CINEMA STUDIO28

2015-12-13

TIFF2015 / FOUJITA

 
 
東京国際映画祭の記録、13本目。コンペティションから日本映画「FOUJITA」。小栗康平監督の久しぶりの新作。画家・藤田嗣治のパリ時代、日本時代。オダギリジョー演じるフジタが髪型、眼鏡など再現度高い!と話題になっていた1本。それぐらいしか前知識がなかったので蓋を開けてみると加瀬亮も出ていて驚いた。作品解説はこちら。
 
 
 
 
映画祭も終盤、朝一番の上映だったので、静かな映画で寝てしまうかと思えばそうではなかった。後半から終盤にかけて煙に巻かれたように物語が閉じるのが小栗監督のイメージどおり。物語がわかりづらくて公開されると評価は分かれるのだろうな、と思っていたら実際そうみたい。私は日本映画の粋を集めたような映像表現にうっとりした。フジタの絵画自体は、何度も美術館で観ているけど、それほど好きな画家でもないので、彼の絵よりもこの映画の映像のほうが好みだったかもしれない。活き活きしたパリ時代の描写より、日本時代のほうが色彩も好みだった。そんな画面にオダギリジョーも絵画に描かれた人物のように馴染み、演技云々というよりただ映っているだけでいい、と思わせる佇まいで、他の俳優たちもそのように選ばれたのではないかしら、と思うほど佇まいの美しい人ばかりだった。演技では加瀬亮が素晴らしかった。二度目の出征前の夜の長台詞!そもそもフジタに興味があって観ているわけでもないし、実在の人物を描いたとしても一から十まで説明してくれる伝記小説のようなわかりやすさを求めているわけでもないので、使う感覚の中では視覚をもっとも使って映画を観る私としては、映像だけで観る価値があった。
 
 
 
 
Q&Aで興味深かったのは、映画の企画は監督の発案ではなく、他からの提案によるもので、監督はフジタについてそれほど関心があったわけではない、ということ。実際に絵を観たり、エピソードをたくさん読んだけど、それらをいったん捨て、絵に出会った時の感覚をもとに映画を作った。絵には静けさがあり、エピソードの騒がしさとまったく違うものだった。エピソードはフジタ像をつくるための引用というより、フジタを感じられる断片をピックアップしたのみで、伝記映画ではない、と。
 
日本の村についても、史実では実在の場所があるけど、架空のF村という村を設定し脚本にした。どんな日本の村を用意すればフジタは日本と出会うだろうか、と右往左往しながらF村として撮った、とのこと。
 
そして加瀬くんはすごくいい俳優で台本を渡した後、マネージャーを通じて長文の質問がきて、何回かやりとりをし、やがて監督がもういいよ!と言ったとのこと。真面目な役作りで、あの長台詞は加瀬くんじゃなければ言えなかったと思う、とのこと。
 
 
お話を聞きながら、寡作な小栗監督は、1本撮った後、長く自分の撮りたいものを熟成し、満を持して撮る、という人なのかな、と思っていたので、最初は興味対象ではなかった、という言葉が意外ながら、興味対象ではないものを自分の名前で撮るためのアプローチに小栗監督らしさがあって、それがそのまま映画になっている、という流れが興味深いな、と思った。そしてFOUJITAって何故FUJITAじゃなくFOUJITAなのかしら、と思っていたけど、FOU(=crazy)ってことなのね?パリでFOUFOU、と呼ばれているのを聞いていまさら膝を打った。