CINEMA STUDIO28

2015-06-30

Une nouvelle amie

 
 
フランス映画祭4本目。フランソワ・オゾン監督「Une nouvelle amie」、amiじゃなくてamie(女ともだち)というのがポイント。邦題は「彼は秘密の女ともだち」。チケット発売日、近所のセブンイレブンで次々とチケット買ってたら、この映画、いち早く前方が埋まって中央あたりを選ぶことに。当初の発表では監督も来日予定だったからかな。オゾン、人気監督なのだなぁ。
 
 
あらすじを引用すると「親友を亡くし、悲しみに暮れていた主婦・クレール。残された親友の夫・ダヴィッドと生まれて間もない娘の様子が気になり家を訪ねると、そこにはワンピースを着て娘をあやすダヴィッドの姿があった。ダヴィッドから「女性の服を着たい」と打ち明けられ、驚き戸惑うクレールだったが、やがて彼を「ヴィルジニア」と名付け、女友達として認識するようになる。パリジェンヌのように美しく着飾った「彼女」と過ごすことが刺激と歓びに満ちた冒険へと変わっていくクレール。とある事件を境に、クレールが選んだ自分らしい人生とは…?」
 
 
俳優が豪華で、クレールはアナイス・ドゥムースティエ、フランスで現在、年に何本も新作に起用される飛ぶ鳥を落とす勢いの女優だそう。ダヴィッドはロマン・デュリス。フランス映画を見続けることは、ロマン・デュリスが徐々に青年期から中年期に移行していくのを見守ることでもある。そしてクレールの夫・ジルにはラファエル・ペルソナ。2年前のフランス映画祭で来日していた、アラン・ドロンの再来と騒がれる綺麗な俳優さん。冒頭少ししか登場しないけど、背後霊のようにずっと物語の後ろに控えるのが、クレールの幼少期からの親友でダヴィッドの妻・ローラ。女2人がいかに一緒に成長し双子のように育ったか、女らしく成長したローラがモテるのを眺めるクレール、親友を男に奪われた嫉妬以上の何かを感じる視線。誰にとっても花のような存在だったローラの喪失によって、ダヴィッドは封印していた女装を再開し、クレールは驚きながらも受け入れていくのは、同じ女性・ローラを愛した、そして失った者同士の連帯があったのだろう。
 
 
途中まで少しグザヴィエ・ドラン「わたしはロランス」に似てるのだけど、「わたしはロランス」は一組の男女の関係の揺らぎに息詰まる気分だったけど、オゾンのこの映画は不在のローラ、クレールの夫など周辺の登場人物がクレールとダヴィッドの関係を掻き乱しながら物語は結末に向けて流れていった。似た設定ながら違う着地の物語になるのは、グザヴィエ・ドランの若さ、フランソワ・オゾンの達観、2人の姿勢の違いだろうか。オゾンの物語は、身近な人の死を経験した2人が、明日死ぬかもしれないなら自分に正直に生きる道を勇気を持って選ぶ、ダヴィッドが先にそんな選択をし、触発されたクレールが追随する、そんな物語だった。
 
 
ロマン・デュリスの女装、美脚だった…。身体の線は細いけど、髭が濃くて顔がややワイルドな人だから、引きで撮られてるととても綺麗で、寄るとギョッとする感じ。ダヴィッドとクレールが徐々に変化するにつれ、蚊帳の外のような扱いを受けるクレールの夫、ラファエル・ペルソナ。悩める2人から見ると夫は悩みなさそうな能天気男に見えてくるのだけど、そうじゃなくて、ただシンプルな人なんだよな。こう言っては身も蓋もないけど、この物語の登場人物でクレールの夫が一番好き…。
 
 
 
そして監督がちゃっかりカメオ出演してる場面があったので、これから観る方には探していただきたい。この写真左の男性がフランソワ・オゾン監督。
 
 
 
残念ながら監督の来日はキャンセルされたとのことで、主演のアナイス・ドゥームスティエがQ&Aに登場。監督の不在を感じさせない聡明な語り口で、いかにも勘の良さそうな人、売れっ子のはずだわ…。
 
 
 
Q&Aからメモ。
 
・クレール役のオファーがあった時、フランソワ・オゾンの映画であることに惹かれ、またクレール役はセリフだけではなく表情や沈黙で演技する部分が多く、その点で自分にはぴったりだと思った。
 
・オゾンの撮影はとても速い。1年に1本撮る多作の監督で、撮影中も、早くアイスクリームを食べたがってる子供のような感じ。
 
・(会場にいた男性から、僕はゲイなのですが、このような物語についてアナイスはどう思うか?との質問に)この映画でのセクシャリティの描き方はコミカルな要素が強いけど、決してセクシャリティを笑いものにするというコミカルさではなく、共にいる共に楽しむという姿勢からのコミカルさだと思う。
 
・ロマン・デュリスの起用は、彼は男性的なルックスなので、このダヴィッドの役で重要な、男性的な要素を備えている。もっとフェミニンに見える俳優はたくさんいるけど、ロマン・デュリスはその男性的な要素の強さがぴったりだった。
 
・ラストの俯瞰のショットは、これはおとぎ話でした、と言ってるようで、オゾンのアイロニー。童話的といえば、クレールが病院で歌う場面は「眠れる森の美女」のようだと思う。
 
 
そしてラストの解釈について。映画はどちらともとれる、曖昧さを含んで終わった。会場からラストについての質問があった時、では会場にいるみなさんの意見はどうですか?と観客に2択から挙手させる呼びかけがあって、観客の解釈は見事に真っ二つだった。アナイスは、どちらの解釈が合ってる、ということではないけど、監督とアナイスの意見は一致し、アナイスはそのつもりで演じた、というほうの解釈で、私もラストを受け取った。クレールは、きっと大きな一歩を踏み出したのだろう、と思ったから。
 
 
「彼は秘密の女ともだち」は、8月公開とのこと。
 
 
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追記。公開され、この映画の結末について検索する人が多いようなので…。
 
 
映画祭のティーチインで、主演女優のアナイスが言ったことには(以下、結末に触れます)。クレールは夫と別れ、ダヴィッドと暮らし始めた…という結末のつもりで、オゾンは演出した、とのことでした。