CINEMA STUDIO28

2015-12-15

TIFF2015 / カランダールの雪

 
 
東京国際映画祭の記録。15本目。コンペから「カランダールの雪」。トルコ映画。去年のコンペで観たアゼルバイジャン映画「ナバット」を思い出す、世界のどんな場所でも人が暮らしていて、またそれを映画にする人がいるのだなぁ、と思うような風景を眺める時間。いろんな国の映画を観たいと思いながらも、自分が選ぶ映画は都市生活者が小さな人間関係の中で右往左往する映画になりがち(ホン・サンス的な…)なので、このような映画を観られることは映画祭の歓びのひとつ。
 
 
トルコの山岳地方、ゴツゴツした岩肌の険しい一帯の掘立小屋のような、電気もない家で暮らす貧しい家族。父親は鉱脈を日々探すが、見つからない。かつて掘り当てて一儲けした過去があるようで、過去の栄光にすがっているようにも見える。家族たちは呆れる。いよいよ困窮した父親は家畜を闘牛に出場させるが、一攫千金の夢は虚しく消える…。作品解説はこちら。
 
 
 
 
観ることに意義があるように思っていたので、気にいることまで期待してなかったけど、観ることにして良かった。最後に提示される希望の静かでさりげないこと!あ⁈と思った瞬間に映画が閉じて、エンドロールを眺めながら余韻に包まれた。途中、家族たち(主に女性)が父親の不甲斐なさを攻め立てるのを、わかる、わかるよ。でも、この家族で唯一、働いてるのはお父ちゃんなんやで。毎日遊びに行ってるんとちゃうねん。険しい岩肌登ったりして頑張ってるねんで。と擁護したくもなり、しかし結果に結びつかないもどかしさとの間に板挟みになり、という時間を過ごした後の最後の光。ああ、世界は厳しくも優しいなぁ…!と小声で叫びたくなるというもの。
 
 
夕焼け、雪、グロテスクなほど大量の蝸牛…時間をかけて撮ったのだろうな、と思っていると、4年かかったらしい。Q&Aで聞くことができたコツコツした制作過程は、この映画に流れる時間そのもののようだった。
 
 
 
監督、俳優陣、脚本…だったかな?彼らの国の諺(トルコと思われる)に、「探したものは見つからない、見つけたものを探したことになるのだ」というものがあるそうで、まさにそれを物語にした映画と言える。何度か上映されたうちの最終上映だったと思うのだけど、スクリーン7のスクリーンであの景色を観てみたかったな。