CINEMA STUDIO28

2015-02-09

MJ&MM





memorandomで紹介されていたマイケル・ジャクソンの私物コレクションカタログについて、とても興味深く読んだ。





ここのところ、人とモノの関係を撮ったドキュメンタリーばかり観ていたので、タイムリー。ワイズマン「ストア」だって、モノへの欲望を喚起させるための装置が舞台。モノに対する価値観は人それぞれで、持たない派の自分はそうならないとは思うけど、持つ人・買う人にも、自分とはベクトルが真逆で、とても興味がある。


実現しなかった映画の構想を振り返る映画「ホドロフスキーのDUNE」がロマンに溢れていたように、実現しなかったオークションのカタログというのも、それ自体、カタログ自体がロマンティックだな、と思う。イヴ・サンローランのドキュメンタリーは最後、パートナーのピエール・ベルジェが2人で集めたものを全部オークションで売却するシーンで終わった。サンローランの死後、サンローランへの恋文集のような本をベルジェは書き、日本語訳を読んだのだけど、モノは売り払うけど恋文は綴るところに、ベルジェの知性を感じた。これぞスノッブの極み!という文章だった。残ったモノをどうするかも人それぞれ。


と、つらつら思い出しながら、マイケル・ジャクソンについて私が書けることは何ひとつないけど、「THIS IS IT」公開時、新宿ピカデリーに観に行ったことを思い出した。本当に何でも観るんだね・・・と、映画選びの節操なさに周りに呆れられながらも「THIS IS IT」はとても面白いドキュメンタリーだった。


あまりに何も知らないから、ほほー。こんなダンスの上手い人がいたのか。そして亡くなったのだな。と、頭の涼しい子のような感想を持つと同時に、マイケル・ジャクソンに色気を感じている自分に驚いた。私の好みは、顔のパーツが全部、線で書けそうな小作り、華奢、背があまり高くなく、アジア系(例:若い頃の川口浩)。なので、どこにもひっかからないはずなのに、踊るマイケル・ジャクソンを、性的な目で観ていた。


その不思議な感覚には覚えがあった。


すいぶん前、シネマヴェーラで「お熱いのがお好き」を観た時、途中からマリリン・モンローから目が離せなくなり、マリリンとキスするトニー・カーティスに嫉妬すらした。ずるい。その場所は私のものなのに。というじりじりした思い。スクリーンにマリリンが登場するだけで光を纏っているようで、そんな遠近感などない場面のはずなのに、マリリン以外の登場人物が後退して見え、つまり私の視界の中で、マリリンだけがスポットライトを浴びて輝き、マリリンだけが立体的だった。私の好みは例:若い頃の川口浩のような男であって、今のところ完全なる異性愛者だけど、あの時間、はっきりとマリリンに恋していたと思う。性的にも。


興味深いのは、それまで何度も「お熱いのがお好き」を観ていたのに、その日初めてそれが起こったこと。おそらく、スクリーンで観るのが初めてだったからではないか。銀幕でのみ光を放つ女だから、DVDではマリリンに出会えないのだ。


はたして、スターとは?と、考えるとき、まったくそちらに興味がない相手まで、強い握力で無理矢理にそちらを向かせ、薙ぎ倒し、釘づけにし、性的にまで支配する。という存在なのかな、と自分の経験をもって思う。きっとこれまで何百人、何千人とスターと呼ばれる人々をスクリーンで観てきたはずだけど、私の体感がスターとは?に答えるとすれば、マイケル・ジャクソンとマリリン・モンローの2人だけ。


マイケル・ジャクソンは映画的日常にめったに入ってこないけど、マリリン・モンローについては一番好きな女優を聞かれると即答し、スクリーンで観る機会があればいそいそと駆けつけ、少しでも触れられている文献があれば読み漁るという行動をとり続けている。成就することのない片思いのように。