CINEMA STUDIO28

2015-06-30

Une nouvelle amie

 
 
フランス映画祭4本目。フランソワ・オゾン監督「Une nouvelle amie」、amiじゃなくてamie(女ともだち)というのがポイント。邦題は「彼は秘密の女ともだち」。チケット発売日、近所のセブンイレブンで次々とチケット買ってたら、この映画、いち早く前方が埋まって中央あたりを選ぶことに。当初の発表では監督も来日予定だったからかな。オゾン、人気監督なのだなぁ。
 
 
あらすじを引用すると「親友を亡くし、悲しみに暮れていた主婦・クレール。残された親友の夫・ダヴィッドと生まれて間もない娘の様子が気になり家を訪ねると、そこにはワンピースを着て娘をあやすダヴィッドの姿があった。ダヴィッドから「女性の服を着たい」と打ち明けられ、驚き戸惑うクレールだったが、やがて彼を「ヴィルジニア」と名付け、女友達として認識するようになる。パリジェンヌのように美しく着飾った「彼女」と過ごすことが刺激と歓びに満ちた冒険へと変わっていくクレール。とある事件を境に、クレールが選んだ自分らしい人生とは…?」
 
 
俳優が豪華で、クレールはアナイス・ドゥムースティエ、フランスで現在、年に何本も新作に起用される飛ぶ鳥を落とす勢いの女優だそう。ダヴィッドはロマン・デュリス。フランス映画を見続けることは、ロマン・デュリスが徐々に青年期から中年期に移行していくのを見守ることでもある。そしてクレールの夫・ジルにはラファエル・ペルソナ。2年前のフランス映画祭で来日していた、アラン・ドロンの再来と騒がれる綺麗な俳優さん。冒頭少ししか登場しないけど、背後霊のようにずっと物語の後ろに控えるのが、クレールの幼少期からの親友でダヴィッドの妻・ローラ。女2人がいかに一緒に成長し双子のように育ったか、女らしく成長したローラがモテるのを眺めるクレール、親友を男に奪われた嫉妬以上の何かを感じる視線。誰にとっても花のような存在だったローラの喪失によって、ダヴィッドは封印していた女装を再開し、クレールは驚きながらも受け入れていくのは、同じ女性・ローラを愛した、そして失った者同士の連帯があったのだろう。
 
 
途中まで少しグザヴィエ・ドラン「わたしはロランス」に似てるのだけど、「わたしはロランス」は一組の男女の関係の揺らぎに息詰まる気分だったけど、オゾンのこの映画は不在のローラ、クレールの夫など周辺の登場人物がクレールとダヴィッドの関係を掻き乱しながら物語は結末に向けて流れていった。似た設定ながら違う着地の物語になるのは、グザヴィエ・ドランの若さ、フランソワ・オゾンの達観、2人の姿勢の違いだろうか。オゾンの物語は、身近な人の死を経験した2人が、明日死ぬかもしれないなら自分に正直に生きる道を勇気を持って選ぶ、ダヴィッドが先にそんな選択をし、触発されたクレールが追随する、そんな物語だった。
 
 
ロマン・デュリスの女装、美脚だった…。身体の線は細いけど、髭が濃くて顔がややワイルドな人だから、引きで撮られてるととても綺麗で、寄るとギョッとする感じ。ダヴィッドとクレールが徐々に変化するにつれ、蚊帳の外のような扱いを受けるクレールの夫、ラファエル・ペルソナ。悩める2人から見ると夫は悩みなさそうな能天気男に見えてくるのだけど、そうじゃなくて、ただシンプルな人なんだよな。こう言っては身も蓋もないけど、この物語の登場人物でクレールの夫が一番好き…。
 
 
 
そして監督がちゃっかりカメオ出演してる場面があったので、これから観る方には探していただきたい。この写真左の男性がフランソワ・オゾン監督。
 
 
 
残念ながら監督の来日はキャンセルされたとのことで、主演のアナイス・ドゥームスティエがQ&Aに登場。監督の不在を感じさせない聡明な語り口で、いかにも勘の良さそうな人、売れっ子のはずだわ…。
 
 
 
Q&Aからメモ。
 
・クレール役のオファーがあった時、フランソワ・オゾンの映画であることに惹かれ、またクレール役はセリフだけではなく表情や沈黙で演技する部分が多く、その点で自分にはぴったりだと思った。
 
・オゾンの撮影はとても速い。1年に1本撮る多作の監督で、撮影中も、早くアイスクリームを食べたがってる子供のような感じ。
 
・(会場にいた男性から、僕はゲイなのですが、このような物語についてアナイスはどう思うか?との質問に)この映画でのセクシャリティの描き方はコミカルな要素が強いけど、決してセクシャリティを笑いものにするというコミカルさではなく、共にいる共に楽しむという姿勢からのコミカルさだと思う。
 
・ロマン・デュリスの起用は、彼は男性的なルックスなので、このダヴィッドの役で重要な、男性的な要素を備えている。もっとフェミニンに見える俳優はたくさんいるけど、ロマン・デュリスはその男性的な要素の強さがぴったりだった。
 
・ラストの俯瞰のショットは、これはおとぎ話でした、と言ってるようで、オゾンのアイロニー。童話的といえば、クレールが病院で歌う場面は「眠れる森の美女」のようだと思う。
 
 
そしてラストの解釈について。映画はどちらともとれる、曖昧さを含んで終わった。会場からラストについての質問があった時、では会場にいるみなさんの意見はどうですか?と観客に2択から挙手させる呼びかけがあって、観客の解釈は見事に真っ二つだった。アナイスは、どちらの解釈が合ってる、ということではないけど、監督とアナイスの意見は一致し、アナイスはそのつもりで演じた、というほうの解釈で、私もラストを受け取った。クレールは、きっと大きな一歩を踏み出したのだろう、と思ったから。
 
 
「彼は秘密の女ともだち」は、8月公開とのこと。
 
 
-------------------
 
追記。公開され、この映画の結末について検索する人が多いようなので…。
 
 
映画祭のティーチインで、主演女優のアナイスが言ったことには(以下、結末に触れます)。クレールは夫と別れ、ダヴィッドと暮らし始めた…という結末のつもりで、オゾンは演出した、とのことでした。

2015-06-29

Gemma Bovery



フランス映画祭2本目。「Gemma Bobery」は「ボヴァリー夫人とパン屋」という、ちょっとゆるふわタイトルだったので、どうしようかな…と考えつつ、アンヌ・フォンテーヌ監督、ファブリス・ルキーニ主演に惹かれてチケットを買ってみて大正解。ファブリス・ルキーニの若い頃も遡って映画で観ているので(ロメール「聖杯伝説」など!)、フランス映画を観ることは、ファブリス・ルキーニがいかに老いていくかを見守ることでもあるよなぁ。


あらすじを引用すると「ノルマンディーの美しい村を舞台に、パン屋を営む文学好きのマルタンと、奔放でチャーミングな"ボヴァリー夫人"の姿をユーモラスかつ官能的に描き、フランスで4週連続興行成績1位を記録した話題作」とのこと。ファブリス・ルキーニ演じるパン屋は、編集者として働いていたパリを父の死をきっかけに引き払い、父の後を継いでノルマンディーに戻ったという背景。空き家だったお隣に、イギリス人夫婦が引っ越してきて、妻の名前はジェマ・ボヴァリー。フローベール「ボヴァリー夫人」の主人公はエマ・ボヴァリー。少し影があるジェマの言動のひとつひとつに、ボヴァリー夫人のあらすじを重ねてパン屋の妄想は膨らみ、隣家を観察し始める。


もうこれはしょうがない。あんな田舎町にあんな女性が引っ越してきたら、さざ波が立ってしょうがないに決まってる。妄想癖の強いパン屋を責めないであげて。と、頭が暇な時はだいたい何かを妄想してぼんやりする傾向にある私は同類憐れみ、仲間をかばう気持ちでそう思った。ジェマ・ボヴァリーのキャラクター造形も、若き日のドヌーヴのような誰もがひれ伏す絶世の美女、というほどの高みでもなく、美しくはあるけれど凡庸さもあって、英語訛りのフランス語といい、妄想のつけこむ隙間が山ほどある。近くに住むフランス人女性の、躍起になって食べ物を減らしたり過剰なほど運動して痩せぎすな美を保とうとしている姿と対比してみると、野性を感じさせるナチュラルなジェマ・ボヴァリーに村じゅうの男が群がるのもむべなるかな。


そしてルキーニ演じるパン屋の、父の死というきっかけはあったにせよ、文学青年として夢見た人生はうまく送れなかった挫折の背景が、文学から喚起される強い妄想として狭い村の狭い人間関係の均衡を揺るがせていく。


フローベールの「ボヴァリー夫人」は悲劇的結末が訪れるけど、この物語はどう閉じるのだろう…と見守っていると、まさかの!まさかのオチで終わった!アンヌ・フォンテーヌ監督直々に「これから観る人のために、結末の秘密は守ってね」とお達しがあったので書かないけど、パン屋の妄想・暴走傾向が他人事とは思えない私は、自分の妄想癖で他人に迷惑をかけないように気をつけよう…妄想は頭の内に留めておくに限るな、と心を引き締めた。






Q&Aに登壇されたアンヌ・フォンテーヌ監督。元バレリーナ・女優という経歴も納得の美しさ! そして当意即妙な受け答え、お話を聞いて一気にファンに。以下、メモとして記録。


・(監督が)女優をしていた頃、ファブリス・ルキーニに食事に誘われたから、これは…ナンパ?と思ったけど、そうではなく、ディナーの席でルキーニは滔々と「ボヴァリー夫人」について語った。ルキーニは自分の娘に「エマ」と名付けたぐらい、「ボヴァリー夫人」に執着している。そんな本人のユニークさ、セレブリティだけど知的でおかしみもあるところを考えると、文学好きの知的なパン屋、という役を演じられるのはルキーニ以外にいないと思った。


・(この映画をジャンルで括るのは難しいけど)敢えて言うなら、辛辣なキツいコメディー。


・(日本にはルキーニのファンが多いから、ルキーニにも是非来日してほしい。という会場からの呼びかけに)フランスに帰ったら必ず伝えるけど、難しいと思う。ルキーニは飛行機に乗らないから東京に来られないと思う。(船で来る、という方法もありますよ、と会場から言われて)船旅は長く時間がかかるから、船の上で私がルキーニで映画を撮るというのもいいですね。この会場には日本の映画プロデューサーもいるだろうから、是非お金を出してください。


・(会場から、自分は女優でこれからフランスで仕事をしたいと思っている。どうすればアンヌ監督の映画に出られるか、という質問に)フランス語を話す必要がある。この映画の主演(ジェマ・アータートン)はオーディションの時、ボンジュール、アンヌしか話せなかった。撮影開始前、3ヶ月フランスに滞在し言葉や文化を学んで、3ヶ月でルキーニを前に即興で演技ができるようになった。


・(主演のジェマ・アータートンは)彼女の魅力には男であれ女であれ犬であれ抵抗できない、そんな魅力のある人。


・「ボヴァリー夫人」は永遠のアイロニーだと思う。17歳の時に読み、時空を超えたヒロインだと思った。私が形容するなら「林檎の木の下に立って、梨を欲しがっている女性」。


・(「ボヴァリー夫人」はフランスでは一般教養なのか?の質問に)学校で課題として習う本。フローベールはフランス文学のひとつの文体として有名。男性だけど細やかに女性心理を描写するところが素晴らしい。誰もがボヴァリー的要素を持っていると思う。何か、刺激を待っているような。


アンヌ・フォンテーヌ監督は、女っぽさを前面に出さずとも女らしさが醸し出される人で、理知的でウィットに富んだ語り口も素敵で、監督の中の女性性・男性性のバランスがちょうど良く、それが映画にも現れてる…という印象を持った。監督の撮った、エマニュエル・べアール主演の「恍惚」という映画が好きなのだけど、あの映画もこの新作も女性が綺麗に撮られていて、それは男の撮る女、ということではなく、女がこう撮られたいと願っているような撮られ方で、女が女を撮る時の理想形かもしれない。


私は「ボヴァリー夫人」をポルトガルに置き換えて撮られたオリヴェイラ「アブラハム渓谷」が大好きで、あの映画を通じた「ボヴァリー夫人」しか知らず、この「ボヴァリー夫人とパン屋」を通じて初めて、原作でボヴァリーが辿る結末を知った。原作を下敷きにした映画が今のところどれもこれも面白いので、きっと原作も楽しめるのでは…と調べてみたら翻訳が複数あって、これは読みづらい、あれは読みやすい、などいろいろレビューがあった。大きな書店に行って、冒頭1ページでも読み比べてみて一番自分の感覚に合うのを選ぼうかな。長い小説だから、合わないと苦戦しそうだものね…。



「ボヴァリー夫人とパン屋」は、間もなく、7月11日からシネスイッチ銀座などで公開とのこと。

2015-06-28

Beauvoir / Doisneau

 
フランス映画祭、明日まで続くけど私は今日で終了。有楽町朝日ホールで上映されるものに絞って、7本鑑賞。夜遅くの上映(日劇でかかる)を断腸の思いでパスすると、映画祭期間といえども人間らしい暮らしが送れるのね…。
 
 
今日観た「ヴィオレット」は、ボーヴォワールの女友達と呼ばれた作家が主人公で、想像以上にボーヴォワールとの関係が濃密に描かれていた。ヴィオレットがボーヴォワールの実物に初めて会って、こっそり尾行する場面、ドアノーの撮ったボーヴォワールのこの写真そのものの映像で、この写真が好きな私は、おおっ!写真が動いてるみたい(活動写真)!と、ひっそり盛り上がった。
 
 
観た7本はどれもこの後、配給が決まっているものばかり。感想は明日以降コツコツ書く!フランス映画祭、楽しかった、また来年!
 
 

 

2015-06-27

La Famille Belier



フランス映画祭1本目。「La Famille Belier」、主演女優はセザール賞、リュミエール賞で最優秀新人女優賞を撮り、フランスで700万人動員の驚異の大ヒットとのこと。


フランスの田舎町で農業を営む一家。主人公は高校に通う長女・ポーラ。自分以外の家族みんな聴覚障害者。学校の授業でコーラスを選択することになり、ポーラの歌声を聴いた音楽教師が、パリでオーディションを受けることを勧める…という物語。


オープニングセレモニーとオープニング上映はセットなので、セレモニーを観て映画祭気分を味わいたいだけの理由で毎年、上映も観ているのだけど、去年はやや大味な映画だったので今年はどうしようかな…と思いつつ、チケット買ってみたらこれが良かった。聴覚障害の家庭の描き方がステレオタイプではなく、家族みんなキャラが立ってて政治ネタなどさりげなく盛り込み笑いもとりつつ、とてもナチュラル。思春期の少女が成長するだけではなく、彼女の決断によって家族みんなが成長する展開、爽やかだけどベタすぎない。主演女優ルアンヌ・エメラはオーディション番組に準優勝した歌手で、女優としてはこれが第1作なのだとか。彼女の歌声も映画の魅力の大きな要素だけど、ここが聴かせどころ!という場面で思い切った無音の演出があって、ああヌーベルヴァーグの国だなぁ…と感慨しきり。音楽に明るくない私は、物語のクライマックスが音楽や歌の場面にある映画が苦手なのだけど、この映画のクライマックスの歌の場面は最高。そこに至るまでの展開で歌にクライマックスを担わせる必然を感じられたのと、あの歌を聴くためにまた観たい、と思うぐらいルアンヌ・エメラの歌が素晴らしかった。




上映後のQ&Aは監督と主演のルアンヌ・エメラ!オーディションでの出来は何度やっても最悪だったのに、監督が感じた一瞬の煌めきを信じての起用だったとのこと。器用に演技する人にはない、不安定ながらも煌めいた時の爆発力が強い、確かにそんな演技だった。ロアンヌが会場に、この中に聴覚障害をお持ちの方はいらっしゃいますか?フランスの手話は日本でそのまま通じるのでしょうか?と問いかけたら、お一人、男性が立ち上がって手話で、映画の中の手話は完璧に解った。とっても感動した!と壇上の2人に伝え、監督とルアンヌ・エメラが思わず手話で返事する、という素晴らしいやりとりがあった。フランスで公開された時、手話は国境を越えて共通の部分が多く、差異があったとしてもすぐ覚えあえると教えてもらって、例えば僕が日本語を勉強しようとしても習得までに時間がかかるけど、手話だとすぐにコミュニケーションがとれるのですね、と監督が感激しながらおっしゃっていた。


日本公開は10月31日から。邦題は「エール!」とのこと。

2015-06-26

フランス映画祭2015

 
 
フランス映画祭2015オープニング。有楽町朝日ホールに来ると、映画祭だな!って高揚する。本国のポスターがずらっと並ぶの、良い眺め。
 
 
 
 
毎年1本あるクラシック作品、今年はマックス・オフュルス「たそがれの女心」。観たいけど月曜だから無理だな。「ロシュフォールの恋人たち」を観直して、ダニエル・ダリューも久しぶりに観たので(双子姉妹のママ)、若き時代の映画も観たかったのだけど。ダニエル・ダリューは存命でなんと98歳。生きるフランス映画史。
 
 
 
去年は女優が一人も来日しなかったのだけど、今年は華やか!
 
 
 
団長は女優エマニュエル・ドゥヴォス。長めの日本語で、仕事ばっかりじゃつまらないから、東京を楽しみたいの!と挨拶したのがキュート。
 
 
有楽町に篭る週末スタート。

 

 

2015-06-25

アスタルテ書房

 
 
土曜、鈴木清順特集を観るのだから。と、本棚を探って取り出した小冊子。監督と長い間コンビを組んでいた美術監督、木村威夫さんの講演をまとめたもの。名古屋シネマテークでの講演を、名古屋シネマテークがまとめたもののようだから、そこでしか買えなかったものなのかな。
 
 
ふと、これを買った日のことを思い出して、裏表紙を開くと。ああ、やっぱりアスタルテ書房で買ったのだった。記憶は合っていた。
 
 
 
 
アスタルテ書房は今、どうなっているんだっけ。 店主の体調悪化で開いたり閉まったりしていると聞いていたけど、と調べてみると、発表されたばかりらしい訃報にぶつかった。
 
 
 
ここ数年は京都で近くを通りかかっても立ち寄ることはなかったから、この小冊子を買った日がアスタルテ書房に行った最後で、その日の食事のために私は着物を着ていた。白地に古い洋館の壁紙のような不思議な幾何学柄の描かれた洋風の古い着物に、黒い帯をしめて。考えてみればツィゴイネルワイゼンの大楠道代が着ていても馴染みそうな装いだった。
 
 
大楠道代
 
 
バタイユ、谷崎、幻想文学…そんなアスタルテ書房には映画本やパンフレットも少しあり、男と女の濃い物語の、そんな映画の資料が多く、いかにもあの場所に似合った。その中から木村威夫さんの小冊子を掘り出すと嬉しくて抱え、店内をぐるぐるした後、会計のため店主に差し出した。本屋というより書斎と呼ぶのが似合うあの室内で、金銭の授受という用途より静かに物を書くのが似合う机と椅子の間にいた店主は、長めの髪を後ろで束ね、黒い上下だったと記憶している。差し出した小冊子と私の装いを交互に見ながら、少し口角を上げてにこにこされたように思う。
 
 
大谷直子
 
 
考えてみれば 大楠道代のような装いの女が、そんな小冊子を差し出すのはあまりに素直で捻りがない。そしてツィゴイネルワイゼンを観直してみて思ったことには、これまで性質は違えど映画の中では等しく取り扱われているように見えた2人の女は決して等価ではなく、大楠道代は物語を掻き回す徒花で、重心はあくまで大谷直子にあったのだ。日本家屋の薄闇に溶けそうな、地味な着物を着た女。ひっそり存在しているように見えて、覗き込めばぞっとするほど美しい。あんなに解りやすい着物を着ていた自分の子供っぽさ。今、アスタルテ書房に行くなら、一番地味な着物をきっちり着て、化粧も薄くして。
 
 
店主は、誰もがアスタルテ書房の店主はこのような風貌であってほしい。と想像するような、壁を埋め尽くす書物も、身につける衣服や表情も、すべてこの人物の頭や心の同じ場所が選んだ、その選択に違和感はない。と、ひと目で信じられるような佇まいだった。美意識は一日にして成るものではない。
 
 
初めて訪れた日から最後まで、古いビルの細い階段を上がって扉を開け、あの空間にいる間、ずっと緊張していた。書物にも店主にも何か試されている気もした。そんな場所には滅多に出会えないと今は知っているから、大人になるまでの年月、あの緊張を味わえたこと、感謝している。

 

2015-06-24

陽炎座

 
 
「陽炎座」、今回観て、理解度はようやく4割といったところか。死ぬまでにあと20回は観るだろうから、その間に8割ぐらい理解したいな…と長期的展望をもってじりじり自分と映画の距離を詰めている。今回は直前に、春画からの連想で深沢七郎「秘戯」を読んでいたので理解度は飛躍的に向上した。博多人形の裏返しの場面、原田芳雄と松田優作がメインだったのね。泉鏡花の原作を読んでいないのでなんとも言えないけど、読んだところで理解できる映画でもないと伝え聞いており、鈴木清順監督も、真実なのかトボけてるのか、原作?読んでないよ。脚本を受け取って撮っただけだよ。と言ってるらしいけど、深沢七郎のあの短篇のエッセンスは思いきり盛り込まれていたので、もはや泉鏡花の物語でもないのだろう。
 
 
「秘戯」から、博多人形の人形師の息子が亡くなっているこなどが、巧みに脚本に盛り込まれているのだけど、「秘戯」に忠実に盛り込まれているわけでもないので、そうやってエッセンスを取り込むのね…と、なにやら学んだ気分。秘密結社のようなメンバーのうち「恋ごころ」とあだ名がついた男がいて、その男が物語の鍵だったと後半知るのだけど、「陽炎座」では原田芳雄が「恋ごころ」と呼ばれていたので、ええええええ、原田芳雄の役!そうだったのか!と驚いた。
 
 
 
 
クライマックスの児童劇の場面が情報量が多く、VHSで観ていた頃は????の連続だったのが、初めてスクリーンで観た時、大画面ですみずみまで見渡せた時、理解度がぐっと上がって、映画は映画館で観るように作られているのね、と悟った場面なのだった。今回は、あの場面の大楠道代の人形めいた舞に見惚れた。真似したい。人形というキーワードで改めてじっと観てみると、人工物のような美しさの楠田絵里子のキャスティングも見事。大正生まれの江戸っ子、という監督自身の原風景が、画面に投影されている気がして、私の理解の及ばない大半はそこにあるのではないか、と思っている。次に観る機会があるまで、そのあたりについて自然に理解を深めた自分で映画と差し向かいになりたい。

 

2015-06-23

memorandom / 東京・消失・映画館 第四回







消失した映画館と、そこで観た映画の記憶。
memorandomでの連載、東京・消失・映画館 第四回 更新されました。





観直してみて、私にとって座右の映画だな、と改めて。
ジャック・ドゥミは男気の人だと思っている。



memorandom、アーカイブはこちら。



2015-06-22

ツィゴイネルワイゼン

 
 
週末、早稲田松竹で観た「ツィゴイネルワイゼン」、人生何度目だったのだろうか。初めて観たのは10代の頃で、さっぱりわからなかったけど、さっぱりわからなくても、映像刺激が強くて目が離せず、最後までドキドキしながら観たことが大きな体験で、物語を理解する、共感することは、映画を観ることのあくまで一部であって、それがなくても映画を楽しむことはできると思い知った、事件のような鑑賞だった。
 
 
大正浪漫三部作、「夢二」は私の中でやや弱くて、「ツィゴイネルワイゼン」か「陽炎座」かでは、「陽炎座」が優位だったのだけど、何年か前…あれはパリで観たのだっけ…両方を久しぶりに観た時、初めて「ツィゴイネルワイゼン」が優位に立った気がしたのは、スクリーンで何度も観ていることもあって物語を把握しつつあったことと(「陽炎座」はまだ半分も掴めていないと思う)、原田芳雄の骨フェチっぷりに感情移入したからかしら。日本最高の骨フェチ映画だと思う。
 
 
異性の好みは人の数だけ違うものだけど、極まれに好みの壁をなぎ倒していく強い存在はいるもので、「愛のコリーダ」の吉藏などは最たる例だと思うのだけど、「ツィゴイネルワイゼン」の原田芳雄も案外そうかもしれない。男の獣性だけ抽出して人の形にしたような男。髪や髭で覆われて、目鼻が埋もれてるのもまた良し。登場する女たちが皆、次々と原田芳雄の手に落ちていくのを、わかるわぁ。と眺める映画。
 
 
原田芳雄は物語から退場した後も、見えぬところで物語に参加し続け、取り憑かれたように夢と現を行き来する大谷直子の背骨を抜かれたような佇まい。人はあんなふうに立つことができるのだな。主演4人、それぞれに素晴らしくて、観るたびにそれまで気づかなかった魅力を発見できるのも、楽しみなところ。

 

2015-06-21

白山神社

 
 
アンスティテュ・フランセでジャン・ユスターシュを観るべく、30分前に到着したらまさかの完売。完売はしないだろうと思っていたのに…。ユスターシュ、東京で観られる機会があまりに少ないのではないだろうか。毎年1度は、どこかの映画館で特集上映されてるぐらいの頻度でちょうど良いと思うのだけど。
 
 
残念だけど、観られなかったものはしょうがないので、他の映画を観ようかな?と思ったけど、どうにも映画気分が萎えたので南北線を本駒込で降りて白山神社へ。あじさい祭りは先週で終わったけど、祭りの終わりと同時にあじさいが枯れるわけでもなく、縁日などがない分、ゆっくり花を堪能。古都育ちのせいなのか、寺社仏閣にいると気分が落ち着く。ここ1年ほど落ち着かない日々だったけど、そろそろのんびりしたいな…。
 
 
 
 
あじさいの種類たくさん。
ビーチパラソルみたいなのもあった!
 
 
 
 
鈴木清順の映画を観た翌日、こういう場所に来ると
視界に入るあらゆるものが暗喩的で…。
まるで動じない肝の据わった猫、なにかの化身みたい…。
 
 
 
 
神社を出て、家に向かって歩いてると、白山駅近くにこんな店。この一帯、仕事が深夜に終わってタクシー帰宅するとき通過するのだけど、時々、この看板が目に入ってきて、お?と思ってたのだった。絶対、ジャズ&映画好きな初老の男性がマスターに違いないと妄想してるのだけど、どうなのだろう。いつか勇気を出して入ってみようかな…。

 

2015-06-20

3部作

 
 
早稲田松竹、今週は鈴木清順監督 大正浪漫三部作 まさかの3本立て。早稲田松竹で3本立てって、北野武初期3本立て以来ではなかろうか。あの時は、1本ずつ短めなので全部観たけど、大正浪漫3部作はきっちり2時間以上ある上に、話の筋を追うのに頭を回転させまくるので、3本立ては無理!と判断して「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」の順番で2本だけ観た。古いフィルムがバチバチ音を立てる贅沢な時間が…映画館に入ってから出るまで約5時間…。観るたびに理解領域が増えていくし、新しい見所を発見する。今日は「ツィゴイネルワイゼン」の大谷直子に見惚れ、これまでどちらかというと大楠道代ばかり目で追っていたのは何故だ…?って過去の自分が信じられない気分になった。豪華3本立ては今日から、金曜まで。
 

 

2015-06-19

艶笑喜劇

 
 
ルビッチのサイレント「結婚哲学」(1924年)を、ルビッチがセルフリメイクしたトーキー版が「君とひととき」(1932年)、小津が「結婚哲学」に影響を受けてつくった東京版トーキーが「淑女は何を忘れたか」(1937年)、豪華な親戚関係、どれもそれぞれ見どころがあるのがさすが。
 
 
ルビッチの衣装はいつも見事だけど、小津もひけをとらず、東京に置き換えたらずいぶん所帯じみちゃって。ということもない。「衣装調達:三越」のクレジット。桑原通子が斜めにかぶるハットの影が美しい。そのあたりについて、何か書いてあるかな…と、古い本(小津安二郎映画読本「東京」そして家族/1993年/フィルムアート社)を斜め読んでいると、川端康成評を含んだ一文を見つけたのでメモ。
 
 
「アメリカ映画のソティスフィケーションの影響とか模倣とかを語るのは、今更野暮というものである。(中略)敢えて言うならば、彼はここで『ルビッチごっこ』を遊んでみせたのである。<小津氏は自分を隠したかと見せて、自分を自由にしてみたのだろう>という川端康成の指摘は、さすがに鋭い。」
 
 
最後の数分の含みどころたっぷりな展開のエロティックさに驚いたのだけど(ルビッチ映画なら驚かない)、自分を自由にしてみた、ということなのかな。

 

2015-06-18

Miss Michiko Kuwano


目を閉じて地球儀のある地点を指差し、その国をあてるお遊び…
うーん…

北極!


小津安二郎「淑女は何を忘れたか」、最高だった。次にスクリーンにかかったらまた観に行こう。最後まで観てわかるルビッチの影響。そして桑野通子がキラキラしてた。modern!

2015-06-17

ipad mini theater?

 
 
飲酒を控えるようになって久しく、ながらく失われていた集中力が戻り気味で、良いことなのかそうじゃないのかわからないけど、家で映画を観られるようになった。ソフト化されてるものでも、わざわざ映画館に観に行く習慣の主な理由は集中力問題だったのよね。
 
 
時々、DVD・Blu-rayをオンラインレンタル(郵送されてポスト返却)していたのだけど、この間、急ぎめで観なければならない映画があったので、久しぶりにiTunesを覗いてみると、全部あった。そして数分でダウンロードできた。ここのところ体力が落ち気味で早めに横になっているのだけど、今日はまださすがに早いから、何か…と覗いてみて、小津映画たくさん発見。ルビッチから影響を受けてつくられたという「淑女は何を忘れたか」にしようかな…。

 

2015-06-16

an interview




別の文章を書きながら、ちらちら思い出していたのだけど、2年前、フランス映画祭で「ローラ」が上映された時の、秦早穂子さんのトークが素晴らしかった。秦さんの貴重なお話を、聴き手がうまく引き出せていない気がしたけれども。ジャック・ドゥミの映画は、衣装が音楽が、とノスタルジックな面ばかり取り上げられるけども、そんな単純な男じゃないんやで。という怒りが軽く滲んだトークだったな。






フランスは・・というより、ヨーロッパ映画の系譜というか態度のひとつに、直接的に戦争を描かない反戦映画があって、「天井桟敷の人々」しかり、「かくも長き不在」しかり、私の好きな映画はそのような態度の映画が多い。ルビッチの映画の大半もその系譜にきっとある。

2015-06-15

the eternal triangle

 
 
スルメを噛むように、あの映画は面白かったな…なぜあの映画を面白く思ったのだろう…って、しぶとく考えることが好きで、人は一生をかけてこうやって自分に出会っていくのだな、と思ったりするのだけど、ルビッチ映画はほとんど三角関係の物語だけど、「ニノチカ」は男女2人の物語…なぜ…と考えていて、あ、そうか、あれは男と女と共産主義の三角関係なのだな、と思い至った。
 
 
そして大島渚特集で「戦場のメリークリスマス」を久しぶりに見ると、男と男と戦争の三角関係の物語なのだな、と思う。私の中でオールタイムベスト10に入りそうな好きな映画は、「ママと娼婦」しかり、三角以上の多角関係では「天井桟敷の人々」「風と共に去りぬ」しかり、すべてのルビッチ映画しかり三角関係、多角関係の物語ばかりなのはなぜ…男と女一対一の恋愛物語とかあまり面白いと思えたことがないのはなぜ…と考えていて、感情に興味が薄くて、力学、ロジックに興味が強いからかな、と考えているところ。中間報告のようなメモ。

 

 

2015-06-14

an interview

 
 
土曜の朝、TVで岸恵子さんのトークを聴く。あいかわらず見た目も美しく(何かの魔法…?)、そして声や話し方というのは年をとらないのだな、と思う。パリのコンサートで生で聴いたというエディット・ピアフ「愛の讃歌」を紹介し、たくさんの男性陣を見てきた今、理想のタイプは…?という質問に「やっぱり、立ち居振る舞いのきれいな人が好き。中身までエレガントな人っているじゃない?卑しさのない人」と答え、すらすらと理想のタイプを答えられる…この現役感…と思っていたら「それぐらいしか言えない。今現在(相手が)いないから。かわいそうでしょう…?かわいそうなの…恵子ちゃん…」と続けたので、なにやら心がくらくらした。
 
 
そして立ち居振る舞いのきれいな人が好き、という答えに頷く。年々、そういう人がいいな、と思ってきているので、自分も岸恵子さんの年齢まで生き延びたら、ますますそう思うのかもしれない。ルビッチ映画で観たハーバート・マーシャルなんてまさに、そんな男性だった。

 

2015-06-13

white peony

 
東郷青児の絵の描かれたグラスに飾ったら、シャクヤク・フロート、喫茶店のメニューにありそうな。
 
 
何年か前、確かk's cinemaで開催されていた中国映画の映画祭、珍しい映画ばかりで、CCTV(中国の国営放送)制作の映画?2時間番組?のような映画もいくつか。「北京の精神病院」などドキュメンタリーも。何本か観たうちの1本がプロパガンダっぽい鄧小平伝記映画で、鄧小平が一番好きな花は芍薬、咲いている間は目に楽しく、散った後は薬として使えるから。とナレーションが語っていて、花ひとつ語るにも合理的思考を手放さない中華思想!と記憶に妙に残り、芍薬を飾るたびに鄧小平の顔がちらついてちょっと邪魔…。
 
 
ちょっと邪魔…など言ったら中国の人々にに怒られそうなほど、我が周囲の中国のお友達には人気のある鄧小平、東京に遊びに来た友達が、甥っ子に洋服を買いたいというので一緒にお買い物に行き、名前、なんていうの?って聞いたら、陳小豆っていうの。家族で、鄧小平にちょっと響きが似てて、いいわね。って言ってるの。と答えたので、おお、人気があるのだな、鄧小平。そして響きが似てるっていっても「小(xiao)」しか同じじゃないよ。とつっこみながら、小豆という名前が可愛いので日本語で「あずきちゃん」とニックネームをつけた。
 
 
ニーハオ!鄧小平という映画。人生経験のひとつ、という感じの鑑賞だった。

 

2015-06-12

cinema memo





大島渚特集が今日で終わるイメージフォーラムでは、明日からジャン・ルノワール「ピクニック」のリバイバルが始まる・・・という重要事項を、ずいぶん前に手帳に書いたまま、忘れかけていた。前売りを買おう買おうと思って、それも忘れていた。



http://crest-inter.co.jp/picnic/



スタッフリストを観るにつけ、よくぞこんな人々が集ったものだな、と思う。助監督&スチルにアンリ・カルティエ・ブレッソン、助監督は他にルキノ・ヴィスコンティにジャック・ベッケル、主演女優は当時、バタイユの妻で、バタイユと別れた後、ジャック・ラカンと結婚した人。台詞はジャック・プレヴェールが協力し、音楽は「枯葉」の作曲者ジョゼフ・コスマ。



観るものがたくさんある時期に、無事観られるかしら・・・と危惧していたけど、忘れていたよ、この映画が40分しかないこと。それなら観られる、けど、この映画を観た後に、何かしたりできるのかしら・・?

2015-06-11

Chanel et...

 
 
新しい顔、ください!と、仕事帰りに銀座三越化粧品フロアのシャネルのカウンターへ。前にも書いた気がするけど、この店のスタッフの方がそうなのか、シャネルの教育がそうなのか、さっぱり的確な接客で気持ちいい。今日担当してくださった方も、このアイシャドウ、付属で折りたたみ式のブラシがついてるけど、指で塗ったほうが手早くて綺麗です。など、合理的なアドバイス満載で、化粧品の購入にあたっては、なるべく面倒じゃない方法で、いい大人が失礼じゃないレベルの見た目になり、素早く外に出たい。という冷めた要求の私にぴったり。バッグ持ってると手がふさがって不便だから肩からかけられるようにしといたわ。ってココ・シャネルもきっと合理的発想の女だったのだろうと思う。
 
 
そして最後、箱の中身を一緒に確認しながら、リップグロスのパッケージ、テスターとデザインが違うんです、ワンタッチで開けられるようになっていて…と説明していただいたので、綺麗で便利なパッケージですね、って感動していたら、そうなんです、このグロス、塗ってる姿もかっこいいんですよ。と言われたのでグッときた。そういう話をさらっと聞きたいのよ。
 
 
 
 
何年か前、シャネルの伝記映画が3本、立て続けに製作された時、オドレイ・トトゥ、シャーリー・マクレーン、アナ・ムグラリスがココ・シャネルを演じ、アナ・ムグラリス(「シャネル&ストラヴィンスキー」)のクールさが私の想像するシャネルに近かった。 声も低くて、媚びない感じ。
 
 
赤のネイルは「CINEMA」という名前がつけられており、月末にあるフランス映画祭には、これを塗って行こうかな、と思ってる。
 

 

2015-06-10

前売券

 
 
部屋を片付けていて、適当に放り込んでいた前売券がざくざく出てきた。映画祭が始まる前に発見して良かった。発売開始と同時に買ったのだけど、忙しい時期ゆえのやけっぱち行動か、12枚も買った。ポストカードがたくさんついてきたので、何枚か使って手紙を書いた。
 
 
人気投票では「しとやかな獣」が一位だったそうで。私は「女は二度生まれる」「浮草」「最高殊勲夫人」が同率首位、全部持ち味が違って選べないのだけど、スケジュールを観ると、いきなり「女は二度生まれる」も「最高殊勲夫人」も都合により観られないことが確定(東京にいない…)していて涙。初デジタル化って文字を観た時、誰かが私のためにデジタル化してくれたんだと思ってた。特集が終わった後でいいから、どこかの劇場に流れてくれないかな…。デジタルリマスターされた川口浩を観たい!
 
 
 
 
好きな作品が多すぎて、結局いつも同じものを繰り返し観てる気がするので、せっかくの豪華特集なのだから、めったに観られないもの中心にコツコツ観ていきたい。

 

2015-06-09

To be or not to be

 
 
ルビッチ活動2本目、特集初日は「淑女超特急」と「生きるべきか死ぬべきか」の2本立て。これは、淑女…→生きる…の順番に観ないと、どんな映画でも、生きる…の後に観ると、粗が目立ってしまうのではないかしら。生きる…があまりに完璧すぎて。
 
 
しかしこの日、これから数週間、観ようと思えば毎日ルビッチが観られる、という想像を超えた幸せに心身が追いつかず、「生きるべきか死ぬべきか」いまいち集中して観られなかった。この映画を集中して観られないなんて、映画に非なんてもちろんなく、すみません!私が悪いんです!って謝りたくなる。誰に?スクリーンで観るのは確か2度目で、1度目で熱狂・熱中して観たから筋書きは覚えてるのだけど。
 
 
この場面でキャロル・ロンバートが着ている裾にファーがあしらわれたドレス、古いポスターではこの場面が使われていることが多く、絵看板のようなタッチの絵のポスターでは、このドレス、朱赤っぽい色だったり、ブルーグレーのような色だったり、描いた人が、モノクロの映画を観て、色を想像して描いたら人それぞれ想像した色が違った、ということなのだろうか。私はブルーグレーかな、と思うのだけど、正解は何色なのだろう。
 
 
 
 
ということを考えながら、京都でKyotographieという写真イベントの一部の展示場所を偶然通りかかり、虎屋 京都ギャラリーで観た「サムライの残像」という展示が面白かった。フランス国立ギメ東洋美術館の写真コレクション、幕末から明治にかけての消えゆくサムライの姿。その時期だから当然モノクロなのだけど、一部の写真は写真の上から着色してあり、写真の色褪せ具合と、絵の具の退色具合が良くて、着色していない写真群より熱心に観た。この色、史実に忠実なのだろうか、それとも後から想像で色を選んだのだろうか。モノクロ映画の絵ポスターにも通じるところがあって、モノクロ映画の楽しさのひとつは、色を好きに、自分好みに想像できることだな、と思った。塗り絵感覚。

 

2015-06-08

That uncertain feeling

 
 
ルビッチ祭の記憶が、幸せだった・・・(遠い目)という感じで消えゆきつつあるので、思い出せる範囲で記録しておく。次にいつまた観られるのかわからないものばかりだし、忘れていくのはなんとももったいない。
 
 
特集上映の初日、ルビッチ活動第1本目は「淑女大特急」で幕開け。1941年、アメリカで撮ったモノクロ、トーキー。原因不明のしゃっくりに悩まされ精神科医を訪ねた奥様、夫婦関係に原因ありでは?と診断される。保険会社の重役である夫との暮らしは何不自由ないけど、しゃっくりの原因は夫…と信じて疑わない妻は、病院で知り合った神経質そうなピアニストに惹かれ…。というお得意の三角関係。
 
 
妻はマール・オベロンというちょっとエキゾチックな女優。夫はルビッチ常連のメルヴィン・ダグラス。ピアニストはバージェス・メレディスという俳優…なのかな。
 
妻とピアニスト
 
自宅のベッドにいる妻
 
 
 
ルビッチ映画の楽しみの大半を占める衣装の快楽は存分に発揮されており、マール・オベロンがくるくる着替える40年代モードが見もの。胸元がぱっくり開いた大胆なカッティングの衣装も多く、和装の裃のようなシルエットのトップスに、黒っぽいオーガンジーがかかった一着、不思議なデザインで目を惹いた。
 
 
物語としては他愛もなく、ルビッチ活動導入の肩慣らし的鑑賞として最適な1本。ちょっと小さく綺麗にまとまりすぎていて、ルビッチの映画群の中では見落とされてしまいそう。マール・オベロン、メルヴィン・ダグラスの夫婦は良いのだけど、ピアニスト役の俳優に華が足りず、三角関係の結末が容易に見えてしまうのが原因か。女1、男2の三角関係の場合、男2人はタイプは違うけど、どちらも選べないほど魅力的…という配役じゃないと、そりゃメルヴィン・ダグラス一択でしょ?って観てる誰もが思ってしまうのでは。その点、「天使」にしろ「生活の設計」にしろ、考えてみれば見事な配役なのだなぁ。
 
 
ルビッチ自身の「当初女大学」のリメイクらしく、そちらを観ていないので観たいし、影響が明らかに見てとれるという小津の「淑女は何を忘れたか」も遠い記憶の彼方にぼんやりとあるので観直してみたい。
 
 
 
 
マール・オベロンという女優、初めて観たのだけど、エキゾチック…と思えば、イギリスとインドのハーフなのだとか。その事実をひた隠しにした、というエピソードも興味深い。

 

2015-06-07

4月の終わりの京都 / 将軍塚青龍殿

 
 
4月、将軍塚青龍殿に出現したガラスの茶室を観に行くことにして、軽く調べてみたら麓の青蓮院からシャトルバスが出ていると書いてあったので、青蓮院の社務所で聞いてみると、それは去年の秋の夜間拝観の時期のことで、今は走っていないとのこと。山道なので歩いて行くのは薦めない、タクシーがいい、と教えていただいたので、三条通りまで下りてタクシーに乗る。運転手さんも将軍塚なんて何年ぶり?ということらしく、何かあるのですか?と質問された。
 
 
到着!ガラスの茶室、光庵。吉岡徳仁さんデザインによるもの。もっと混んでるかと思えば空いていた。来年まで設置されているらしいから、これから混むのだろうか。
 
 
うっすら飛行機雲!
 
 
 
一部の支柱などが金属でできているだけで、ほんとうにほとんどすべてガラス製。真夏の京都でここの中に入ることなど苦行なのだろうな。
 
 
 
 
こういう色調の絵、あったね。京の夕暮れ。
 
 
 
月が上って・・
 
 
こういう感じで設置されている。
舞台そのものも新設されたのか新しい。
 
 
 
帰ることにして、夜の藤を眺める
 
 
青龍殿をあとにしてしばし山道を歩いてみるも、帰り道、タクシーなんて走ってないし、けっこうなカーブの夜の山道を30分は歩く道のり。灯りも少なくて…これは危ない…ほんまもんの山道や…。と、引き返し、社務所で相談するとタクシー会社の電話番号リストをくださったので、さっそくかけて、繋がった弥栄タクシーに迎えにきてもらう。到着まで若干時間がかかり、社務所の前まで来てもらえるとのことだったので、ことわって再び中へ。社務所の男性に非常にお世話になりました…。
 
 
 
 
怪我の功名的に?
観ることができた夜の茶室。
 
 
 
夜景。
東京と比べて、光量が少ないのがいいな。
高い建物もない。
 
 
 
 
そろそろかな、と引き返すとタイミングよくタクシーが着いてた。とりあえず下に降りたいです、と伝えて山から下ろしていただく。運転手さんは、昔、京阪電車が路面を走っていたころ、まさにこのあたりに線路があって…という話をしてくださった。地下に潜るようになってから京阪電車に乗ること自体しなくなったそうで、路面、というのが良かったんですね、とのこと。
 
 
 
 
キリのいいところでタクシーを降り、宿までは夜のバスに乗る。東京でも、どの街でも、夜のバスに乗るのが好きだな。
 
 
ガラスの茶室、四季の、いろんな時間で観てみたい。春の夕暮れ〜夜は堪能、夏の朝、真冬のキリッとした夜も良さそう。帰りの足は確保してから行くことをお勧めいたします。
 
 
 
茶道に興味がなくはないけど、詳しくなるきっかけがないな…なぜか…と考えた時に、茶道についての映画を観た記憶がないからだ、と思い当たった。興味関心のトリガーは、だいたいの場合、映画の中に落ちている私。何を観ればいいのだろうか…「利休にたずねよ」など…?