CINEMA STUDIO28

2014-02-26

Ce qu'il restera de nous

 
 

雪の日に、ヴァンサン・マケーニュ特集の短編上映で。



邦題は「僕たちに残されるもの」。ヴァンサン・マケーニュによる監督作品、40分の短編。本人は出演していない。ふわふわした生活を送る画家の弟と、金銭問題を抱える兄とその妻、3人しか登場しない。兄弟の親が亡くなり、何故か全ての遺産は画家の弟に遺された。金銭問題を抱える兄は激昂する。激昂する40分。



喜怒哀楽のうち怒と哀だけ抽出したような息の詰まる40分だった。どうしようもない物語。兄とその妻は完全に感情の閾値を超えており、さらに弟は何を言われてもふんわりしているので柳に風。



男ども2人より、夫に寄り添うでもない妻の存在が終始気にかかった。妻役は「女っ気なし」で色気たっぷりの母親役を演じたロール・カラミーが演じている。ロール・カラミーとヴァンサン・マケーニュは演技を学ぶ学生時代からの友人であり、ヴァンサンがティーチインで語ったことには、ロール・カラミーは脚本にない言葉を即興で追加することができる女優で、彼女によって追加された台詞は、元の脚本の表現や流れに沿っている、とのことだった。とても信頼してる様子だったから、これからもヴァンサンが出演したり監督したりする映画で、ロール・カラミーを観られるのかもしれないとしたら、楽しみ。

 

2014-02-24

La fille du 14 juillet

 
 
 
雪の日に、アンスティテュ・フランセで。アントナン・ベレジャトコ監督(難しい名前!)2013年のフランス映画「7月14日の娘」を観る。フランスの今をときめく?俳優、ヴァンサン・マケーニュが出演しており、上映後には来日した本人によるティーチインがあった。上映前にも挨拶に登壇し、外は雪が降ってるけど、映画の中は夏だよ!と言い残して上映が始まった。
 
 
7月14日は巴里祭、革命記念日。大統領などなどが登場するセレモニーがあり、空を軍事飛行機が曲芸飛行した跡にトリコロールの煙が残り、夜は花火。労働の日々とヴァカンスの境目の一日でもあり、祭が終わると一斉にヴァカンス先への民族大移動が始まる。冒頭、映し出されたセレモニーの映像は現実の映像を繋いだもので、サルコジ前大統領が写っていた。くすんだ色調の画面ながら、これは現代なのか?しかし続く物語に登場する人々のファッションはレトロっぽくもあり、冒頭から混乱させられる。
 
 
7月14日、勤務先のルーブル美術館で出会った男女が、周りを巻き込んでヴァカンスに向かうも、経済危機のフランスではヴァカンスは贅沢品で道は空いている。政府は突然、ヴァカンスを1ヶ月短縮することを決定し、7月14日の娘たちはなかなか海にたどり着けない。
 
 
物語はあってないようなものだった。始まってすぐに、これは「地下鉄のザジ」みたいだし、ゴダールの「ウィークエンド」みたいと気づいたら、辻褄なんて合わなくても良いと気楽に画面を眺められた。特にゴダールへのオマージュはたっぷり捧げられており、シャンゼリゼで記念品を売る女の子はジーン・セバーグみたいだし、ラストは気狂いピエロみたい。ゴダールの可愛らしい部分を抽出したみいたいな映画だった。
 
 
 
 
 
主演女優は行き当たりばったりに生きており、しかしそれが可愛く、
 
 
 
 
ヴァンサン・マケーニュはあられもない格好で車を運転する。途中、お医者さん?だったっけな、ものすごくキャラの濃いおじさんの家に立ち寄ったあたりのクレイジーな場面は何度も観たい。ドタバタした喜劇的な装飾を剥がしていくと、ボーイミーツガールのピュアなラブストーリーが芯に残る可愛らしい映画だった。日本語字幕もついたことだし、なかなか笑えて楽しかったから、真夏に上映されたら楽しそうだけど、果たして公開されるのかな・・。もしソフト化されるようなことがあったら、金曜など頭が疲れた夜に、部屋で流しっぱなしにして、ちらちら横目で見ながら時々画面の中の馬鹿騒ぎと目があってはクスクス笑う夜はきっととても楽しそう。

 

2014-02-14

To catch a thief

 
 
新宿で。ヒッチコック、1955年「泥棒成金」を観る。昔観たことあったかな、どうだったかな。引退した宝石泥棒の手口そっくりの宝石泥棒が頻発し、容疑をかけられた宝石泥棒ケイリー・グラントが真犯人を探す。筋書きはサスペンスながら、中身はケイリー・グラントとグレース・ケリーのラブロマンスという趣の映画で、風光明媚なロケ地、麗しいグレース・ケリー…見どころがなくはないけど、特に面白い映画でもないのね。
 
 
思いつくままにメモ
 
 
・グレース・ケリーってたくさん観てるわけじゃないけど、動いてるより写真で観るほうが綺麗な人だな、と思う。
 
 
・荒っぽい運転で海沿いの山道を登っていくドライブシーンは、グレース・ケリー本人の最期を予感させてひやひやした。
 
 
・車を停めて2人がピクニックバスケットから食事を取り出し、話しながら食べるシーンが面白い。飲み物はおそらくビール、食べ物はローストチキン。女が男に「どっちがいい?脚?」って尋ねるセリフ。何口が食べたら塩気が足りなかったのか、バスケットから塩の瓶を取り出して塩を足していた。ゴージャスな人々なのに、食べてるものも食べ方も雑でワイルド。
 
 
・ヒッチコックの主演女優への好意の量がそのまま、女優がスクリーンで輝くかに比例してる。「めまい」なんて、「泥棒成金」の100倍面白い映画なのに、キム・ノヴァクを好きじゃなかったらしいから、キム・ノヴァクがまるで美しく写ってない。
 
 

 
 
・途中から話がグダグダし始めるあたり、トリュフォー映画みたい。というかトリュフォー映画がグダグダしたヒッチコック映画みたいってことか。 2人は師弟関係みたいなものだものね。 この本まだ読んでないけど、そろそろ読み時か。
 
 
去年秋から見続けたスクリーンビューティーズの企画、どれも楽しく観た。配給会社に友人がいるのだけど、9本中7本観たから(見なかったのは「シェルブールの雨傘」「めまい」で、どちらもわりと最近、別の上映で観たから)次回あるなら作品選定会議に参加させていただきたいものです…。メジャーな映画に混じって滅多に上映されない映画もプログラムされてたのが良かった。
 
Bon week-end!

2014-02-12

Marnie

 
 
新宿で。ヒッチコック「マーニー」を観る。1964年の映画。
 
 
長らく観たいと思っていたのは、ヒッチコックと主演のティッピ・へドレンの間の酷いエピソードが漏れ伝わってきたから。それまでのミューズだったグレース・ケリーが結婚し、王妃になるために映画界を去ってしまって失意を抱いたヒッチコックは、演技経験のないモデル、ティッピ・へドレンを「鳥」のヒロインに抜擢し、監督の異常な愛情と呼ぶべき異様な行動に出る。監督と女優の関係以上の関係をティッピ・へドレンに迫り拒否されると、機械じかけの鳥を使う予定だったのが本物の鳥を使うように変更し、鳥にティッピ・へドレンを襲うようにけしかける。床に縛られたまま、鳥に突つかれ、顔に傷を負い錯乱状態に陥るあの演技は、演技じゃなかったってことなのか。バード・ハラスメント。怖すぎる。
 
 
しかし、ヒッチコックがそれだけ執着するだけあって、ティッピ・へドレン、かなりの美女。ヒッチコックの女優たちの中で、私は一番好き。パリス・ヒルトンを最大限に上品にしました。という顔立ちに見える瞬間もある。モデル出身だからか、本人の資質なのか、歩き方も仕草も麗しい。衣裳も何でも似合う。
 
 
そんないわくつきのヒッチコック×ティッピ・へドレンの2作目「マーニー」は、過去のトラウマから男性に恐怖心を抱き、淡々と盗みを働く人格障害気味の女の物語。
 
 
 
 
トラウマにより異常行動に至る演技が真に迫って見えるのは、 ヒッチコックの酷いハラスメントを知ってしまってるからかしらね。当時の心理状態が役柄にぴたっとはまったということなのか、ティッピ・へドレン、綺麗なだけの女優さんではない。そして乗馬用の出で立ちが、ラルフローレンのモデルみたいだった。こんな将来有望を匂わせる女優さんなのに当時、マネジメント権もヒッチコックにあったらしく、のびのびいろんな役柄を試してキャリアを伸ばす、ということも制限されていたと何かで読んだ。恐ろしい男・・鬼畜やで。この2人の確執については、アメリカで映像作品化されており、シエナ・ミラーがティッピ・へドレンを演じたとのこと。公開にあたり、ティッピ・へドレンが過去のエピソードを暴露したことも話題を振りまいたらしい。
 
 
物語の中でティッピ・へドレンのトラウマと罪を全部受け止め、過去を清算させるべく尽力するショーン・コネリーのしみじみとした愛の深さが、映画と、映画にまつわるドロドロしたエピソードの一服の清涼剤。
 
 
 
そしてポランスキー「反撥」を観た時、物語よりカトリーヌ・ドヌーヴの冷たく整った顔が一番怖い。って思ったけど、ティッピ・へドレンも然り。「鳥」「マーニー」が良作なのは、ティッピ・へドレンの冷たい美貌によるところも、きっと大きい。

 

2014-02-10

The Wolf of Wall Street

 
 
大雪の日に、六本木ヒルズで。スコセッシ×ディカプリオ「ウルフ・オブ・ウォールストリート」観る。R18指定も納得、3時間ずっと金、クスリ、女のエンドレスループ。すごく下品で、だから最高だった。名画座にまわった頃にまた観たいぐらい。
 
 
 
 
学歴なし、貯金なし、コネなしの裸一貫でウォールストリートを登りつめ、転落していった男の実話。原作権を買ったディカプリオは製作も兼ね、撮影にこぎつけるまで何年も要したとか。役作りにあたっては、主人公である原作者と多くの時間を共にし、仕草や人となりを観察して盗んだのだとか。その甲斐あってか、ディカプリオの演技を呆気にとられて眺めてるだけで3時間あっという間。特に、レモンという強烈なドラッグを齧った後しばらくのシーンは、ここ数年観たあらゆる映画の演技の中で最も強烈だった。己の引き出しを出し惜しみなく全部開けてて清々しい。ジャック・ニコルソンにも、フィリップ・シーモア・ホフマンにもディカプリオにも見えるディカプリオ。ディカプリオが欲しがってるのかどうか知らないけど、あれでオスカー獲れないとしたら、いったいどんな演技した俳優なら獲れるんだろ?クスリでラリった演技がやたら真に迫ってる。なんて、保守的なイメージのあるアカデミー賞の投票者は嫌いそうだから、今年も獲れないのかな・・。
 
 
いっけん70代の監督が撮ったとは思えないフレッシュな映像に思えるけど、よくよく考えてみるとディカプリオの熱意を、時にクールにいなしながら少し距離を置いて仕上げたスコセッシの老獪さも見もの。冒頭すこししか登場しないのに、短い時間ですっかりディカプリオにウォールストリートでの処世術を教えるマシュー・マコノヒーも気持ち悪くて最高。原作者はヒッチコックばりにカメオ出演してて、最後のセミナーのシーンでディカプリオの登壇を促す司会者が原作者とのこと。登りつめ方に問題はあれど、テンション高く己の欲を満たすべく世の中を泳いで行く主人公の生き方、どうしても嫌いにはなれなかった。内容が内容だけに周囲には大声で勧められないけど、こっそり、面白い映画ありますぜ旦那!って誰かの耳元で囁きたい気分。

 

2014-02-04

Les amours imaginaires



土曜日に、渋谷アップリンクで。グザヴィエ・ドラン監督「胸騒ぎの恋人」を観た。20歳の時の監督作品とのこと。現在24歳のグザヴィエ・ドラン、アンファン・テリブルって言葉は何歳まで使われるのかな。


1人の美しい青年を巡って、親友同士の男、女が恋の火花を散らす…というほど激しくなく、そこはかとなく牽制しあう物語。ポスターも3種類あり(上の画像)、真ん中に2人から想いを寄せられる美青年を配置する並びでアップリンクに貼ってあった。左の短髪の男が、グザヴィエ・ドラン監督本人で、出演している。



女友達と長く続くためには、異性の好みが違うこと。つまり、1人の男をとりあうような展開になる気配がないこと。というのは通説で、確かにそう思う。この映画は、男の好みがぴったり一致してしまう親友同士の悲喜劇であり、親友同士が異性だから話がややこしい。私とあの娘、どっちが好みなの?という問題に、異性と同性どっちが好きなの?という問題も加わり物語は捻れ始める。


中心にいる美しい青年は作為があるのかないのか簡単には判定できないやっかいな種類の魅力を振りまくタイプで、男にも女にも同じ温度、スキンシップの頻度で近づき、一瞬で心を奪っていく。本心が見えないまま、オードリー・ヘップバーンが理想の女性だと言われたなら、彼を想う女はメイクやファッションをオードリー風に整え、男はオードリーのポスターをプレゼント。誕生日パーティーには女は帽子を、男はカシミアのオレンジのニットを準備し、それらを同時に身につけた彼は、無造作な着こなしながらより魅力的に見える。ニットが帽子を、帽子がニットを引き立てあってるのが皮肉だった。罪な男だけど、自然に振る舞っているだけで周囲の人間が何かしら執着してしまう人っている。色気ってそういうことなのかも。もしくは恋する人間の目には、いつも恋の相手は、この物語の罪作りな彼のように、ひとつひとつの言動が思わせぶりで、言葉は謎解きのようにあらゆる解釈を生むように見える、ということなのかもしれない。


好意を寄せられる側、寄せる側の恋の力学が描かれており、客席から俯瞰で眺める私からは恋の結末が簡単に推測できた。感情が邪魔して冷静な判断ができなくなるのは渦中にいる当事者だけ、相手にかける期待の分だけ視界が曇ってしまう。はたして恋の結末は?というサスペンスを楽しむ物語なら途中で飽きたかもしれないけど、片思いの普遍、苦悩と快楽がしっかり描かれていたので最後まで堪能した。





これまで観たグザヴィエ・ドラン、製作順に「マイマザー」「胸騒ぎの恋人」「わたしはロランス」の順で、「胸騒ぎの恋人」が一番好き。新作の公開も楽しみ。 最後に一瞬、ルイ・ガレルが登場して驚いたけど、「胸騒ぎの恋人」の罪な男に顔の系統が似ており、グザヴィエ・ドランの好みのタイプなのかも。鼻が高くてギリシャ彫刻みたいな男が好きなのかな。ルイ・ガレルが降板して「わたしはロランス」の主役はメルヴィル・プポーが登板という流れだったらしいけど、グザヴィエ・ドラン作品でルイ・ガレルを観られる日もそう遠くないのかな。とにかくあらゆる私の好きなフランス語圏の俳優を、グザヴィエ・ドラン映画で観てみたい。


監督は子役からキャリアをスタートさせており、この映画でも見事な存在感。ビジュアルの良さはもちろん、ちらりと画面に写るだけでそちらばかり見てしまうような色気があった。俳優グザヴィエ・ドランが監督グザヴィエ・ドランにキャスティングされ演出されることもまた、ふたつの才能の幸福な出会いなのだろう。

2014-02-03

RIP Philip Seymour Hoffman

 
 
信じられないニュース。フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなってしまった。
 
 
彼の出演した有名な映画群については多くの人が書くだろうので、きっとあまり知られていない「ワンダーランド駅で」について書き残しておく。
 
 
「ワンダーランド駅で」は初秋のボストンを舞台にした、男女一組が出会いそうでなかなか出会わないニアミスを繰り返す物語。ワンダーランド、という名前の駅はボストンに実在するらしい。全編、ボサノヴァの有名な曲たちに彩られた耳心地の良い映画でもある。春夏用の麻のシーツでは肌寒くなり明け方、間に合わせに毛布を引っ張り出してきてくるまるような時期になると必ず観たくなる。
 
去年の秋、iTunesでこの映画がレンタルできたので、久しぶりに観てみた。冒頭、主人公の女性は一緒に暮らしていた男に理不尽な理由でフラれる。活動家の男は、女が、自分のように世間に興味がないのが耐えられない、と「俺が出ていく6つの理由」を語る自撮りのVHSを残して出て行く。この活動家を演じるのがフィリップ・シーモア・ホフマンとはじめて気づいたのは、何度目の鑑賞だったかわからない去年の秋だった。30歳前後、今のようにメジャーになる直前だったはず。
 
 
「ワンダーランド駅で」は、ごく小さな、静かな映画で、この映画を観たことがある、という人をほとんど周りに知らない。けれども何か心に残るものがあって長い間大切に観てきた理由が「知らなかったけど、フィリップ・シーモア・ホフマンが出ていた」ことにあるような気がしてならない。彼の出る映画をはじめて観た後、すぐに名前を覚えて、今度は彼の名前を検索して新たな面白い映画に出会う、そんな映画好きはきっと多かったに違いない。フィリップ・シーモア・ホフマンは、その名前だけで映画の質をぐっと押し上げる信頼の印だった。主演として堂々と画面を支配する映画であっても、数分しか登場しない「ワンダーランド駅で」であっても。
 
 
フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなり、これから生まれ、私が出会うはずだった何本もの傑作が未来から消えてしまった。腕に注射針が刺さったまま発見された遺体はさぞかし、いかにも彼が演じそうな、癖の強い男の最期のシーンみたいだったのだろう。皮肉すぎる。
 
 
 
 
 
 

 

2014-02-01

American hustle

 
 
指折り楽しみにしてた「アメリカン・ハッスル」、初日の昨日早速観たかったけど仕事で無理だったので2日めに。監督や俳優陣がプロモーション来日できなかったお詫びに公開初日1000円の粋なサービスだったもよう。いろんな賞にノミネートされてる話題作だけど、公開はシネコンの小さめのスクリーンなのが意外。観る人を選びそうだからかな。
 
 
 
70年代後半、おとり捜査でアメリカを揺るがしたらしいアブスキャム事件がベースになっているほぼ実話とのこと。カジノ建設を巡る政治家の汚職を捜査するために、FBIと天才詐欺師がタッグを組み、騙し騙されのめくるめく物語。同じく事実は小説より奇なりシリーズの「アルゴ」みたいなスカッと感を想像してたら、ちょっと予想外の感触だったのは正義がどこにもない設定だったからかな。
 
 
「ザ・ファイター」しかり「世界にひとつのプレイブック」しかり、デヴィッド・O・ラッセルの映画はいつも物語どうこうよりも俳優が記憶に残る。スター俳優ばかりながら、他の監督の映画では見られない表情ばかり見られるのだから。以下、俳優についてメモ。
 
 
・ブラッドリー・クーパーもエイミー・アダムスも、どの監督と組んだとしても彼らが出てるだけで観たくなる大好きな俳優だけど、この映画ではクリスチャン・ベイル、そしてジェニファー・ローレンスの印象のほうが強かった。特にエイミー・アダムスは期待に比べて観終わった後の印象薄さが意外なほど。
 
 
・髪型はバーコードでメタボ体型に変身したクリスチャン・ベイル、妻がジェニファー・ローレンス、愛人がエイミー・アダムスって私の理想を体現したような男。そんな男に私はなりたい。2人とも美しいのだけど、美しさが後回しになるぐらいまず濃いキャラクターが先に立つ女ども。そんな女2人に執着されるクリスチャン・ベールの役どころは、外見のハンデを補って余りある魅力的な男であった。かっこよくても自分のことしか考えてなさそうなブラッドリー・クーパーよりだいたいの女性はクリスチャン・ベイルのほうが好きなんじゃないかしらん。
 
 
・一瞬だけ登場するデニーロは、出演時間の短さに反比例する半端ない存在感で物語の漬物石みたいな機能を果たしていた。座ってるだけで漂う重厚感、「世界にひとつのプレイブック」でのボンクラ父さんとは真逆すぎた。
 
 
・そしてこんな濃い俳優陣の中にあって一際目立つジェニファー・ローレンス。もうどう考えても大好きなので贔屓目で見てしまうのはしょうがないとして、完全に周りを喰ってた。登場人物みんなまともな選択ができない困った大人揃いだけど、ジェニファー演じる詐欺師の若妻、情緒不安定ながらなんだかんだ誰よりも逞しく生きていきそうな野太さも漂わせ、役を完全に自分に引き寄せた彼女が画面に映るだけで物語に奥行きが生まれてた。まだ若いのにどう生きたらそんな演技できるのかまるでわからない女優、日本代表・芦田愛菜ちゃん、世界代表・ジェニファー・ローレンス。ジェニファーはきっと憑依型なのだと予想する。対してエイミー・アダムスは役作りに努力の跡が見えて、それも良かった。

・詐欺師と愛人の出会い、愛人がつけてたデューク・エリントンの顔写真使ったブレスレットに目をつけた詐欺師が、それをネタに話しかけ、一緒にデューク・エリントンのレコード聴いて親密になるってのが、デューク・エリントン好きな私にはツボ。70年代にはそんな出会い方もあったのね?全編通じて音楽が見事。70年代ファッションはあまり好きじゃないけど、エイミー・アダムス着こなすセクシーなドレス…DVFのラップドレスもあったな!…は、とても素敵。
 
 
・オスカーは主演俳優、女優、助演俳優、女優にノミネートされており、そろそろエイミー・アダムスに獲ってほしいけど、個人的にはこの映画より去年の「ザ・マスター」での彼女のほうが好きだった。ジェニファー・ローレンスは去年主演でオスカー獲った「世界にひとつのプレイブック」より助演ノミネートされた「アメリカン・ハッスル」の演技のほうが見事だと思ったので2年連続で獲ったら嬉しいな。30〜40年後、ジェニファーがオスカーノミネート15回目です。みたいなメリル・ストリープを軽々と超えた女優になった暁には、彼女が最初にオスカー獲ったときはディオールのドレス着て階段でコケたのよってドヤ顔で語る面倒くさい映画ファンになっている予定。
 
 
会話量が多く緊張しながら展開を追う必要があった分、もう一度観ると新たな発見が多そうなので名画座にまわった頃にまた観たい!
 
 
 
気さくすぎる天才女優。この貫禄で23歳…。