CINEMA STUDIO28

2015-12-03

TIFF2015 / Victoria

 
 
 
 
東京国際映画祭の記録。10本目、ワールドフォーカス部門からドイツ映画「ヴィクトリア」。ベルリン映画祭で話題になったのを知ってから観ることを切望しておった。140分ワンシーンワンカット、というだけで観たくなるではないか。作品解説はこちら。
 
 
 
 
ベルリンのクラブで1人踊るヴィクトリア。知り合ったベルリンっ子4人組と親しくなり、夜中のベルリンを話しながら歩くが、やがて1人がヤクザを交えて金銭絡みの面倒な問題を抱えていることが判明し、部外者のはずのヴィクトリアも巻き込まれていく。夜中から夜が明けるまでの140分、映画の中と現実の時間の流れが足並みを揃える。
 
 
悪夢のような、と書かれていたので、もっとマッドな、暴力を振るわれたり、レイプされたり、そんな展開なのかしら、と思っていたら違った。犯罪は登場するけれど、センセーショナルな展開で驚きを与えるのではなく、巻き込まれていく1人の女性の変化を、カメラが目を離さずに見つめている。主人公の名前が与えられた潔いタイトルどおり、これはヴィクトリアについての140分。
 
 
思い出したのは川島雄三監督、若尾文子主演「女は二度生まれる」。生涯ベスト10に確実に入れるだろう、好きな1本なので、女が変化する物語を私が好む、ということも「ヴィクトリア」の印象を良くしている。
 
 
 
 
「女は二度生まれる」は、九段界隈の芸者・小えんが主人公、芸事も上手くなく、美貌でちやほやされるわけでもない中途半端な芸者で、だから、ということなのか、彼女はあっさり身体を男に差し出す。あたくしなんにもできませんので、つまらないものですがおひとついかがでしょうか、おいやでなければ、といった風情で。小えんの周りには男が何人もいるけど、誰もが小えんを通り過ぎていくのみ。しかし中途半端なまま続くかと思われた小えんの人生にも変化は緩やかに訪れる。人生の時間を前後に分割していくような強い分岐点になる事件が起こるでもなく、内面の何かが数ミリ移動し、そのためもはやそれまでの小えんではない、微小な変化を映画は捉えていた。川島雄三が大映首脳陣を前に「若尾文子を女にしてみせます!」と啖呵を切って撮られた映画が、肌の露出でも、明白な不幸と回復でもなく、内面の数ミリの変化を静かに観察する映画だということに感服した。「小えん日記」という原作小説に、「女は二度生まれる」という新たな名前を与える川島雄三、大人の男ではないか。
 
 
・・・と、「ヴィクトリア」から「女は二度生まれる」を連想したところで、仕事のピークすぎてタイムアウト。シャキッと元気!リアルゴールドというエネルギー飲料を飲んでおる。ヴィクトリアについて、明日に続く(たぶん)。