉祥寺バウスシアターが閉まった時はそれほど感傷的にならなかったのはほとんど思い出がなかったからだろうけど、新橋のこちらは去年、瞬間最大風速的に煮詰まった時、世界で一番スカッとする映画「デスプルーフ」をかけてくれる最高の映画体験をもたらしてくれただけに、記憶の中で聖地認定されている。消えてしまいたい気分の時、さりげなく一番好きな曲をかけてくれた男の人を好きになってしまう。みたいな夏の夜だった。
 
 
「待ち合わせのレストランは、もう潰れてなかった」って短い言葉で東京を表す見事な歌詞だと思ってるけど、普段は好きな東京のそういった一面が、同じ牙で自分の聖地を奪っていくなあ。閉館までに一度は行けるだろうか。併映が「ニューシネマパラダイス」なのは気分が乗らないけど、あの場所で「日曜日が待ち遠しい!」なんて観てしまったら映画愛に咽び泣いてしまいそう。
 

 

2014-05-24

Cannes 2014

 
 
ぱたぱたしてる間に海の向こうでカンヌ映画祭が始まりもう終わろうとしてる…。今年のポスターは81/2のマストロヤンニ!これ欲しい!カンヌのポスターといえば2012年、65周年を祝うモンローのポスターも良かった。欲しい!
 
 
 
矢田部吉彦さんのブログちらちらチェックしながらニュースを拾い読みしてるけど、
 
ゴダールの新作より、マリオン・コルティヤールの評判がまたもや良いダルデンヌ兄弟の新作も気になるけどそれより、グザヴィエ・ドランの新作…観たい!25歳で長編5作目「Mommy」、なんと1:1の画郭だそうで。インスタグラム動画みたいなサイズの正方形映画。もちろんドランの最新作ならどんな画郭でも観たいのだけど。
 
 
 
上映後は異様な熱気に包まれてスタンディングオベーションが長く続いたとのこと。この映画を撮った後しばらく映画制作を休んで、学校に行ったり旅に出たりすることに決めてると何かで読んだ。ってことも含め、何か大きな賞とらないかな…。


 

2014-05-05

KYOTOGRAPHIE : Signature of elegance - works by Lillian Bassman

 
 
京都で行ったところ。Kyotographieなる写真のイベントらしきものを去年やっていたのは小耳に挟んでいたけど、しっかり調べてみたのは今回、帰り道、京都で数時間とれそうだと判明してから。京都市内のあちこち15会場で開催される23日間の写真の展覧会。5月11日まで。
 
 
京都が普段よりさらに美しい桜の季節にあわせて開催されるこのイベント、展示される写真と会場の組み合わせも京都ならではで面白い。時間が限られてるのであらかじめ観たいものを絞り、会場が点在しているので効率的にまわるべく京都駅前で自転車を借りてみる。まずは、龍谷大学の大宮キャンパスへ。
 

リリアン・バスマンの展覧、京都に巡回する前、銀座シャネルのネクサスホールで開催されていたのは知っており、会期中何度かシャネルの前も通過したけども、なんせ疲弊しておりキラキラのシャネルに入店する気力がなかったよ……ヨレヨレ…。今回、またとない会場で捕まえることができ、縁があって良かった。
 
 
 
50〜60年代、主にハーパーズバザーで活躍した、ファッション写真で有名な女性写真家。とりわけその時代のファッションが好きな私には眼福なれど、ソフトフォーカスの写真群はモード誌に載せるには洋服のディティールが伝わりにくすぎる。実際、編集長カーメル・スノウとリリアン・バスマンの作風は折り合いが悪かったらしい。そしてこのロマンティックな写真世界は、独自の暗室技術に支えられていたとのこと。
 
 
雑誌を開きこのような写真を見て、あらいいスカートね、欲しいわ。といった即物的な欲望は確かに生まれないかもしれないけれど、洋服の放つムードはクリアに写った写真よりずっと伝わるのではないか。デザイナーの描くデザイン画みたい。デザイン画がパタンナーによって仕立てられ出来上がった洋服の精巧なディティールに寄るのではなく、デザイナーが洋服を通じて表現したい女性像やムードを捉える写真。
 
 
リリアン・バスマンの写真は、同じ肉体を持たない男性が異性の肉体への興味と礼賛として撮るフェティッシュな写真でもなく、同じ機能やフォルムの肉体を持つ女性が撮るそうそう女ってこうよね、と声高に生理の血の匂いを主張するような写真でもない独特な視点から撮られているように思えた。モデルの肉体を完璧なフォルムの土台として、その上にのる極上の素材と職人の手作業で叶えられた洋服のライン。ランジェリーが柔らかな脂肪を支え整えできあがる繊細なシルエット。デザイナーの世界観があってモデルが選ばれ写真家が正確にそれを伝える、ではなく、リリアン・バスマンの観たい世界を実現できるデザイナーとモデルが選ばれるという順番で撮られているように思えて、ずいぶんエゴイスティックなファッション写真だな、と面白く眺められたし、やがてファッション写真から離れていった経緯もなんとなく理解できた。
 
 
龍谷大学大宮学舎本館は重要文化財にも指定されている重厚な建物。もっとも京都はあちこちにこういう建物があるので、おおお!という感慨も他の都市にいるより薄れがちだけど、リリアン・バスマンの写真との相性は最高だった。

2014-04-22

Jacques Tati! : Mon oncle

 
 
イメージフォーラムで。ジャック・タチ1958年の長篇「ぼくの伯父さん」。説明不要の名作。この映画を観るのは人生できっと3度目だと思うのだけど、いくら私が記憶力が良いほうとはいえ、ほとんどの場面を覚えているのに驚いた。それだけ引き込まれて集中し、細部まで観察しながら観てたってことなのだろう。
 
 
 
 
未来的建築のこちらのお宅で、緩く電源繋がれているものの、手で持つ必要はなく勝手に動いてくれる掃除機が使われている。ルンバのはしり…!そして今回は、お隣のご婦人がカーペットみたいな分厚い布を肩にかけて登場する場面で大笑い。
 
 
 
それでもやっぱり遊びに行きたいのはこっちの家だな。ムッシュー・ユロの住む最上階の部屋は、窓が大きくて気持ち良さそう。そして室内はほぼ映らないのが、想像力を掻き立てられていい。きっと洗濯機なんてあるはずもないアナログな部屋なんだろうな…。
 
 
岡本仁さんがinstagram で引用されてた、ご自身が昔書かれた文章が素晴らしかった。伯父的人生について。考えてみれば私の人生では、父親がまるで父親的世界観を持つ人ではないので、父親的人生というものを身近に知らない。そうやって育った私の周りはじゅうぶんな大人になった今でも伯父的人生を歩む登場人物に塗り固められており、自分もまたそうなのだろう。ムッシュー・ユロのことも遠い世界の人物というより、愛すべき隣人としてクスクス眺めている。

 

2014-04-21

JacquesTati! : Dégustation maison

 
 
イメージ・フォーラムで。1978年の短編「家族の味見」はタチではなく、タチの娘ソフィー・タチシェフ監督作。ソフィー・タチシェフはきっと健在だろうと思っていたら2001年に55歳の若さで亡くなっていた。14分という短さながら、観終わった後のほのぼの感が長く後引く可愛らしい映画。

小さな村のパティスリーが舞台。恰幅のいいマダムがじゃんじゃんお菓子を焼いて、その娘が売り子をつとめる小さな店は、何故か常連客はみんな男。お菓子をぱくぱく食べ、ゲームに興じ、またお菓子をぱくぱく食べ… いい大人の男がそんなお菓子ばかり食べるもんじゃありませんよ。途中、マダムがお菓子を買いに来るものの、変なお菓子ばっかりね。って呆れて手ぶらで店を出るシーンがあるのだけど、この店のお菓子には秘密があって…。という秘密が明かされるのが、店を出た男が乗るもののまっすぐ走れない自転車だったりして、秘密に気づかない観客もいそうなささやかさ。こんな可愛らしい短編ばかり集めた特集があったら楽しいな。半日ほどぼんやり画面を眺めていたい。

 

2014-04-20

Jacques Tati! : Parade

 
 
 
イメージフォーラムで。ジャック・タチ「パラード」、1974年、タチ最後の長篇。ほとんど映画館にかからないのでは…私は初めて観た。この特集の目玉、後から思い起こすと「パラード」だったな、って思いそう。スウェーデンのテレビ局の招きでテレビ用に製作された作品で、サーカスの座長がタチ、自分も時々芸を見せながら、観客を巻き込んで曲芸あり音楽ありのショーが始まって終わる。そういった情報をインプットせずに観たので、これはドキュメンタリー?フィクション?って考えながら観たけど、観終わってもその境界線は曖昧なまま。どっちだっていいじゃないか、という気分になる。
 
 
曖昧な気分にさせられる最大の要因は、観客が素人とは思えないほど突然、ステージに巻き込まれても達者なリアクションを見せるからで、実際のところ撮影は3日間あったらしいので、あの達者なリアクションも演出のうちなのだろう。この特集で再見する予定の「フォルツァ・バスティア78」を観た時、ドキュメンタリーのはずなのに映ってる素人が徐々にタチ映画の緻密に計算された登場人物にしか見えなくなる瞬間があり、何がどのように映っているかよりも、誰がどんな視点で世界を切り取ったかこそが映画だなぁと改めて思い知らされたことを、「バラード」でより強く認識した。
 
 
そして何より目玉はタチ本人による芸。当時66歳のタチの、それまでの人生が仕草のひとつひとつに滲み出てるような軽くて重みのある芸は、軽快で洗練されているのに同時に、末広亭で見た昭和のいるこいるの漫才や、なんばグランド花月で見た吉本新喜劇の、私が小さい時から何一つ変わらないベテランたちの予定調和なギャグを、お弁当つまみながらずずずと水筒やペットボトルから緑茶をすすりつつのんびり眺めているような親近感もあって何やら妙だった。幕間、舞台裏で談笑中、一座の若手からリクエストされロンドン、パリ、南米の警官の動きをパントマイムで見せるシーン、素敵だったなぁ。


そしてムッシュー・ユロを演じている時よりきっとタチの素に近いだろう衣装は、popeyeのスナップ特集にシティボーイが何十年か先の未来たどり着きたい目標としてのヨーロッパの渋い親父として登場しそうなこなれ感で、芸を見たり衣装を見たりで目が忙しい。ベージュのスーツに、赤のタートル、靴下も赤!のバランスは、枯れた見た目、エレガントな仕草、特徴ある姿勢の長身とあいまって、洋服はやはり西洋のものだし、タチは本当に洋服が似合う人だなぁと思わされた。タチの代表作は過去に何度も見てるけど、今回の特集は時間の都合で長篇1本しか見られない、という方には是非「パラード」をオススメしたいthis is Tati!な一本。

2014-04-18

Jacques Tati! : 35mm film free gift!

 
 
小雨降る肌寒い金曜日。休日出勤が続いてたので、休みを取ることにして、ジャック・タチを観に渋谷へ。今週、先着1000名にプレゼントされたタチ作品の35mmフィルム3コマ、もう残ってないかな…って思ってたら思いがけずいただけて感激。パンフレットといい、フィルムといい、企画された方に感謝。映画好きのツボを的確に抑えていらっしゃる。
 
 
しかも引きの強いことに、ムッシュー・ユロが映ってる。どの映画だっけ?最後まで特集を観たら、このシーンに出会えるかしら、もしくはもう見過ごしちゃったかな、と考えてたら、ちょうど今日観た「ぼくの伯父さん」の、ハイテク一軒家に招かれたムッシュー・ユロが、全自動キッチンで不思議な素材のコーヒーサーバーを訝しげに眺めるシーンだった!ガラス製に見せかけて空気を含んだボールみたいな素材なのか、キッチンの床に落としてみると跳ね返ってくる。その後にあるオチに大笑い。こんなプレゼント、本当に嬉しい。宝物にします。
 
BON WEEK-END!

2014-04-17

Jacques Tati! : On demande une brute

 
 
イメージフォーラムで。ジャック・タチ脚本、出演の短編「乱暴者を求む」1934年。監督はシャルル・バロワ。タチ演じる売れない俳優が、劇団に雇われる当てが外れ、生活を憂いた妻により面接に向かう。強気に行けという妻のアドバイスに忠実に強気に出たらトントン拍子で採用に至ったものの、仕事は野獣みたいなレスラーとの試合。さらに負けると逆に金払ってもらうぜ、というあり得ない契約だった…。という物語。
 
 
とても野獣には勝てそうもないタチのひょろっとした体躯がリングの上でひょこひょこ動くさまも見ものながら、冒頭の食事シーンから始まる一連の独特な夫婦関係、ふたりの力学はもっと見もの。30年代、女は髪型も洋服もバリエーションは少なく、とても女らしく見えるのだけど性格は勇ましく、その勝気であればむしろ妻が野獣と闘うほうが俄然勝てそう。女の服装含む見た目と中身の組み合わせは、現代でも完全一致するとは限らないけど、この妻は現代であればどんな洋服を選んで着たのかな?と、タチそっちのけでそんなことばかり想像していたら、あっという間に終わってしまった。