CINEMA STUDIO28

2015-02-28

たけくらべの余韻

 
 
今週は病に臥せて、復帰してからも外出は自重していたので、別の物語で上書きされなかったせいか、「たけくらべ」の余韻に浸っている。熱の下がった頭で思い返すに、東大でのイベント、なんと豪華だったことよ。
 
 
最初の1時間、今回の日本文学全集で「たけくらべ」の新訳に挑戦された作家の川上未映子さんが、朗読を交えながら「たけくらべ」について、新訳についてお話しされた。川上さんが初めて「たけくらべ」に触れたのは漫画「ガラスの仮面」で、「たけくらべ」の演技合戦のエピソードがあるらしく、それを読んで、原文にトライしてみようと思ったけど、難しすぎて挫折。その後、19歳の時、松浦理英子さんによる現代語訳に出会い、一気に読了した後、現代語訳を自分で朗読をしたのを録音し、それを再生しながら原文を読む、という試みをやってみたとのこと。
 
 
その再現、ということか、今回は原文の抜粋が配布され(写真)、川上さんによる新訳の本人朗読を聴きながら、原文を目で追う、という体験をすることができた。現代の言葉に置き換えられた「たけくらべ」は、句読点の数や行数は敢えて気にせずに訳したとのこと(松浦さん訳は、句読点数も原文と同じにしてあるらしい)。だから原文では1行で書かれていることが4行になっていたりする。新訳はイベントの直前にギリギリ読み終えた。記憶の遠くにあった「たけくらべ」が呼び起こされた上に、川上未映子さんによる物語にもなっているところに舌を巻く。
 
 
そして目で追う「たけくらべ」原文の美しさ…!私が初めてこの物語に触れたのは高校生の時で、文庫本の後ろにある注釈と原文をしょっちゅう往復しながら古い文章を解きほぐし、なかなか進まなかったけれど、最後まで読んで、切なさに溜息をついた。雨の中、地面に落とされた端切れの紅色や、最後に軒先にさしこまれる水仙の白。時間が経った今では情景だけが頭に残っていたので、もっと叙情的な文章だったと思っていたのだけど、全然違い、余計な比喩もなく、ずいぶん削ぎ落とされたタイトな文章だったのだな。
 
 
一葉について改めて調べてみて、24歳で亡くなる前の「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる短い期間に産み落とされた小説群のうちのひとつが「たけくらべ」だけれど、貧しさに苦しみ転居を繰り返しながら、師匠のような人を見つけたり図書館にせっせと通ったりの文章修行を続け、生活面での経験もきっちり物語に落としこみ、それが作家というものなのかもしれないけど、何と無駄のない作家人生なのだろう。改めて触れた原文の印象とあいまって、進化したい欲望とエネルギーに満ちた、肝の据わった女性だったのだなぁ、と思う。身体の中にたくさんたくさん物語の芽があって、それを外に出すのに、今の文体では違う、新しい文体を試したい、そんな貪欲なイメージ。だから、年を重ねた一葉が、どんな文体で物語を生んだのか、読んでみたかったな。
 
 
川上さんは訳しながら、活き活きした前半と、最後のトーンが違いすぎることが気になり、トーンを整えるべきか?を悩み、「うちは、家の中にもう一人、小説家がいまして」ということで、旦那さんの阿部和重さん(「きみは赤ちゃん」で「あべちゃん」と呼ばれてたのに、産後のイライラが募る期では「あべ」呼ばわりされてた阿部さん…)に相談したところ「そのまま、以外、何か他にあるの?それが文体というものなのでは?」と即答されたそうで、トーンを整えることをやめたとのこと。訳してみて「文体とは何か?」ということがわかった。ですます調、センテンスといったことを文体といいがちだけど、それは形式であって、文体はそれらも含んだ全部。全部を通して流れている、そのもの。リズム、音、言葉、有機的なもの、生命そのものが、文体なのであって、「たけくらべ」の文体は、整えようのないもの。という実感に至ったとのこと。
 
 
そして一葉について、24歳で亡くなり、悲劇の人、可哀想、と思われがちだけども、一葉のたくましさ、強さのほうを見ていきたい。一葉に比べて、長く時間を与えられたことで、試されていると思う。と、おっしゃっていた。
 
 
私はこの話を聴きながら、文章はもちろん、映画を観ていて、この映画は途中から別の映画みたいになって安定しないな。だったり、なんで最後あんな終わり方なのだろう。と不満に思ったりすることが度々あるけど、それも監督の文体のようなもの、と捉えれば、観る目ももう一歩先に進めるのではないか、と考えていた。
 
 
久しぶりに触れた「たけくらべ」、初めて読んだ時は、美登利の年齢と、一葉の年齢の中間にいて、むしろ美登利に近いほど幼かった。そして全員の年齢をとっくに追い越した今読むと、もうもう、一葉も美登利も、男の子たちもみんな、みんなをわーっと抱きしめたい。なんなのこの物語。書く側は丁寧に叙情を廃してるのに、読む側に長く逃れられない詩情を残す。そういう表現はまさに好みだし、一葉がどんな過程を経てこの文体に至ったのか、「たけくらべ」以降は変化したのか、もっともっと知りたくなった。
 
 
 
 
情景が目に浮かぶ物語だから、映像化したら…を考えてみてるのだけど、やっぱり美空ひばりはちょっと違うな…。子役時代の高峰秀子も違って、現代では芦田愛菜ちゃんなら上手く演じるだろうけど、それも違う気がする。
 
 
生身の人間では誰で妄想してみても違う気がして、ふと、あ、細田守監督にアニメにしてもらいたい。それなら観たい観たい。という結論に今のところ達した。三次元で該当者がいなくて、二次元に正解を求めたよ…。観てみたいなぁ。