CINEMA STUDIO28

2015-08-24

砂糖菓子が壊れるとき

 
 
若尾文子映画祭、6本目は「砂糖菓子が壊れるとき」。今回まとめて観た中には隠れた傑作あり、当時の風俗をたっぷり吸った娯楽作あり、そして珍品もいくつか。この映画は珍品大賞・候補作。
 
 
あらすじを引用。
 
 
「マリリン・モンローをモデルに、純情な女の愛の遍歴を描いた曾野綾子の同名小説を映画化。世間から肉体派と揶揄されながらも、美しい身体を武器にスターへと駆け上がる女優・京子。幸せを夢見ながら男を求め続けるその運命を、愛おしくも悲哀に満ちたタッチで彩る。」監督は今井正(え!)、脚本は橋田壽賀子(おお!)。1967年、大映のカラー映画。
 
 
上映作品リストの載ったチラシを手にした時から、この映画を一番楽しみにしていたかもしれないのは、ひとえに私がマリリン・モンロー好きだから。若尾文子とモンローはずいぶん遠い印象だけども、そのあたりは大映マジックで、あれ?モンローに見えてきた…(目をごしごし)って、まさかの魔法をかけてくれるのかしらん。と思っていた(過去形)。
 
 
冒頭、毛皮を着た京子(若尾文子)、夜中にフォトスタジオへ。売れない女優がお金のためにヌード撮影をする…という場面から始まる。着替えはそこで…と促され、いえ、大丈夫ですの。着替えは要りませんの。と断り、はらりと毛皮を脱ぐと…いきなり裸!まさかの裸毛皮…!と、息巻くのは理由があって、去年の珍品大賞Best3にランクインするジャック・ドゥミ「都会のひと部屋」ではドミニク・サンダがまさかの裸毛皮だったのだ。ドミニク・サンダはミシェル・ピコリ演じる気持ち悪い夫から命からがら逃げてきた…という、それは裸毛皮でもしょうがないね?という理由が一応あるものの、この映画の京子、なぜ裸毛皮?着替えをラクにするため?毛皮を着るほど寒い季節、いくら毛皮で暖をとれるとはいえ、裸である必要性ゼロ。京子の裸のバックショットで静止画になり、タイトルがどどーんと重なった。若尾文子は裸にならないことで有名な人なので、あの裸は誰か、ただ裸のために呼ばれた別の女性のものなのだな。
 
 
それから始まる物語は、意外なほど伝え聞くモンローの人生そのものだった。映画会社の重役(志村喬!)に囲われるものの、男はあっけなく亡くなり、遺産相続しておくれよ。と懇願されても、いただけませんわ。と、突っぱねる。もらっちまいなよ、彼も望んでるじゃないか!と心の中で大映口調で耳打ちする私。そこで嬉々として受け取る狡猾でちゃっかりした女であれば、モンローのような生涯にはきっとならない。
 
 
重役の葬儀、かろうじて黒を着てきました、という心ばかりの喪の装い、ただし京子の場合は肩も脚も丸出しの露出度の高い、ただ黒いだけのワンピースで遺影にすがって泣き崩れる。興味を持った新聞記者に拾われ、彼の家に連れて行かれ、まぁ食べなよ。と出されるのが、焼き魚、味噌汁、ごはんの焼魚定食…。モンローのゴージャスさはどこに。でも、モンローも私生活では普通のもの食べてたのでしょうね。日本に置き換えるから珍品の香りが漂うだけで…。
 
 
そしてジョー・ディマジオ的野球選手との結婚と破綻、アーサー・ミラー的脚本家との結婚、モンローの人生どおり謎に満ちた亡くなり方をした後、ジョー・ディマジオが報道陣から彼女を守るあたりもそっくりで。
 
 
物語の筋書きはしっかりしており、つまりモンローの人生をそのままなぞるだけでそれなりに映画になる、ということで、モンローだと思って観ているから思わぬ和風な置き換えっぷりに(焼魚定食…)珍品の香りを嗅ぎ取ってしまうだけ。若尾文子がくるくる着替えるいかにも60年代の衣装、普段の若尾文子からすると、胸も寄せて上げてパッドを入れて、ヒールもきっと片方を低くしてモンローウォークを再現、体格差は致し方ないものの、見た目の点でも忠実な再現といえる。ただしどうしても若尾文子から漂う、そこはかとない賢さが彼女をモンローたらしめていないように思う。モンローについての解釈は素晴らしいのだけど、このように解釈したので、こう演じている、という賢さが前面に見えてしまっているように思う。
 
 
それでも周囲の俳優陣の面白さ…女優仲間でやがて京子の付き人になるさっっぱりした見た目の女優(名前を失念)、ほぼ準主役級で情緒不安定な女に寄り添う女のさっぱりした母性を感じさせ、アーサー・ミラー役…あの眼鏡…誰?と思っていたら最後のほうで田村高廣と気づいた。いつも田村高廣に気づくのが遅くてすみません。アーサー・ミラーの奥さん役は山岡久乃だったと思うのだけど、こんな女と一緒にしないで!私は賢い女なのよ!というツンとしたプライドの高さ、少しの出番でもしっかり漂っていた。
 
 
そう、私はこの映画を楽しんだ。冒頭の裸毛皮にポカーンとし、どうなることやら、と危惧したけど、しっかり楽しんだのだ。珍品であることには変わりはないけれど。