CINEMA STUDIO28

2015-12-31

2015/12/31

 
 
大晦日だから朝食はケーキ。昨日、近江屋洋菓子店 本郷店に買いに行った。この苺ショート、小さいながらホール状、完璧な形をしている、と、特に断面を見ると思う。
 
 
 
谷中銀座あたりに買い物に行ったら、さすがに今日は地元の住民しかいなかった。帰宅したらLAから小包が届いてて、LAの映画館の月間スケジュール、笑っちゃうデザインの小津Tシャツ、映画雑誌、そしてトートバッグなど。ゴダール本人や映画を描いたイラスト。タイトルが仏語と英語が混じってて、「女と男のいる舗道(vivre sa vie)」は「My life to live」だった。来年、フランス映画祭、アンスティテュ・フランセに映画を観に行く時、その他フランス映画を観に行く時のバッグは迷わずこれだな。ありがとうございました!
 
 
 
 
2015年映画納めは、ほとんどレンタル出回ってないけど、何故か文京区立図書館にあるエリック・ロメール「冬物語」。年末から数週間の物語で、ラストシーンは大晦日。彷徨いながら己の直感を何より信じた主人公に大晦日に彼女が望んだ至福が訪れる。ぼんやり観ていたのに、きっちり最後はスクリーンに映る人たちと同じく、嬉し泣きしちゃった。これまで観た映画の数だけヒロインはいるわけだけど、この映画の主人公が一番自分に似ていて、思考回路、行動パターン、まったく他人とは思えない。フェリシーはほとんど私です。
 
 
そしてロメールがこだわって何度か映画に登場する「パスカルの賭け」を下敷きにした物語でもある。
 
「次の点をよく考えてみよう。神は存在するのか、それとも存在しないのか。そこで私たちはどちらを選ぶだろう。理性はこの点について何も決められない。無限の混沌が私たちを隔てている。その無限の距離の果てで、ひとつの賭けがなされていて、コイン投げがおこなわれる。そこで得る物とは何か?理性によっては、どちらかに決められないし、理性によっては、どちらかを禁じることもできない。」

「次の二つの場合を比べてみよう。勝てばすべてを得る。そして負けても何も失わない。ならば、ためらうことなく、神が存在するほうに賭けよ。」

パスカル「パンセ」より「決心の問題(probleme des partis)
 
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2015年、年間ベストについては考えたので1月に書きます。
どの街の皆様も、よいお年をお迎えください。2016年も素晴らしい映画との出会いを期待しながら。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2015-12-30

2015/12/30

 
 
ギンレイホールの会員証を更新し、朝イチの「海街diary」。去年、大晦日に映画を観に行って、こんな日だからガラガラかしら…と思っていたら満席で驚いたけど、今日もかなり埋まっていた。しかし2本立てで見ずに1本終わると帰る人が多かった印象。私もね。大掃除とかね。
 
 
是枝監督は茅ヶ崎館 二番の部屋で脚本を書くそうだから、「海街diary」もきっとあの部屋で生まれたのだろう。長澤まさみさんの女っぷりが見事で、伸びやかな肢体が映画の中でうまく役割を果たしており、男子みたいな目線で見つめてしまった。
 
 
2015年、映画館納め。夏の湘南の思い出とも重なって、この映画で納められて幸せ。時間があれば映画は明日も家で観られる…かな…。
 
 
 
 
帰り道、まわり道して本郷で用事を済ませ、東大構内を横切る。エアーポケットのように人がおらず、三四郎池付近の銀杏絨毯。

2015-12-29

What's up, Doc?

 
 
ピーター・ボグダノヴィッチの新作を観るので、ボグダノヴィッチ予習。ボグダノヴィッチ本人は、わりと最近、カサヴェテス「オープニング・ナイト」に映ってるのを見かけた。最後の最後、舞台の幕が大喝采で降りて、アフターパーティーでジーナ・ローランズに寄っていき挨拶する男たちのうちのひとり。「ピーター・ボグダノヴィッチだよ」という紹介のセリフもある。
 
 
What's up,Doc?は「おかしなおかしな大追跡」というタイトル、1972年の映画。スクリューボールコメディなのだけど、スピードはさほど速くない。画面の隅々まで眼を光らせて、じんわりクスクス笑う種類の喜劇。最近思ったのだけど、映画のジャンルで一番好きなのってコメディだわ。ルビッチだってコメディだものね。湿っぽいのが嫌いなのでメロドラマとか勘弁して(メロメロしはじめるとすぐ、そっちはそっちで勝手にやっとくれ、という気分になるので映画を観る意味なし)って感じだし、関西人だからというところもあるのかもしれない。
 
 
「おかしなおかしな大追跡」、本のページを1枚ずつめくっていくオープニングがとっても洒落てて、年の瀬に今年一番洒落てるオープニング大賞きた!と興奮。物語は、チェックの布地と革のコンビネーションの鞄を持つ4人の男女、鞄の中身はそれぞれ大金や極秘書類、やんごとなき中身だから、鞄を奪おうとする悪党たちに狙われホテルを舞台に繰り広げられる追いかけっこ。物語はクスクスしてるうちに順当に着地するのだけど、特筆すべきはヒロイン、バーブラ・ストライサンドのキラキラっぷり!「追憶」でしか観たことなかったけど、こんなキラキラの人なのか!ライアン・オニールに近づくべく悪巧みする表情がいちいちキュート。
 
 
悪いこと考えてまっせ…
 
 
バスタオル1枚で悪巧み。バーブラ、「追憶」の時とずいぶん表情違うし、活き活きした表情はコメディにこそ似合う。調子良さそうに見えて実はクレバーな役、目の底に知性があっていいのだよなあ。もっと綺麗な女優さんはたくさんいるのだろうけど、バーブラのこの輝きには誰も勝てぬよ。という気分にだんだんなってくる不思議な吸引力。
 
 
 
 
私の知り合いの女性2人を足して割ったような顔立ちだな、と思いながら観ていたのだけど、バーブラ以外にもいかにも60年代後半〜70年代始めのファッションやインテリアが楽しく、ライアン・オニールは常に変な表情(主に困り顔)なので気がつかないけど最後、ふと観ると整った美しい顔で、そして「ある愛の詩」のセリフ、あの世界映画史に残るだろうメロメロした決め台詞をセルフパロディでコケにして最高であった。
 
 
ボグダノヴィッチはといえば、特典映像でついていたオリジナル予告篇で演出風景が映っていたのだけど、バーブラとライアンの2人の場面を演出するのに、バーブラ役になりきって演技指導している姿が真剣なほど滑稽さが増し、ボグダノヴィッチ自身も彼の映画のように、観ているだけでクスクスしてしまう動きの人であるなぁ、と思ったのだった。

 

2015-12-28

Today's theater

 
 
アップリンク2階、スクリーン3だっけな。の、最前列。「人を駄目にする椅子」と呼んでるふかふかの大きな座椅子。中央からちょっと奥にずれた席を自分的指定席にして観る年末年始恒例の「見逃した映画特集」、本当に見逃した映画ばかりでありがたい。
 
 
師走の足音が聞こえると、待ってましたとばかりに今年観た映画ベスト10を発表する人はそれなりにいるけど、それってその後はもう映画観ないってことなのかなぁ。12月30日に今年ベストに出会っちゃったらどうするんだろう。私も久しぶりにベスト10を考えてみようかと思ってるけど、年が明けてからだな。今日のように、12月28日にさらっとベスト10に入るだろう映画に出くわすこともあるのだから、大晦日まで気が抜けない…!
 
 
横浜の海に浮かぶ映画館で「夜来風雨の声」という映画を観たのはただの偶然で、前日の金曜夜ギリギリまで仕事が立て込んでて、土曜はすぐに起き上がれないし横浜まで行くなら夜の回の上映しか無理だな、と判断。翌日は「砂の女」がかかることも知ったけど、なんとなく知らない場所に連れて行かれるなら真っ昼間より夜のほうが冒険ぽくていいな、というだけの理由で、監督、キャスト、スタッフ誰も名前の知った人のいない映画だったけど、観てみるとその静謐さや俳優の佇まいになんとなく気になるものがあって、夏に見逃していたらしい監督の新作も観るんだったな…と軽く後悔していたら、アップリンクにかかった。しかも12月30日から1月1日までを描いた映画だったから、夏よりも観るのにふさわしいタイミングだったかもしれない。
 
 
「息を殺して」、観たいのはこういう映画でした、という映画だった。横浜の船から落ちてたパン屑を拾って辿り着いたみたい。考えてみれば物心ついてから、好きな映画にはそうやって1本1本出会ってきたのだ。今でもこうやって好きな映画を見つけられた自分に少し、安心した。
 
 
1月にも上映があります。映画の感想は追って。

2015-12-27

恋人

 
 
大掃除に手をつけるのが面倒でグズグズしており、昨夜眠る前に市川崑「恋人」を観るなど現実逃避。1951年、池部良、久慈あさみ主演。明日、他の男と結婚する幼馴染と最後のデート。筋書きを読んでから長らく観たくて、しかしタイトルの記憶があやふやで、神保町シアターにかかった!と、勢いよく観に行ったら、あれ…これ違う気がする…それは「愛人」というタイトルの市川崑の別の映画だった。三國連太郎や有馬稲子が出ており、三國に翻弄された女たちが揃ってシクシク泣いて終わる…という映画だった。市川崑…ややこしいんじゃあ(ちゃぶ台ひっくり返し)と、その後「恋人」を無事観たかどうかまたも記憶が曖昧だったのだけど、今回、途中まで観てみて気がついた。観たことあったね、これ…。
 
 
2人が東京をあちこち移動してデートするので、「最高殊勲夫人」より何年か前の東京がしっかり映ってる。小田急新宿駅の最終電車は当時すでにけっこう遅い時間まであるし、帰れない2人がグズグズする新宿のガード下(地下?)と思われる場所は、地名表記がローマ字で、市川崑映画らしい構図のシャープさもあいまって、そこだけ切り取ると西洋映画みたい。書いてあるのはSAGAMIONO…相模大野…とかなんだけども。久慈あさみが駆けていく深夜の新宿は、古い映画特有の靄のかかったような画面もあいまって蜃気楼のようだった。
 
 
物語はというと、お嫁さんになってしまう前にさらってほしい久慈あさみと、煮えきらず踏み込めない池部良、久慈あさみにさほど魅力を感じないので、他の女優で観たかったな、など意地悪なことも思いつつ、心は別に残したまま、しかし親が決めたのか何なのか、結婚という制度には否応なしに乗らなければならない1951年の女性のことを思うと、「恋人」というシンプルなタイトルが後からじわじわ染みてくる。そして「最高殊勲夫人」ではビールを何本飲むとキスする、何本飲むとホテルに誘うって台詞があったのだけど、「恋人」は腕を組む程度で、50〜60年代の映画を観ると時々考える、結婚前の男女の「接吻なんてとんでもない」から「婚前旅行も当然です」に移行したのって何時からなのかしらね。という問題(というより私の興味関心)について今回も考えた。
 
 
若尾文子映画祭アンコール上映が終われば、市川崑映画祭が始まるけど、「恋人」も「愛人」も上映はないらしい。

 

2015-12-26

初日 / 最高殊勲夫人

 
 
本日の映画/映画館。このところ夜の外出の頻度を減らしているせいか、映画館、久しぶりのような気がする。若尾文子映画祭、アンコール上映初日。夏、何度通ったかわからない角川シネマ新宿、4階に着くと人でごった返し熱気がすごい。それもそうよね、若尾文子さんの舞台挨拶があるんですもの!
 
 
 
 
 
舞台挨拶から「最高殊勲夫人」上映の回。さらっと挨拶するだけかと思えば、夏に出たインタビュー本(まだ読んでないけど評判が良いので楽しみ)の著者でもある共同通信の方と、若尾文子さんの対談形式で時間もたっぷり。最前列端っこの席に座っていたので、私の右30cmのところを通過して登壇された若尾文子さんは着物姿。聞き手がきっちり話を受けて繋げる方だったのでトークの内容も大充実。こういうのって聞き手の力量こそ大事よね…と思う。
 
・「最高殊勲夫人」の演出はセリフをとにかく早く言うことを求められた。
 
・「今観てみると、私の顔はなんだか若くって間が抜けてるわね」
 
・(川口浩さんとは共演が多く)「おぼっちゃん役が多いけど、さっぱりしててセリフもしっかりしてて。当時は朝から晩まで撮影で、たまに早く終わると私が車を運転して川崎敬三さんや浩さんを乗せ、銀座まで行って喫茶室でお茶を飲んだりして。リフレッシュだった。みんな同じ気持ちなのか、同じ喫茶室に岸恵子さんもいらしたりして」
 
・「とにかく朝から晩まで。撮影が伸びると撮影所の床で寝転がったりして。高いところに足場を組んで照明さんがその上にいたけど、照明さんも疲れてるから、明け方に照明さんが上から落ちてきたりして」
 
・(車の運転が好きで)「いろいろな車に乗ったけれど、どれも黒川(紀章さん)が買ってくれてたのですけど、60歳を最後に運転をやめることにして、最後に乗りたい車に乗ることにして、ロンドンでかっこいい男の人が乗っているのをよく見かけていたので、ベントレーにした。どうしようかしら、と思ったけど、届いちゃったから乗ることにして、でも大きな車で…三越劇場なんて駐車場に入らなかったりしてねぇ…」
 
・(大映映画は)「永田雅一さん(大映社長)が制作の映画は制作費が高い。そうじゃない映画もたくさんある」
 
・(最近の日本映画は)「若い人向けの題材が多く、私に演じられる役があるのかしら。フランスなんだかと老婦人、といった感じで私ぐらいの年齢の人が出てくるけど、日本の映画だとお婆ちゃん、だけですから」
 
・(お正月は)「同じマンションに石井ふく子さんや奈良岡朋子さんが住んでいらして、毎年石井さんからお誘いがある。今年はどうかしら?と思っていたらお誘いいただいたので、京マチ子さんも一緒にお雑煮を食べに伺います」
 
 
そして最後に会場に挨拶を、と促され「良いお年をお迎えください」と、あの声でおっしゃったので、なんだか良い年を迎えられるような気がする…!「最高殊勲夫人」の前の回、「しとやかな獣」上映後の回の記事がこちら
 
 
 
そして始まった「最高殊勲夫人」は1959年、増村保造監督のロマコメ。それぞれ兄、姉が2組続けて結婚したから、3組目にはならないぞ!と、川口浩と若尾文子が結婚しない宣言をするのだけど、お互い実は好きだから最後には…という結婚式で始まり結婚式で終わる映画。とにかく2人がこの上なくキュートで大大大好きな映画、もう何度目だろうか。今日は若尾さんのお話を聞いた直後だったので、冒頭の「制作」から注視していたのだけど…永田雅一じゃなかった。制作費、高くないんだなぁ。でもそれほど制作費かからなさそうな映画ではある。
 
 
2人がどんどん素直になっていく過程が可愛くてニヤニヤ見守ることに加えて、当時の東京の会社員・OL生活が細かく記録されているのがとっても楽しい。川口浩の月給は2万円弱。秘書の若尾文子は8000円。ランチは100円。文子パパ(宮口精二!)が勤める冴えない会社は新橋にあって、丸の内に憧れてる。その会社ではランチタイムにOLがメザシを焼いて食べてた。昼休みは屋上でバドミントンなどして体を動かす。夜はトンカツ、ビール、スキャンダルという名前のバー、ロカビリー喫茶。会社の重役が浮気しようとして旅行先は鬼怒川温泉、熱海。定年した文子パパは別の会社に嘱託で勤めることになって、人手が足りなくてしょうがないテレビ業界。これからはテレビ時代ですからな!OLの楽しみは昼休みにお汁粉やあんみつを食べること、関心は優秀な男子社員と結婚できるかどうか。2人の恋の成り行きを見守る他に、これだけのディティールが同時にわっと目に飛び込んできてどれもこれも興味深いから目がとっても忙しい。スクリーンで見ているからなおさら細部までしっかり見えて。
 
 
はぁ、何度目か忘れるほどの「最高殊勲夫人」今回もしっかり面白かった。デジタルリマスターの美しさはいまいちよくわからんなかったけど、つやつやの若尾文子と川口浩をスクリーンで観ることができてやっぱり感無量だった。

 

 

 

2015-12-25

un journal




周回遅れながら、年明けのスターウォーズを楽しみに、episode4〜6→epsode1〜3と、制作年順に観ており、現在6まで観たところ。地名や人名があれこれ出てくるからややこしいかと思いきや、筋書きはとてもシンプルで、ぼんやり観ていても最後にはきっちり作品世界を体感できるのがいいわ。老若男女それぞれ楽しみを見つけられるからみんな熱狂するのだろうなぁ。

私はといえばR2-D2(写真右下)の可愛さに夢中。ピコピコ機械音しか発しないのに、ちゃんと感情があるのが素晴らしい。胴回りがどっしりしてるのも可愛いし、時折ズタボロになるのも良い。去年は「インターステラー」でTARSに夢中だったから、ロボット萌えの傾向があるのかもしれない。


そして、007を観た時に予告篇を観たのだけど、なんなのこの可愛い子!と、数秒観ただけで釘付けなのが新作で初登場するBB-8。



2〜3頭身で、お腹がぽっこりしてて、ちょっと動きがペンギンっぽいの。新作を観たら私はこれに夢中になるであろう。今使ってるTARSのiPhoneケースももうボロボロだし(あの映画の最後のほうのTARSのようにボロボロで、それがまた萌える…)、次のケースはR2-D2かBB-8にしようかな…。

2015-12-24

Christmas in Connecticut

 
 
クリスマス間近に家でぬくぬく観るクリスマス映画・第2弾。「クリスマス・イン・コネチカット」、1945年の映画。昨日の「7月のクリスマス」繋がりでもあるのだけど、今年観て最高だったスタージェス「レディ・イヴ」主演のバーバラ・スタンウィックという女優さんが大好きになり、出演映画を探してるうちにクリスマス映画を発掘。「7月のクリスマス」と違ってこちらはオープニングからクリスマスソングが流れる純粋クリスマス映画。
 
 
戦場で傷を負った兵隊が病院で、帰還後、美味しい手料理を食べることを夢見る。そこにあった雑誌に登場する料理研究家に目をとめ、こんなの食べたいなぁ…と。その料理研究家こそバーバラ・スタンウィック。料理研究家としてのキャラ設定は、農場で暮らす、夫も生まれたばかりの子供もいる主婦だけど、それは真っ赤な嘘で、実は彼女は独身生活を謳歌し料理なんて何もできないニューヨーカー。全部周りがお膳立てしてくれているだけの虚像なのである。出版社オーナーがクリスマスに殊勲兵を招き彼女が料理を振る舞うという企画が決まったものだから、慌てて夫と子供を調達するのだが…という物語。ドタバタしながら夫と農場と子供を調達してくるくだりが可笑しい。農場の周りの新生児が生まれたばかりの家に声をかけ、借りてくるのだけど、1泊2日のそれぞれの日で、手違いで借りる赤ちゃんが違ってしまい、女の子から男の子に変わってしまったり、それを「病気だから!」と勢いで乗り切ったり。
 
 
 
反目しあう男女が紆余曲折を経て結ばれる、不都合を隠して嘘に嘘を重ねるけど最後に素直になってハッピーエンド、など、ロマコメはざっくり分類してもそれほどバリエーションは多くないけど、こういうの、アメリカのお家芸、伝統芸能という趣がある。疲れて心身くたくた、という時でもロマコメなら観られるのは(早く寝ろ、という話だけど)頑張って筋書きを追わなくてもいいから頭のコリがほぐれるのだろうな。
 
 
この映画が日本未公開なのは、バーバラ・スタンウィックはじめキャストが日本人には馴染みがなかったからなのだろうか。スクリューボールコメディと呼ぶには若干キレが足りないと感じるのは、何しろスタージェスのキレキレのを何本も観てしまっているからなのだけど、バーバラ・スタンウィックは「レディ・イヴ」然り、この映画然り、男に依存しない、こういった役柄が似合うなぁ!と、彼女の台詞回しや仕草を眺めるだけで満足した。小股が切れ上がった、という表現がぴったりの女。そしてそんな女を際立たせるのも周りの男たちの度量というもので、その点、この映画の俳優たちは少し相手不足だったのかもしれない。けれど、キッチンでフライパンを構え、パンケーキを勢いよくひっくり返す、「女は女である」でアンナ・カリーナも挑戦していたあの動きにバーバラ・スタンウィックも挑戦しており、パンケーキをひっくり返すバーバラ・スタンウィックを眺められるだけで、じゅううぶんに楽しい1本なのだった。

2015-12-23

Christmas in July

 
 
映画というテーマ縛りで、毎日書く。という自分との約束のもと、去年の冬至からリスタートしたこの日記、1年間続いた。書くことがなくて困るということもなく、案外できるものですね。旅日記などを挟むからなのだけど、365日書いても観た映画をすべて記録できているわけではない事実にあわあわ。自分にとってアーカイブとして機能するものなので、SNSは飽きたら躊躇なくやめるとしても、日記は続けようと思っておる。書いている間は完全に自分の世界だからということなのか、忙しい時ほど隙間を縫って書く時間はセラピーのようだった。日課の効能、というのは多分にあると思う。
 
 
最近は家で映画を観る比重を増やしつつあり、クリスマスに因んで観たうちから1本。1940年、プレストン・スタージェス監督「7月のクリスマス」。
 
 
コーヒー会社で働く若く貧しいカップル。男は賞金狙いで別のコーヒー会社のスローガンコンテストに応募。選考が難航し結果発表がグズグズ遅れる中、同僚のいたずらで大賞受賞の電報が届く。浮かれた彼は恋人に指輪を、ママに夜はベッドになるソファを、近所の子供達にプレゼントを買うのだが…という筋書き。
 
 
70分に満たない中篇ながら短さを感じさせず、物語がどんどん展開するのはさすがスクリューボールコメディの名手。お得意のコメディ要素もありながら、背景に当時の深刻な不況や、金銭や名声を前に態度を翻す人々への皮肉も織り込んであり、スタージェスの名作「サリヴァンの旅」も彷彿とさせる。スタージェスのスクリューボールコメディは必ず、何かが派手に破壊される場面があるのだけど、所々そんな描写もあって、短いながらスタージェス要素がしっかり詰まっている。ざっくりした印象では、ルビッチの洒脱な部分は弟子であるビリー・ワイルダーに受け継がれ、ただしワイルダーはあまりに巧みすぎて時々まとまりすぎの印象も受け、そしてルビッチの狂気をさらに煮詰めたのがスタージェス、ただし観る人を選ぶ、という感じ。
 
 
 
 
「7月のクリスマス」、男は2万5000ドルという高額賞金狙いでスローガンコンテストに応募したように見せかけ、彼自身がスローガンを考えることに己の才能を感じており、世に出るチャンスを伺っているのだ。その証拠に小切手を受け取ってみると、自分のためには1ドルも使わず、すべて周りの人へのプレゼントに使う。そんな彼の行動を見て恋人が、若者にチャンスを、と懇願する場面が秀逸で、直前に登場する黒猫を使った伏線はエンドマーク間際に回収されて、数秒黒猫がまた映って終わる、という短さがスタージェスの粋を感じさせた。
 
 
そしてこれはクリスマス映画ではない。冒頭の場面でヒロインは半袖を着ているし、男の帽子もストロー素材だから、タイトル通り7月の物語なのだろう。タイトルは大金を手にした男が近所の子供たちに向けて大量に買ったプレゼントに埋もれながら、7月のクリスマスね、とヒロインが言うセリフに因んでいる。誰かが誰かを思ってたくさんの贈り物を用意する時、それは「クリスマスみたい」と形容されるのだ。ママに送った198ドルのスイッチひとつでベッドになるソファ(スイッチはNIGHT/DAYの2種類)、朝になってベッドを再びソファにする前、はたはた波打って湿気を飛ばしてくれる機能が便利そうだった…!

 

2015-12-22

Movie palaces

 
 
根津教会での「聖なる夜の上映会」では、毎年カフェや古本屋の出店があって、今年は根津だからか、時々行く近所の古本屋が出店していた。上映会にちなんで映画本ばかり。そして面陳されていたこの本を手に取る。
 
 
アメリカの古い映画館についての、写真たっぷりの大判本。ああ、こういうのが欲しかった…!時々Amazonの洋書などチェックしてみるのだけど、中身が見られないので買うに至らない。80年代にアメリカで出版された本。
 
 
 
 
チケットスタンドのバリエーション…!
 
 
 
左はカリフォルニアのAvalon theatre
右はコロラドのCentre theatre
 
 
パリで行った映画館は、STUDIO28やLA PAGODEなど、小ぢんまりと凝った内装だったけど、アメリカのは写真で観る限り、規模の大きさが違うね!という印象。Survivors fo an elegant eraというサブタイトルがぴったり。30年ほど前の本だけど、これらの映画館はどれぐらい現存してるのだろうか。文化遺産級とみなされて保護されてるのかな。 アメリカのAmazonを見ると1ドル以下で古書が出回ってる本らしい。根津教会の出店でも、古書ならではの手頃価格で手に入れた。

 

 

 

2015-12-21

永青文庫 / 春画展

 
 
本日、仕事帰りにそそくさとこちらへ。永青文庫で開催中の春画展、開催のニュースを知った時はいち早く色めき立ったのに(Blogもいくつか書いた)、いつものごとく会期ギリギリに駆け込む悪癖。12/23まで。混んでるという声がちらほら聞こえてきたけど、この機会を逃すと次に観られるのがいつかわからないものね。
 
 
 
 
江戸川橋駅から歩いていく。徐々に道幅が狭くなり、人通りが少なくなり、永青文庫に向かう小径は薄暗い。今晩は半月が冬空に輝いていて、椿山荘の紅葉やイルミネーションの情緒もあり、春画を観るのに最適なアプローチだったのではなかろうか。到着してみると、初めて入った永青文庫も春画を観るのに完璧な環境。建物の趣、階段に敷かれた緋色の絨毯、本棚に並ぶ古書、作品保護のため薄暗く落とした照明。場内は混んでいたけど、何も見えないというほどではないし、全部を完璧に観るには時間が足りなかったけど、そのせいか観終わった今も、春画に対して抱いていた幻想のようなものが、説明され過ぎることもなくふんわりと残っている。
 
 
 
 
展示の構成も巧みで、最初からどーんと男女交合の図を見せるのではなく、そっと着物をたくし上げていく手のようにそろりそろりと始まり、肉筆画、版画、豆判と続き、最後に実は私どものところにも…と打明け話のように細川家に残る春画が展示されていた。版画の展示室が一番混んでいたかな。会期中に何度か展示替えがあったようで、あれは観たい!と意気込んでいたものがいくつか観られなかったけど、いつかまた観られる時までの楽しみに。
 
 
 
 
海外でも見かけたことがなかったので、現物を観るのは初めてで、最初に目にする作品群が肉筆画だったせいでさらに強度があった。最初は「おお!春画!」と総体的に捉えて高揚していたのが、徐々に目が慣れてくるにつれ、あちらよりこちらのほうが好きだからじっくり観よう、という気持ちが芽生えてくるのが面白く、混んでて画家の名前をじっくり覚えるほどの余裕もないのでそのあたりも徐々に気にならず、そうなってくると、単に視覚が好むか好まざるか、という判断になり、その結果、猛々しい線、絢爛豪華な刷り、珍奇な登場人物…より、線がさらりと細く、肉感もさほど感じさせず、季節の花や襖の柄など情緒を感じさせる背景も描かれている、そんな春画を好ましいな、と思って観ていたのだけど、それってそのまま私の異性の好みが反映されているだけなのでは…という単純な事実。この時代に生きていて、たくさんある春画から自分で選ぶとしたら、きっとそのように選ぶんじゃないかしら。絵師や画風がどうこう、というより、単に、あら好みの男だわって。好きだったのは、鳥居清長「袖の巻」や、鈴木春信の絵。
 
 
会場をちらりと横目で観察するのも楽しくて、平日夜ということもあって背広姿の男性が多かったかな。そして展示目録に熱心に書き込んでる男性が、ぐりぐりと鉛筆で絵の名前の余白部分に三重丸をつけているのが目に飛び込んできたのだけど、それって何がどう三重丸だったのですか!何が!
 
 
 
 
「愛のコリーダ」や、鈴木清順の大正浪漫三部作など、春画の世界だわ…と思う場面が多いのだけど、ロマンポルノやAVへの直接的な影響だけでなく、日本家屋に男女を配置する時の構図など、映画への影響も多大なのだろう。そして活動写真だと動きを時間で表現できるけど、交合する身体が現実以上にアクロバティックな姿勢をとるのは、静止画、平面だけで物語を感じさせつつも、観る人の欲望にも応える(観たい部分をきちんと見せる、なんなら拡大して見せる)ためなのかな…と考えたり。あんな体勢、次の日絶対に筋肉痛だわ…。
 
 
観る前から買うことに決めていた図録はぱたんと開く綴りで分厚く、日本で初めての春画展の記録に相応しく、そもそも春画とは、を細かく解説してくれる内容で大満足。ひとつわたくしから進言させていただくとすれば、図録を入れる袋は、透明ビニールではなく、中身が透けない色でお願いします…ということである。以上。

 

2015-12-20

聖なる夜の上映会 / 極北の怪異

 
 
 
根津教会での「聖なる夜の上映会」、今年の映画は「極北の怪異(極北のナヌーク)」、1922年の映画。なのだけど、撮影には何年もかかり1919年に撮影終了したそうで、根津教会が建てられた年と同じ。縁があるのでしょうか…という語りの後に映画は始まった。
 
素敵なチラシから説明を引用すると、監督はロバート・J・フラハティ。
 
 
「ドキュメンタリー映画の父と呼ばれるフラハティがカナダの北極の雪と氷の中で生活するイヌイット、ナヌーク一家を15ヶ月に渡って記録した。失われてしまった伝統を見せるためにやらせの映像もあると言われているが、過酷な自然と共生する家族を捉えた渾身の映像からドキュメンタリー映画という言葉が生まれた。」
 
 
ナヌークは名を馳せたイヌイットで、奥さん、子供たち、犬たちと暮らしている。猟のできる場所を転々と移動し、イグルーと呼ばれる雪でできた家を建てながら動いていく。時々、街の市場に収穫を持って行き売ったり(ハスキー犬の仔犬が売れ筋だとか)、猟で日々の食糧を得て氷点下の地帯で暮らす生活は厳しく、それが彼らの生活で、彼らなりの生活の知恵に溢れていた。
 
 
道具も全て手作りし、それらを使って動物を狩り、皮を剥ぎ、肉を喰らって生きる。そのシンプルでミニマムでハードなこと。獲物の最上級はアザラシで、皮は皮として使え、脂肪部分は燃料に、肉は栄養豊富なのだそうだ。獲物の生態を熟知し、狩るべき一瞬を見逃さない。
 
 
イグルーと呼ばれる家を建てるために、雪の塊を包丁(これも何か動物の牙を使って作ったもの)で切り出し、四角い建材状のものを積み上げ、隙間を雪で埋める。溶けないようにイグルー内部も氷点下を保つ必要があり、眠る時はほとんど裸で家族みんなで皮にくるまれて。あんな寒そうな家で命を保てるのだから、皮を布団がわりにするって、きっと暖かいのだね。着替えの場面のあって、下着の概念はないらしい。靴も素足にブーツを履く。あのブーツはどうやって作ったのだろう。街で買ってきたのかな…?何かの皮のもこもこファーのパンツをみんな履いていて、ファーのジャケットはあっても、ファーのパンツって見たことなかったから、なるほど、暖かそうでいいね、と思った。パンツも膝下丈で、膝下はブーツで覆われている。
 
 
 
 
狩りの緊迫した場面の傍らで子供たちがきゃいきゃい雪と戯れていたり、ナヌークが子供と遊ぶ時は、ただ遊ぶだけじゃなく狩りの練習も兼ねられるように弓矢を構えさせたりして、イヌイットとして生まれて暮らすナヌーク一家の生活、見応えがあった。意外だったのが、彼らは街の市場にも行くのだから、世界にはイヌイットとして以外の生き方もあると知っているようなのだけど、快適で近代的な都市生活ではなく、イヌイットとして生まれたことを当然のこととして受け入れて、過酷な狩りの生活を淡々と送っていることが興味深い。
 
 
そして獲ったばかりのセイウチの肉を、空腹のあまりその場でさばいてむしゃぶりつく場面、味の想像すらつかないけどセイウチの生肉って食べられるのだなぁ。動物性蛋白質を摂取するばかりで穀物も野菜も食べてなさそうだけど、子供はやがて成長して大人になるし、人間に必要な栄養素っていったい…と不思議な気分になった。
 
 
ナヌーク一家は終始ニコニコしてお茶目で、監督、撮影部隊とナヌーク一家の信頼関係が映像から滲み出ている。テレビも普及して久しい現代であれば、世界には様々な人の様々な生活があるのだ、と理解しているけど、1922年当時、映画を観られるレベルに近代的生活を送る人々は、この映画を観てびっくりしたのではなかろうか。
 
 
 
フィルム上映。映写室のような設備はないので、映写機が剥き出しで。小さな会場にカタカタと音が響いていた。もはやカタカタ音にノスタルジーを感じる。
 
 
 
 
柳下美恵さんのピアノは、ことさら映画を強調しすぎず、そっと寄り添う演奏で今回も心地良かった。来年は会場はまた本郷に戻るのかな?年に一度、季節を感じる上映会があって、東京の映画好きとして幸せな気持ち。

 

2015-12-19

聖なる夜の上映会 / 根津教会

 
 
本日の映画館。毎年クリスマスの時期の恒例、聖なる夜の上映会。今年で9年目だそう。私は少なくとも5回は行ってると思う。これまで会場は本郷中央教会だったのだけど、今年は事情があるのか根津教会。徒歩5分の近所!映画館のない我が街に映画がやってきた!ってこんな気分かな。
 
 
 
 
根津教会はプロテスタントの教会で1919年の建築。牧師さんが脱サラして牧師になった異色の方で著書もあり、立川談志さんが近くのマンションに住んでいた縁で毎年、立川流の寄席がある。何度か行ってるのだけど、十字架の前に高座が組んであって、視界がシュール。私は無宗教だけど、長らくキリスト教の教育を受け、「聖書」という授業があったし、期末テストもあり、毎朝礼拝がある学生生活を送ったせいか、時々無性に教会に行きたくなるのは懐古の心情からで、賛美歌も今でもたくさん歌えるし、教会に入れるチャンスをいつも伺ってる。聖なる夜の上映会に行くことは、毎年クリスマスの日は特別な礼拝があったことも思い出し、12月の楽しみな恒例行事。
 
 
 
 
本郷中央教会は規模の大きな教会だけど、根津教会は小ぢんまりしている。小さめのスクリーンがぽつんと中央に据えてあり、右側にピアノがあった。観た映画については明日に続く…!
 
詳細はこちら

 

2015-12-18

un journal

 
 
スターウォーズは年明けに観るつもりで緩く約束中。過去作の復習をこれからするのだけど、ファントム・メナスだけ借りられない。「インターステラー」を観た後しばらく宇宙熱が持続したけど、また再燃するだろうか。
 
 
ということを、誠光社のinstagramで知った平凡社 STANDARD BOOKSという新しく刊行されるシリーズのラインナップを見て、この本に興味を持ち、つらつら宇宙のことを考えてみるなど。新書サイズでハードカバーなのだそう。抱影という美しい名前はペンネームらしい。ネーミングセンス皆無なので、こんな美しい名前を思いつける能力がただ羨ましい。
 
 
 
友達に「もうプレゼントのネタも尽きたから、自分では買おうか迷うけど、もらったら嬉しい!って物、考えてリクエストして!」って言われた。真っ先に思い浮かんだのは宇宙の図鑑だった。候補その1としてみる。

 

2015-12-17

un journal

 
 
東京国際映画祭で見逃したフレデリック・ワイズマン「ジャクソンハイツ」がアメリカで公開されているようで羨ましい。ワイズマンの映画、文化村マダムが喜びそうな題材…バレエとか美術館とか…以外のロードショー公開はやっぱり難しいのだろうか。また特集上映の時にひょっこりラインナップされるのを待つしかないのかなぁ。現役の映画監督の中で好きな人Best5に入るのではなかろうか。長生きしていただきたい。
 
 
こちらのBlogでの紹介がさすがに素晴らしかった
 
この日記にあるワイズマン・メモは
デパートが舞台の「ストア」
マイアミ動物園を撮った「動物園」
そしてデビュー作、精神病院を撮った「チチカット・フォリーズ」満席立ち見だった!
 
とりあえずソフト化されている、美術館やバレエのを観ながら新作公開を待つかな。そしてワイズマンの影響を受けている想田和弘監督の新作「牡蠣工場」はもうすぐ公開されるので観に行くつもり。

 

2015-12-16

un journal

 
 
 
友達と007新作を観に行くつもりで1ヶ月前から約束してたけど、体調不良により延期に。改めてスケジュール合わせ、金曜夜にいったん決まり、上映スケジュール調べてみると、金曜夜、東京の巨大スクリーンはどこもスターウォーズ先行上映に占拠されており、ジェームズ・ボンドは押され気味。あわててパズルのようにお互い予定を組み直し前倒しに。
 
 
007にスターウォーズ、大作目白押し、お正月興行の香り。年が明けると賞レースに絡む大作が異国から伝来するのである。毎年この時期になると大スクリーンの映画館を目指すのも時節柄というもの。「ゴーン・ガール」「インターステラー」を観てからもう1年、と思い出すと、遥か昔のことみたい。
 
 
ボンドガールがレア・セドゥ、モニカ・ベルッチということ以外に新作について何も知らないけど、偶然見つけたこのニュース、動画観てとろけそうになった。8歳のプチ・ボンドもキュートだが、小さなタキシードにアイロンかけるジェームズ・ボンド!
 

2015-12-15

TIFF2015 / カランダールの雪

 
 
東京国際映画祭の記録。15本目。コンペから「カランダールの雪」。トルコ映画。去年のコンペで観たアゼルバイジャン映画「ナバット」を思い出す、世界のどんな場所でも人が暮らしていて、またそれを映画にする人がいるのだなぁ、と思うような風景を眺める時間。いろんな国の映画を観たいと思いながらも、自分が選ぶ映画は都市生活者が小さな人間関係の中で右往左往する映画になりがち(ホン・サンス的な…)なので、このような映画を観られることは映画祭の歓びのひとつ。
 
 
トルコの山岳地方、ゴツゴツした岩肌の険しい一帯の掘立小屋のような、電気もない家で暮らす貧しい家族。父親は鉱脈を日々探すが、見つからない。かつて掘り当てて一儲けした過去があるようで、過去の栄光にすがっているようにも見える。家族たちは呆れる。いよいよ困窮した父親は家畜を闘牛に出場させるが、一攫千金の夢は虚しく消える…。作品解説はこちら。
 
 
 
 
観ることに意義があるように思っていたので、気にいることまで期待してなかったけど、観ることにして良かった。最後に提示される希望の静かでさりげないこと!あ⁈と思った瞬間に映画が閉じて、エンドロールを眺めながら余韻に包まれた。途中、家族たち(主に女性)が父親の不甲斐なさを攻め立てるのを、わかる、わかるよ。でも、この家族で唯一、働いてるのはお父ちゃんなんやで。毎日遊びに行ってるんとちゃうねん。険しい岩肌登ったりして頑張ってるねんで。と擁護したくもなり、しかし結果に結びつかないもどかしさとの間に板挟みになり、という時間を過ごした後の最後の光。ああ、世界は厳しくも優しいなぁ…!と小声で叫びたくなるというもの。
 
 
夕焼け、雪、グロテスクなほど大量の蝸牛…時間をかけて撮ったのだろうな、と思っていると、4年かかったらしい。Q&Aで聞くことができたコツコツした制作過程は、この映画に流れる時間そのもののようだった。
 
 
 
監督、俳優陣、脚本…だったかな?彼らの国の諺(トルコと思われる)に、「探したものは見つからない、見つけたものを探したことになるのだ」というものがあるそうで、まさにそれを物語にした映画と言える。何度か上映されたうちの最終上映だったと思うのだけど、スクリーン7のスクリーンであの景色を観てみたかったな。

 

2015-12-14

TIFF2015 / 今は正しくあの時は間違い

 
 
東京国際映画祭の記録、14本目。ワールドフォーカス部門からホン・サンス新作「今は正しくあの時は間違い」‼︎ 金曜昼間の上映だったのだけど、この1本のために仕事をぐぐっと押し寄せて有給を取った。上映は何度かあるけど、ヒルズのスクリーン7でかかるのが金曜昼間だけだったのだもの。スクリーン7!あの大きな、大好きなスクリーンでホン・サンスを観られる日が来るとは… 角川シネマ新宿の極小スクリーン(布団部屋と呼んでる)でしか会えない人だと思ってた。そして金曜昼間なのに同じ想いの人々が集ったのか、ほとんど席は埋まっており、かなり前列で観ていたので、大人数のクスクス笑いが時折、漣のように起こっては消えていくのを波打際で心地よく感じながらの鑑賞。最高。ミニシアター系という言葉は興行側の勝手な都合で、すべての映画は大きなスクリーンで上映されるために作られてると信じて疑わない。
 
 
ホン・サンスといえば、韓国の地方都市、映画監督、偶然出会う美女、酒… 新作ももちろん全部盛りであった。何かひとつ欠けてもホン・サンスの映画にならないのであるよ。作品解説はこちら。
 
 
 
反復しつつズレを生むいつもの作風ながら、今回は前半・後半のパートに分かれていることでその手法が特にわかりやすかった。まるで2つの中篇から成る1本の映画のように、ハングルで書かれたタイトルが2度登場するのだけど、前半は「あの時は正しく今は間違い」、後半は「今は正しくあの時は間違い」と書かれているらしい。監督と美女が出会い、カフェに行き、食事し、別の人々と合流し、夜の街を歩き、次の日大学での講義と上映、という時間の流れが2度描かれ、それぞれの場面での微妙な差異によりまったく別のエンディングを迎える。誰もが一回性の時間を生きるしかないけど、もしも、あの時はああしていたら、ああ言っていたら、違う結末になっただろう、ということは山ほどあって、誰の人生でもこんな物語は作れるのだろうな。テレビでよくある真ん中で分割されたスクリーンで並べてわいわい観てみたい。そしてどちらの結末も切なくて、それが2人の避けられない成り行きのようだった。キム・ミニという女優さんは、ホン・サンス映画で初めて観たと思う。韓国芸能界において、次々と浮名を流す恋多き私生活の女性とのことで、あぁ、なんだかそれは想像できる!ホン・サンス映画のヒロインで最も色っぽい人ではなかろうか。公開されたら、また彼女に会いに映画館に行きたいわ。
 
 
ホン・サンスはいつも、彼がこだわって説明せんとする感覚を(講義の言葉を借りると「ラインを引くことからこぼれ落ちるものの中に面白いものがあるかもしれない」だろうか)、独自のロジックで映画にする印象があるのだけど、感覚は過去の映画からブレがなくて、ロジックは毎回更新しているように思う。熱心なファンの中にも、いつも同じという人もいれば、同じようで全部違うという人もいて、私は後者。「自由が丘で」の来日の際に聴講した講義で、最後に登壇された加瀬亮さんが、脚本は毎朝書いて渡されるのだけど、そのように書かれたとは思えないくらい、これまで触れたどの脚本より美しい、と言っていたのが、もっとラフな作り方なのかな、と思っていたので意外だったのだけど、台詞に至るまで、どうやって頭の中で映画を組み立てているのか興味ある。講義の時も、紙にペンで図をいろいろ書いて説明していたけど、ああいうものの積み上げで映画ができていくのかな。
 
 
去年の冬に聴いた講義は、これまで映画について聴いた講義の中で一番面白かった…
 
↑これとは別にフルバージョンの書き起こしたがあったはずなのだけど、探せず…と思っていたら、過去の自分の日記にあった。
 

 

 

 

 

2015-12-13

TIFF2015 / FOUJITA

 
 
東京国際映画祭の記録、13本目。コンペティションから日本映画「FOUJITA」。小栗康平監督の久しぶりの新作。画家・藤田嗣治のパリ時代、日本時代。オダギリジョー演じるフジタが髪型、眼鏡など再現度高い!と話題になっていた1本。それぐらいしか前知識がなかったので蓋を開けてみると加瀬亮も出ていて驚いた。作品解説はこちら。
 
 
 
 
映画祭も終盤、朝一番の上映だったので、静かな映画で寝てしまうかと思えばそうではなかった。後半から終盤にかけて煙に巻かれたように物語が閉じるのが小栗監督のイメージどおり。物語がわかりづらくて公開されると評価は分かれるのだろうな、と思っていたら実際そうみたい。私は日本映画の粋を集めたような映像表現にうっとりした。フジタの絵画自体は、何度も美術館で観ているけど、それほど好きな画家でもないので、彼の絵よりもこの映画の映像のほうが好みだったかもしれない。活き活きしたパリ時代の描写より、日本時代のほうが色彩も好みだった。そんな画面にオダギリジョーも絵画に描かれた人物のように馴染み、演技云々というよりただ映っているだけでいい、と思わせる佇まいで、他の俳優たちもそのように選ばれたのではないかしら、と思うほど佇まいの美しい人ばかりだった。演技では加瀬亮が素晴らしかった。二度目の出征前の夜の長台詞!そもそもフジタに興味があって観ているわけでもないし、実在の人物を描いたとしても一から十まで説明してくれる伝記小説のようなわかりやすさを求めているわけでもないので、使う感覚の中では視覚をもっとも使って映画を観る私としては、映像だけで観る価値があった。
 
 
 
 
Q&Aで興味深かったのは、映画の企画は監督の発案ではなく、他からの提案によるもので、監督はフジタについてそれほど関心があったわけではない、ということ。実際に絵を観たり、エピソードをたくさん読んだけど、それらをいったん捨て、絵に出会った時の感覚をもとに映画を作った。絵には静けさがあり、エピソードの騒がしさとまったく違うものだった。エピソードはフジタ像をつくるための引用というより、フジタを感じられる断片をピックアップしたのみで、伝記映画ではない、と。
 
日本の村についても、史実では実在の場所があるけど、架空のF村という村を設定し脚本にした。どんな日本の村を用意すればフジタは日本と出会うだろうか、と右往左往しながらF村として撮った、とのこと。
 
そして加瀬くんはすごくいい俳優で台本を渡した後、マネージャーを通じて長文の質問がきて、何回かやりとりをし、やがて監督がもういいよ!と言ったとのこと。真面目な役作りで、あの長台詞は加瀬くんじゃなければ言えなかったと思う、とのこと。
 
 
お話を聞きながら、寡作な小栗監督は、1本撮った後、長く自分の撮りたいものを熟成し、満を持して撮る、という人なのかな、と思っていたので、最初は興味対象ではなかった、という言葉が意外ながら、興味対象ではないものを自分の名前で撮るためのアプローチに小栗監督らしさがあって、それがそのまま映画になっている、という流れが興味深いな、と思った。そしてFOUJITAって何故FUJITAじゃなくFOUJITAなのかしら、と思っていたけど、FOU(=crazy)ってことなのね?パリでFOUFOU、と呼ばれているのを聞いていまさら膝を打った。

 

2015-12-12

Today's theater

 
 
今日の映画/映画館。「ハッピーアワー」楽しみにしていたので初日に。なにしろ全3部・5時間17分あるので、そして終了後、下北沢へ監督のお話を聞きに行ったので午後はずっとこの映画の時間。最後に行ったのがいつだったか忘れるほど久しぶりに下北沢に行き、監督の話はとても興味深かったけど(お話上手)、場の空気感が苦手な感じで、やはり下北沢、ほとほと縁のない街であるな。長さを感じないから良い、というものでもないけど、今年はたくさん長い映画を観た中(2月のSHOAH遠足が懐かしい)、この映画は最も時間の長さを感じなかった。物語が展開する第3部より、第2部の後半が好きだったな。あれこれを書いた後にまた思い出して何か書く。師走の時期に5時間超えは薦めにくいけど、鑑賞というより体験に近く、体験して良かったな、と思ってる。「ヴィクトリア」といい「ハッピーアワー」といい、映画に流れる時間って何なのだろうか。
 

 

2015-12-11

2 automnes 3 hivers



イメージフォーラムのサイトをチェックしていて、あの映画が公開されることを知った。「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」、去年のフランス映画祭で観たのだけど、その時は違う名前がついていた。ヴァンサン・マケーニュの出ていた映画ということは覚えているけど、物語の細部は記憶しておらず、しかしアパルトマンで電話をかける彼の背後にブレッソン「白夜」のポスターが飾られていたことは覚えている。「白夜」のチラシを気に入って私も部屋に貼っているから、一緒だな、と思った。デザインは違うけど。ポスターの前でヴァンサンは知り合った女性に電話をかけ、その不確かで落ち着かない仕草は、「白夜」の登場人物たちを思い起こさせた。


物語が記憶から去ったあとに、ひとつのイメージだけがぽつりと残っている、という記憶の仕方も、また良し。

2015-12-10

TIFF2015 / A monster with a thousand heads

 
 
東京国際映画祭の記録、11本目…?カウントがもはや曖昧。写真はヒルズで撮ったものだけど、私は新宿で観た、コンペから「モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ」。作品解説はこちら。メキシコ映画。
 
 
去年のコンペでかかったのを、今は亡きシネマート六本木のアンコール上映で観た「ザ・レッスン」のような、社会的立場の弱い人物が些細なきっかけで転落しそうになり、もがく。というような物語だと事前に読んでいたので、「ザ・レッスン」をとても楽しんで観たから楽しみにしていたのだけど、この映画は今ひとつ乗り切れなかった。「ザ・レッスン」はよくできた映画なのだな。
 
 
診療中の夫が重篤になり、主治医や保険会社に迫る物語なのだけど、私のメキシコ映画経験値(ゼロに近い)ゆえ彼らの生活水準を読みきれていないのか、いやいやそれはメキシコゆえの、ということもなく世界普遍的な家庭の描写だったでしょ、と思ったり、とにかく彼らが困窮している、という映画的説明が弱く、そのせいで要求がエスカレートして暴走していく過程も、ただのモンスター級クレーマーにしか見えなかった。タイトルにあるモンスターってあの奥さんのことかしら…と思っていたら、頭ばかり多くて誰も責任をとろうとしない社会や大企業のことを指している(と何かで読んだ)らしく、は?クレーマーに絡まれた不運な人たちにしか見えなかったのだけど?と思ったりもして。つきあわされる息子くんがひどく気の毒に見え、最後に「次は…銀行かな」と母親がジョークのように言うセリフがまったく笑えず、メキシコの銀行の人々、気をつけて!としか思えなかった。
 
 
というのは、私は何かを見落としたのだろうか。そしてコンペでは、は?と思うような映画でも、その後のQ&Aで背景を知って補足されるケースもあるけど、新宿会場だったからかそれもなし。タイ映画「スナップ」を観た時、映画の中の疑問が、Q&Aで驚きの解決に至り、映画祭体験の醍醐味だけど、多くの場合、映画は映画単独で観られるものなので、ちょっと反則的鑑賞だったかな、とも思った。この映画は私の中で永遠に、モンスターはどっちやねん映画として記憶される…。

 

2015-12-09

Today's theater

 
 
カレンダー眺めて今年の残りの出勤日を数えながらあわあわしていたのに、よし…明日の私、頑張れ!とばかりにそそくさと切り上げ目黒シネマへ。仕事帰りに目黒に行く、という行動が初めてすぎて山手線、反対方向に乗ってしまった。原宿で気づいてよかった。
 
 
今年の2本立て、ベスト番組はシネマヴェーラでの「雨に唄えば」→ルビッチ「思ひ出」を超えるものはあるまい。しかもその夜、東京は小雨が降ってたのだぞ。と思っていたけど、「トニー滝谷」「つぐみ」の2本立てが超えるかもしれない。しかし私は1本づつ観たので、続けてみるとどうかな。市川準と女優たち、という特集の文学篇、原作は村上春樹、よしもとばなな。女優にも文学を映画化することにも目配せの効いた見事な2本立てだと思う。
 
 
「つぐみ」を過去に観ただろうか。1990年の映画で、映画館に友達と誘い合わせて行ったり、一人で通ったりするのはもう少し後のことだから、映画を観る私としての物心がつき始める前の映画で、90年前後の映画は案外見落としている。1990年、牧瀬里穂は「東京上空いらっしゃいませ」で映画デビューした後、同じ年に「つぐみ」に主演しているのね。1990年のあらゆる煌めきを集めて1人の新しい女優の全身に惜しみなく降り注いだような煌めきっぷり。生と死の間に位置しながら、誰よりも生を感じさせる存在を演じて、この2本の映画は共通項があるように思う。
 
 
しばらく置いて「トニー滝谷」もあわせてまた何か書こう。目黒シネマでフィルム上映、金曜まで。見逃さないで!と拡声器で叫びたい。

2015-12-08

Cinema memo : 師走・追加

 
 
海に浮かぶ映画館、座席の横の配線と錆。ええわぁ。昨日、機会を見つけて「息を殺して」を観たい、と最後に書いたら、uplink恒例?の、見逃した映画特集でかかる、というタイミングの良い情報を得た。去年はこの特集で「FORMA」や「サッドティー」を観て、助かる特集!と感激していたので嬉しい。観られることになってようやく「息を殺して」のあらすじを読んでみたら、2日間の物語で、明日は大晦日、というセリフもあるらしい?ので、12月30日にかからないかしらん。まだタイムスケジュールは出てないけど。
 
 
今日は「ハッピーアワー」の前売りを購入。以上、師走の映画メモに追加。何を書いてたのか忘れたけど、明日から映画祭記録に戻ろうかな…。

 

2015-12-07

夜来風雨の声

 
 
横浜のどこか、海に浮かぶ映画館で観たのは、五十嵐耕平監督「夜来風雨の声」。今年上映していた「息を殺して」気になってたけど、見逃してしまったな。日本映画なので、またどこかでかかると期待。
 
 
【あらすじ】

天野と稲葉、若い二人は一緒に暮らしている。 稲葉が仕事を失っていたために二人の生活は厳しかった。それでも彼は仕事 をせずに、夜になれば外を歩き回っている。友人に会ってちょっと奢ってもらったり、煙草売りに詩を教わったり。でも天野は何も言わない。稲葉のことをただ見守っているのだった。そんなあるとき稲葉は友人に 「病院で良い仕事がある」と聞かされる。

 

 

あなた、を指す言葉、英語のyouが複数ある言語はいくつかあって、中国語では你と您、仏語ではvousとtu、您→你、 vous→tu、距離が縮まるにつれ移行する瞬間があるということが面白い。ジャン・ユスターシュ「ママと娼婦」は何故か、恋人同士がずっとvousを使って会話していて、五月革命の頃、乱れた仏語を正すべく若者の間でvousを使って会話するのが流行した、というのを何かで読んだ気がするのだけど、出典がわからない。「ママと娼婦」、ほとんど部屋の中で男女が会話してるだけの映画を4時間以上、何が面白いのかさっぱりわからないけど、確かに面白い。面白みを感じている自分を発見するというのか、あの映画を観た時の感覚を「夜来風雨の声」を観ながら思い出し、自分が何を観たのか定かじゃないけど確かに面白かったのは、天野と稲葉、若い2人が3年も一緒に暮らしながら、何故か終始敬語で話していたのも理由なのだろうか。

 

 

それから稲葉という男の、得体の知れない、謎の愛玩動物のような仕草や表情も面白かった。可愛いから許す、無職だけど。というような、母性本能くすぐり系というわけでもないのだけど、まだ学名も与えられていない謎の生命体Xに出くわしたような気分。稲葉という男は、本名も稲葉という名前の映画監督でもあるらしく、上映後のトークに登壇されたのだけど、本人の印象と映画の中の印象にあまり差異はなかった。監督も俳優たちも私より少し下の世代の人々なので、よく知らないだけで、その世代の平均的男性像なのかもしれない、と思ってみたりもしている。ベランダに置いてある洗濯機の音が不用意に大きく録られている気がして、その洗濯機の裏側のちょっとした隙間にすっぽりはまりながら、メモ帳とペンを持っている稲葉なんて(応募するための詩を書こうとしているのだと思うのだけど)謎の愛玩動物の萌え仕草、という感じだった。

 

 

最近の、新しい映画で時々、起承転結の起→承ときて、ここからどう物語が転がるのかな…と見守っていると、ぷつりと終わる。というケースに出会うのだけど、この映画も不思議な時間の流れ方を見守っているうちに、ぷつりと終わったような気がして、しかし起承転結がきっちりあるからといって、映画の体を成す、というわけではないのだな、と腑に落ちるものがあった。新しい種類の、しかし「映画」を観たという感覚は、身体に残った。

 

 

上映前、この映画は「息を殺して」への繋がりも感じられる映画です、という説明があったように思うので、機会をうまくつかまえて観てみたい。

2015-12-06

Today's theater

 
 
今日の映画/映画館。目黒シネマで市川準特集。「トニー滝谷」をフィルムで観た後、宮沢りえさんが登壇されて犬童一心監督と対談するイベントへ。しかも整理券をとって、上映までの間、ぴったり時間が合ったので渋谷に移動してオリヴェイラの「アンジェリカの微笑み」を観るという映画濃度の高い日曜。言葉がすぐに出てこない。贅沢すぎて消化できぬ…。
 
 
市川準特集は、犬童一心監督が企画、「トニー滝谷」を入れたのは「僕が観たかったから」とのこと。今日はイベントのため2本立てで観られなかったけど、「つぐみ」との2本立て。来週も金曜まで続く。「つぐみ」も観たいなあ。映画館でかかるの何気に珍しいのでは。

2015-12-05

海に浮かぶ映画館


 
 

仕事の予備日として予定をブロックしていた土日、金曜の深くない時間に無事仕事が終わり(本当に奇跡的に早く終わったので、みんな狐につままれたような表情で)、偶然見つけた映画上映のイベントに、ちょっと珍しい場所へ。

 
海に浮かぶ映画館、という上映イベント。横浜港に停泊する船が、12月の3日だけ、映画館になる。2013年から始まり、今年で3年目だそう。場所は「横浜のどこか」とだけ書いてあり、理由あって秘密にする必要があるようで、金曜夜にメールを送ったら、すぐに返事が届き、最寄りの駅の改札でスタッフの方と待ち合わせ、自分じゃ辿り着けない場所に一緒に歩いて向かう。 海の上、船の中なので、天候によっては波で揺れることもあるらしく、乗り物酔いしやすい人は酔い止めを飲むように、とか、煙草は甲板で吸うように、など映画館とは思えない注意事項あれこれ。場所を特定しないように、写真も外観をとるのはNGで、船内はOKだった。
 
 
しかし、尋ねてもいないのに誰かがその日食べた料理の写真や、口紅のブランドまで目に飛び込んでくる昨今、秘密というものは、かつてないほど甘露なものであるな。と、予約して待ち合わせの約束はしたものの、自分が映画を観る場所も行ってみないとわからない、という事実にうっとりした。
 
 
私が観たのは日本の映画。それについては追って。海に浮かぶ映画館は、明日まで開催。明日は「砂の女」の上映もあるようで。あんな場所で観る「砂の女」!
 
 
詳細の紹介はこちらがわかりやすい