CINEMA STUDIO28

2014-03-29

MPTE

 
 
映画は映画館で観るものだと思っており、多い時は週に3度は行くとなると、映画をリーズナブルに観る方法にも詳しくなるもの。それまではサービスデーを狙ったり名画座に通ったりしていたけど、映画テレビ技術協会の会員制度を知ってから、この4月で3年目の更新。無事に3月中に会員証が届いた。日本の大きめの都市のほとんどの映画館で、映画がいつもシニア料金で見られるカード。
 
 
会費がそれなりにするので数をたくさん観る人向けだけど、私はだいたい2〜3ヶ月で元がとれてしまうし、曜日に縛られずにふらっと映画館に行けるのが何よりいい。都内で今まで使えなかったのはアップリンクぐらいかな。
 
そもそも映像技術者のための協会なので、「映画テレビ技術」というマニアックな冊子が毎月送られてくるので、お風呂で、ふーんって眺めて読んで捨てている。
 
「賛助会員」として入会している。学生さんならさらに会費が安い。あまり知られていないので、ここに書いてみた。
 
 
 
 

 

2014-03-19

パリの交通規制

 
2007年、パリに着いたとき大使館に行って在留届を出した。そのせいで今でも緊急連絡メールが届く。きっちり帰国時にも届出したのだけど。緊急連絡メールの試験運用が始まったのが帰国後だったのが緩すぎて可笑しい。
 
 
月曜に届いた緊急連絡メール。
 
 
「在留邦人の皆様

3月16日(日)、仏当局はパリ市および周辺県で深刻化している大気汚染を軽減するため、明日17日(月)午前5時30分より一部車両を除く自家用車及び二輪車等の交通規制を実施する旨発表しました。

対象地域はパリ市およびオード・セーヌ県、セーヌ・サンドニ県、バル・ド・マルヌ県で、奇数日は奇数のナンバープレート車両に限り、偶数日は偶数のナンバープレート車両に限り通行できるとのことです。

明日17日(月)は、奇数日ですので奇数ナンバー車に限り通行できることになりますのでご注意ください。

なお、詳細はパリ警視庁ホーム・ページ 
http://www.prefecturedepolice.interieur.gouv.fr/Nous-connaitre/Actualites/Prevention/Circulation-alternee-mode-d-emploi  
及びパリ警視庁電話案内(0811000675)にてご確認ください。」


え?って二度読みしちゃった。今週から始まった交通規制のため、現在パリでは奇数日は奇数ナンバー、偶数日は偶数ナンバーの車しか走ってないらしい。その後の経過はどうなのかな?と思ったら、違反は案外厳しく取り締まれてるようで22ユーロの罰金だとか。緊急車両、公共の車、4人乗りの車、エコカーは除外とのこと。代わりに公共交通機関の利用を促進していて、メトロなどが無料なのだとか。


あ、今また調べてみたら、一定の効果があったため政府が規制解除を発表したそうな。期間限定の実験だったのかな。パリ、大気汚染そんな酷かったかな?空気、悪くないなぁと思ったけど…と一瞬不思議に思ったのだけど、私はその前に空気の悪さで悪名高い北京に住んでいたのだ。あの空気の中で暮らしてしまうと、ほとんどの都市の空気は綺麗に思えてしまう。相対的感覚。


しかし街を走る車のナンバーが奇数ばかり…もしくは偶数ばかり…ってマイルドなSFみたい。ちょっとだけ歪んだ世界。ちょうどジャック・タチ映画祭では何を観ようかなって考えてたから反射的に思い出したのがタチの「プレイタイム」。
 
 
「プレイタイム」は明らかにパリが舞台の映画なのだけど、描かれるパリがそこはかとなく歪んでる。舞台となる近未来的なビルの入り口のガラス扉に、対面にあるらしいパリの風景が映り込むシーンが2度あって、一度はエッフェル塔が映り、もう一度は確かサクレクールが映ったと思う。この2つが同じ建物の同じガラス戸に映り込むことは位置的にありえなくて、タチ映画はさすがに作り込みが細かいのぅ…と、何度目かの鑑賞でようやく気づいて感慨に耽った。最も好きなタチ映画なので、他のも観たいけれども、時間の都合で1本しか観られないならやっぱり「プレイタイム」を観てしまいそう。
 
 

2014-03-16

Gebo et l'ombre

 
 
岩波ホールで。マノエル・ド・オリヴェイラ監督「家族の灯り」堪能。オリヴェイラの映画は常に呆気にとられる自分を楽しみに観るふしがある。この映画も然り。
 
 
 
 
或る貧しい夫婦と、息子の妻。息子は長らく不在らしい。そのせいで母親はずっと泣き続け、父親には諦念が漂う。家庭にはたくさんの秘密があるらしい。そこに息子がついに帰ってきて…。家族の物語だけどサスペンスみたい。って思ったものの、家族の物語ほどサスペンスなものはないね、いつも。
 
 
とにかく役者が豪華。クラウディア・カルディナーレ、ジャンヌ・モローは、往年のファンは彼女たちがこのように年を重ねることを予想していただろうか?という見た目(2人とも美しく味がある)で、同席するのはマイケル・ロンズデールに、オリヴェイラ映画には必ず登場するルイス・ミゲル・シントラ。この4人に珈琲をついでまわる息子の妻にレオノール・シルヴェイラ!お腹いっぱい。そしてこのキャストをコントロールできるのはオリヴェイラぐらいなものだろう。帰ってきた息子は「ブロンド少女は過激に美しく」で主役だった彼、リカルド・トレパ。リカルド・トレパはオリヴェイラの実の孫。あまりに濃い他のキャストに混じると彼の演技は未熟に思えるのだけど、この映画ではその未熟さがとても役立っていた。周囲から浮かなければならない役なのである。
 
 
待ち焦がれた息子の帰還。お涙頂戴と思われたその帰還は、あっさり裏切られ、徐々に息子が聞入者にしか見えなくなっていく。ようやく揃った家族の秩序が狂い始める。雨の夜に老いた男女がテーブルにつく場面の会話は、誰もが誰の話も聞いていないようでスリリングだし、冒頭から状況説明の台詞があちこちに差し込まれ、映画というより舞台を至近距離で眺めてるよう。もともとは四幕ものの戯曲だったものを三幕までで映画にしたものらしい。映画にならなかった最後の一幕が気になる…。
 
 
ほとんどが夜の場面で、雨が降っており、貧しい家の灯り、絶望した息子の妻が見上げた街灯に照らされるマリア像など、映画を通じてルーベンスやフェルメールの絵を観ているみたいな恐ろしく統制された色彩と光。闇に見慣れた目には、最後の光はとても眩しかった。
 
 
思い違いでなければ、冒頭の数分、レオノール・シルヴェイラのみの場面では、彼女はポルトガル語を話していたのではないか。その後、1人から2人の場面になった途端、言葉はフランス語に切り替わった。他の登場人物は皆、日常で話し慣れたといった風情のフランス語を話すのに対し、戻ってきた息子のフランス語がたどたどしいのは、役者の言語能力なのだろうか、それとも演出なのだろうか。全篇フランス語の映画であれば気にならなかったことかもしれないけど、冒頭一瞬だけ他の言語が聞こえたことで、彼らが、家族もしくは親しい人達と会話をするために、わざわざ母国語ではない言語を共通語として選択した人々のように見えた。帰ってきた息子のフランス語のたどたどしさは、そうやって他人と会話するために他の言語を話す機会が長らくなかった故にも思えた。
 
 
以前、「その街のこども」という阪神大震災のずっと後、神戸を離れて暮らすかつてこどもだった男女が神戸に戻って一晩神戸を歩く映画を観たとき、男のほうは完璧な関西弁を話すのに、女のほうはイントネーションがおかしく、かといって全く関西弁の体感がない人が話す関西弁でもなく、かつてその土地にいたけれど長らく離れてしまって、いざ話そうとするとイントネーションがところどころ不自然になってしまう人の話し方だったので、これは女優の演技力の問題なのか、それとも演出なのだろうか、と考えたことを、この映画のフランス語を聴いていて思い出した。
 
 
マノエル・ド・オリヴェイラは現在105歳、世界最高齢の映画監督で、この映画は103歳の時のものだという。殆どがひとつの室内で撮られているのは、もしかして監督の体力問題なのかな?と思ったりもしたけれども、そんな邪推も含め、オリヴェイラの映画でしか得られない映画体験は確実にある。初めてオリヴェイラの魅力に気づいたとき、自分はずいぶん大人になったのだな、と悟った。長らく映画を観ているけれども、若い時にはオリヴェイラの映画はまるで響かなかっただろう。そしておそらく現在ですらもオリヴェイラの映画をちゃんと理解できているとは到底思えない。1世紀以上を生きた人には、なるほど世界はこのように見えるのかもしれない、という映画群。オリヴェイラの新作を毎年心待ちにしていられるって、本当に贅沢なことだなぁ。

 

2014-03-12

Bella Addormentata

 

今年はのんびり映画を見るって決めてる。体力回復したので久々に自転車乗ってギンレイホールへ。マルコ・ベロッキオ「眠れる美女」を観た。タイトルから川端康成の?って一瞬思ったけど違った。
 
 
 
 
2009年イタリアで、長らく植物状態の娘を持つ男性が延命措置の停止を認める司法判断を得たけれど、議会を巻き込んで国を二分する大議論を招いたという実話をベースにした、3組の男女や親子が交錯しあう群像劇。物語についていけるかな?と思ったけど見終わった頃にはすっかり引き込まれていた。多くはない登場人物に、あらゆる生死にまつわる意見や態度のバリエーションを織り込み、文字通り「眠れる美女」が登場するのはもちろん、物語の進行につれ、眠っていない登場人物たちも内なる何かが目覚めていくのだ。大好きなイザベル・ユペールのさすがの存在感、ラストの余韻、なんだか静かな冬の終わりに似合う物語だった。
 
 
しかし去年テレンス・マリック「トゥ・ザ・ワンダー」を観たときにも痛感したけれど、キリスト教に関する知識が薄弱なため、ちゃんと受け取れたか不安が残りもした。倫理の話でもあるし、感情の話でもあったけど、何より宗教の話なのだろう。「聖書」なんて授業があって期末試験まである学校に長らく通ってたのに、すっかり忘れてる。今から思うと英語や数学と同じぐらい、世界の理解に役立つ授業だった気がしてならない。本など読もうとずっと思ってるので、今年こそ(といってももう3月)ちゃんと知識を深めるのだ…!

 

2014-03-10

Vincent Macaigne

 
 
2月の雪の日に。短編3本と「7月14日の娘」を観た後、来日したヴァンサン・マケーニュ登壇。現代のドパルデューと称されるヴァンサン、フランスで舞台に映画に引っ張りだこで多忙を縫っての来日。前日に東京に着いたばかりで、翌日にはもう京都に発つのだとか。あっという間に帰国してしまったのだろう。


1つの投げかけに対し、言葉を尽くして長く喋る人で、話し始めると聞き漏らすまいと集中して耳を傾けるものの、ヴァンサンの喋りが終わるより、私の集中力が切れるほうがずっと早く、途中で全てを聴くことを放棄。これまでこれからのキャリアや映画観、ニュースになっていたオランド大統領のゴシップまで喋り倒していた。何気ない仕草や表情がぬいぐるみみたいに可愛らしい。さりげない装いだけど身につけるもののサイズやバランスがぴたっぴたっときまっており、お洒落な人だな、と思った。私の隣には大学生ぐらいの女性2名が、若干キャーキャーという静かに熱いテンションでヴァンサンの一挙手一投足を追っており、アイドル的人気もむべなるかな。とても素敵な人だった。


これからギョーム・ブラック監督の長編、ミア・ハンセン・ラブの新作が公開待機とのこと。東京でもすぐに見られることを願ってる。
 
 
このティーチインの詳細はこちら
 
 
去年のマイベストムービー「女っ気なし」
 
 
↑この記事に韓国から何度かアクセスがあって、Google翻訳を使って日本語で書いた私の文章をハングルに自動翻訳して読もうと試みてる誰かの形跡があった。韓国でも公開されたのかな。異国の見知らぬ人がこの映画をみて私の感想を読んで何を思ったのか、ちょっと聞いてみたいな。




 

2014-03-08

Kingston avenue / La règle de trois

 
 
2月のこと。アンスティテュフランセの、ヴァンサン・マケーニュ短篇特集、3本のうち残り2本。アルメル・ホスティウ監督「キングストン・アベニュー」、愛する女性を追ってフランスからニューヨークに渡る男をヴァンサン・マケーニュが演じていた。ニューヨークで破綻した関係を修復するため形振り構わない男。新しい男と暮らす女の部屋に、いかにも穏やかな時間が流れてそうな休日の朝に乗り込む様子は、ひりひりした痛々しさだった。ヴァンサン・マケーニュ、中心に入りたいのに蚊帳の外にしか居られない役柄が似合う…。
 
 
 
 
もう1本はルイ・ガレル監督、出演「La règle de trois」2013年の短篇。精神病院を退院したばかりの友人ヴァンサン・マケーニュ、ルイ・ガレル、ルイの恋人役にイラン出身の女優ゴルフシテ・ファラハニ。この時みた短篇3本は、監督作も出演作もひたすらヴァンサンは繊細すぎて社会にうまく適応できない人々を描いたり演じたりしていたな。内向きでしんみりした映画自体は脇に置いておいて、ルイ・ガレルが長らくパートナーだったヴァレリア・ブルーニ・テデスキと別れ、このゴルフシテ・ファラハニと付き合い始めた、というのを何かで読んで、ゴルフシテ・ファラハニは「別離」を観て感激した私が、アスガー・ファルハディ監督の過去作を探したときに観た「彼女が消えた浜辺」に出演した女優で、印象的だったので覚えていた。どちらも美しい人だけどルイ・ガレルと並ぶところを想像できなかったので、この映画でそれが見られてなんだか満足。まったく個人的な嗜好として、女優としては別としてヴァレリア・ブルーニ・テデスキの外見がまったく好きになれないので(俳優だとショーン・ペンの外見が苦手で、彼の出ている映画が観られないように)、なんとなくフムフムという感想。ルイ・ガレルは監督としても「小さな仕立屋」が素晴らしかったので、まとめて観てみたいな。

 

2014-03-05

MM

 
 
オスカーでディカプリオを制して(? 2強だったのだろうか?)主演男優賞を獲ったマシュー・マコノヒー「ダラス・バイヤーズ・クラブ」この間観たのだけど、非常に体調が悪い、ちょっと朦朧とした日に観たので記憶が曖昧。そんな日に映画を観に行ってはいけない。朧げな記憶の中では、マシュー・マコノヒーよりも、助演男優賞を獲ったジャレッド・レトの存在感のほうが強かった。甘い声、儚げな仕草、ひらひらした女の服に、細くて長い脚。あらすじは見届けたものの、あらすじを見届ければ良いという映画ではないことも理解したので、名画座にまわった時に体調万全にして見直したい。
 
 
マシュー・マコノヒーといえば、ソダバーグの「マジック・マイク」も良かったな。チャニング・テイタムの自伝的物語で、男性ストリッパーの世界。チャニング・テイタムがとにかく犬のように可愛い(褒めてる)のに加え、ストリップクラブのオーナーであるマシュー・マコノヒーの板の上の人生も年季が入ってますという風情が良かった。
 
 
 
 
おそらく女性のストリッパーの衣装も、普通の女性服とは違う、脱ぎやすい工夫があるのだろうけど、男性ストリッパーの衣装も仕掛けがいっぱい。 「荒々しく己の衣服を剥ぎ取る」仕草や音も、客席の女性陣のワーキャー心に火をつけるようで、布を一部ずつ荒々しく剥がすたびに、バリッと威勢のいい音がするので、マジックテープ?か何かが仕掛けられてるんだろうか。映画の衣装展示を時々見かけるけど、有名女優の着たドレス・・などより、マジックマイクの衣装を間近で見てみたい。
 
 
マシュー・マコノヒー、90分ぐらいで終わるからサクッと見られて何も残らないハリウッドで定期的につくられるロマコメで、スター女優の相手をしてる俳優という印象しかなかったけど、こういう路線変更もあるのだなぁ。ロマコメで稼いだお金でしばらくは生活できるから、と家族と話し合い、ロマコメ映画へのオファーを徹底して断り、どういう俳優になりたいか自問自答して出演作を選びに選んだと何かのインタビューで読んだ。オスカーをディカプリオに獲って欲しかったな、と思ったのは、ディカプリオの演技が引き出しを全部開け切った爽快感に溢れてて気持ちよかったのと、マシュー・マコノヒーはこれからも賞レース常連になりそうだから。人生って、ままならぬものなのだな。

 

2014-03-02

Adieu, Alain Resnais

 
 
 
フランスのあちこちでフランス式庭園に出くわすたびに、自然にこんなふうに手を加えるなんて、業が深いというか、フェティッシュだよなぁ。と思ったものだった。フランス式庭園に佇むと人間のフォルムの左右非対称さが目立ち、庭園に溶け込むことはない。けれども「去年マリエンバートで」の画面に映る人間は庭園の一部、フェティッシュな剪定が施された植物みたい。女優の纏うシャネルの布の分量、ぴったり撫でつけられた短い髪とイヤリングのバランスに至るまで、不自然なまでに執拗に整えられた自然みたい。そうやって眺めてるだけで退屈することなく時間が過ぎた。
 
 
アラン・レネ監督が亡くなったとのこと。91歳。2012年のVous n'avez encore rien vu 」が遺作になるのかな。確か東京で上映されたはずだけど、逃してた。その前の「風にそよぐ草」は観て、呆気にとられた。老人性暴走とでも呼ぶべき、年を重ねるごとに軽やかに奔放になっていく、私の好きな、そんな老い方が映画に満ち満ちていて最高だった。Adieu, Alain Resnais!