CINEMA STUDIO28

2016-02-29

Cinema memo : 弥生

 
 
アカデミー賞、ディカプリオついに獲って安堵。レオがオスカー獲れるかゲームのアプリがリリースされたり、過去ノミネートされながら逃した瞬間ばかり集めた動画などうっかり観てしまって、完全にネタやん…と切ない気持ちになっていた。アカデミー会員の好みにあわないのかもしれんけど、20年も獲れずネタにされるような俳優ちゃうねんで。
 
 
そして「レヴェナント」、撮影がエマニュエル・ルベツキという事実をオスカーで初めて知り(3年連続受賞)、俄然楽しみに。音楽が坂本龍一ということだけが不安材料か。好きだと思えたことがなくて…。
 
 
早いもので明日から3月。お楽しみは…
 
 
シネマヴェーラのミュージカル特集!しかし1本を除いてあと全部デジタル上映なのが残念。
 
 
新作ではタランティーノは必ず!
 
 
あらすじを知って、何ぞそれ?と思った「ロブスター」もついに…
 
 
リバイバルでチェックしているのは「ファズビンダー」の「SF」というだけで俄然観たいこちら
 
 
月末からは神保町シアターで杉村春子特集が。若尾文子映画祭で杉村春子に改めて魅了され、アンケートには「杉村春子映画祭をお願いします」と書いたばかり…違う映画館だけど。夢って叶うんだね!とラインナップ観たけど、オーソドックスすぎて少し拍子抜けしておる。「美貌に罪あり」のような大映の珍品かつ傑作発掘!を期待したのだけど。
 
 
最近はしっとりした文芸映画や社会派ドキュメンタリーより、よくできたフィクションを観たい気分が継続しており、名画座よりは賞レースに絡んだ新作をシネコンに観に行きたい。しかし3月後半から仕事でしばらく映画どころじゃなくなるだろうので無理はしない。家ではジョニー・トー祭も終盤を迎え(メジャーなものはだいたい観た)、映画館になかなかかからない映画群を家でじっくり監督しばりで観る楽しさに目覚めたので、次はスコセッシ祭かな?と思っているところ。

 

2016-02-28

2016/2/28

 
 
誇張ではなく文字通り心臓破りの急な坂を上ったところにある図書館は何でも貸してくれて、所有にあまり興味のない私は助かっている。昨日、アテネ・フランセで歌って踊るアステアを観たので、アステアのレコードを借りる。予約していたブレッソン「シネマトグラフ覚書」も届いていた。仏語版を所有しており、仏語で読む自分を期待して(もしくは読むために仏語を学習せんとする自分を期待して)日本語版を手に入れずにいたのだけど、数行読み、これは所有しなければならないのではないか、と考えているところ。
 
 
「人は、手で、頭で、肩で、どれほど多くのことを表現しうることか!そうすれば、どんなに沢山の無駄で疎ましい言葉の数々が消え失せることだろう!何という倹約!」
 
 
Que de chooses on peut experimer avec la main, avec la tete, avec les epaules! Combien de paroles inutiles et encombrantes alors disparaissent! Quelle economie!
 
 
ブレッソンだけでなく、ルビッチも得意とするところ。倹約!
 
 
どうタイプすればアクソンをつけられるのか不明なので、これが書き取りの課題なら減点されるところ。並べて読み比べれば仏語の勉強もできそう。アテネ・フランセ気分の継続。ブレッソンは殆どレンタルに出回っていないように思うけど、坂の上の図書館に何故か「ジャンヌ・ダルク裁判」だけあったので、予約して順番待ちしているところ。

 

2016-02-27

Athénée Français

 
 
本日の映画館。御茶ノ水、アテネ・フランセ。いつぶりだろうか…。
 
 
10年ほど前、ここで仏語を学んでいた時期があって、事務室や教室、地下のカフェテリア、懐かしくて映画の合間にウロウロ。地下のサンドウィッチ屋はLINASという店だったのが経営が変わったのかLIENSという店に微妙に変わっており、しかし名前だけで中はそのもまだった。LINASのサンドウィッチは美味しく隠れた名店と思っていたのだけど。アテネフランセ自体も外観は変わらないけど中は近代化していて、教室のドアも新しく。最初の授業で、お休みされた時は授業がどこまで進んだのかご連絡いたします。お電話か、お手紙か…と、先生がおっとりと話したので驚いた。…お手紙?むしろお手紙を選択したい。今はさすがにそのシステムはないのかな。
 
 
 
 
文化センターのスクリーン。いにしえの映画館アウラが放たれている。何年か前に映画を観に来たように思うけど記憶が薄く、通っていた頃に友達が訪ねてきて一緒にゴダール「アルファヴィル」を観た思い出のほうが色濃い。その友達とも疎遠になったことを考えると、10年という月日は長い。
 
 
 
 
座席、こんな鮮やかな赤だったっけ…?デジタル上映設備があるのかどうか知らないけど、今日はフィルム上映。ドアの外で待っていると映写室からカタカタとフィルムの音が聴こえてきた。

 

2016-02-26

2016/2/26

 
 
日曜、工芸館でお会いした栗鼠。暖かくなったらまた上野動物園に散歩に行きたい。
 
 
2月ももう終わりが見えてきて…あれ、2月といえばアカデミー賞、いつだっけ?と調べたらこの週末だった。日本時間では月曜の朝から。日本ではこれから公開される映画が多く、賞予想はできないけど、ディカプリオ獲ればいいなぁ。面白すぎて2回観た「ウルフオブウォールストリート」、あれ最高よね!と意見が一致した友達と「レヴェナント」観に行く予定で公開日もう手帳に書いてる。華奢な美少年だった頃も神々しかったけど、体積が倍ほどに増えた現在のディカプリオも貫禄あっていい。あまりメジャーじゃないけど特に好きなのは「レボリューショナリー・ロード」です。タイタニックの主演2人の演技合戦。007といい「アメリカン・ビューティー」といいサム・メンデスは信頼のマーク。
 
 
 
 
話をオスカーに戻して。「キャロル」の2人も、どんな衣装で登場するか楽しみ。Instagramで公式(@theacademy)をさっきフォロー。週末ドキドキしながら眺め、終わったらさっとフォロー外すのだ。祭気分はさっと消すに限る。今週は何やらたくさん文字を書いた気分。Bon week-end!

 

Carol





TOHOシネマズみゆき座で。トッド・ヘインズ「キャロル」、去年のカンヌの記事を読んでから楽しみにしていた。女性同士の恋の物語でケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが主演というだけで観る理由がありすぎる。



ケシシュ「アデル ブルーは熱い色」の記憶が強いせいか、起伏の激しい物語なのかな?と思っていたけど、そうではない。盛り上がりがあるようなないような、抑制の効いたトーンが最後まで貫かれていた。そのせいか、余韻が長く続いている。


原作者パトリシア・ハイスミス本人の実話なのだそうだ。50年代、同性愛は問題視され、小説はペンネームを使って世に出された。2人の女性は周囲の目を意識しながらも、自分の意思に従って生きたい欲望に素直であろうとする。ホッパーの絵が動いているかのような映像、50年代アメリカを再現した美術に衣装、見どころはたくさんあるけれど、2人の女優を観ているだけで映画を観る悦びに満たされる。大画面を長時間支配する権利のある女優とは、こんな2人のことだろう。


ケイト・ブランシェット、もはや適した賞賛の言葉すら探せない。露わになった背中は雄々しい厚みがあり、背負ってきた、背負うだろう重圧もキャロルなら投げ飛ばせる、と確信できる強靭さ。そしてルーニー・マーラ!とても好きな女優さんなのでキャスティングを知った時からケイトより楽しみだった。テレーズの役はミア・ワシコウスカが最初選ばれ、降板によりルーニー・マーラが選ばれたようで、キャスティング担当の人、私と女優の好みが同じ。ミア版も観てみたかったけど、テレーズのイノセントさはルーニー・マーラが適役ではないかしら。ミアだともっと腹に一物ありますが?というテレーズになったのではないかと思う。



50年代を生きるルーニー・マーラは、



「麗しのサブリナ」(1954年)の、パリに行って変身する前の素朴なサブリナや、




「パリの恋人」(1957年)の、モデルにスカウトされる前の実存主義かぶれのジョーに似ていた。


どれも50年代、テレーズがオードリーのよう、ということに加え、何か・誰かに出会って磨かれたならぴかぴかに光るだろう鈍い輝きを奥に秘めたイノセントな原石ということが似ている。思慮深さから迷いも多く、メニューすら自分で決められないテレーズが、キャロルによって磨かれ意思を持つ大人に変化していくさまは、女性同士ということは横に置き、クラシカルで普遍的な恋の物語だった。


男たちはとことん魅力のない存在で、成瀬の映画を観てるようだわ…夫の肩の向こうに森雅之が見える…(目ごしごし)…けれど、50年代ハリウッド・クラシックを観ても、男と女のお伽話のような物語ばかりだし、女性同士の恋はこれほどタブーだったのだろうと想像すると男たちの描写にも納得できる。


ある日突然、空から降ってきて、唐突な別離があったとしても、運命の2人であれば必ずまた出会う。恋とはこんなものかしら?と思い出したり、夢みる気分にさせてくれる。障害は多くとも「キャロル」はじゅうぶんに、恋のお伽話なのだ。


映画のイメージどおりにホッパーの絵のカバーのかかった「キャロル」文庫版は注文したので読むつもり。読み終わったら名画座にまわった頃に再見して、映画が省略したところ、強調したところを確認してみたい。

2016-02-24

女が眠る時

 
 
先日、東映試写室で観せていただいた「女が眠る時」。
 
 
 
プレスシートをいただき、表参道の駅に貼られたポスターも毎朝見ており、デザインどれも美しく、日本映画離れしている。監督はハーヴェイ・カイテル主演「スモーク」でお馴染みのウェイン・ワン監督。「ノルウェイの森」や、一部日本の場面があるエドワード・ヤン「ヤンヤン 夏の思い出」など、外国人監督の撮る日本って、日本のように見えない。どこか異国の架空の街に見える。そう考えると普段、これは東京の景色、これは京都と目に映るものを認識するときに、日本人として生れながらに刷り込まれている意識が何かしら作用するのだろうか。景色は景色としてただそこにあるのに、見ている側の見方で全く違って見えて、それがカメラを通しても反映されるのかしら。
 
 
「女が眠る時」は伊豆あたりが舞台のはず。登場人物の誰からも世俗の匂いがしないから、プールサイドやホテルの場面は架空の街Xの風景に見え、カメラが街に出て商店や道路を捉えた時、見慣れた古びた漢字の看板たちに目が驚いた。ああこれは日本だった、と。
 
 
作家の夫、編集者の妻がリゾートホテルに滞在し、老いた男と若い女の一組に目を留める。老いた男は若い女の眠る姿を映像に記録する。好奇心から作家は彼らを追いかけ、虚と実が入り混じり始める。作家に西島秀俊、老いた男にビートたけし。これだけで観たくなる映画好きは多そう。
 
 
 
 
しかし私にはなかなか退屈で、試写室にいた周囲の方々も始まった途端に眠る人多数。ミステリアスを装いたいふうのショットが積み重なっていくだけ。「ノルウェイの森」でも思ったことに、外国人監督が日本語で映画を撮る時、小説をそのまま読んでいるような不自然な台詞になるのは、単に言語の壁のせいなのだろうか。俳優2人の魅力に対し、女優陣(忽那汐里、小山田サユリ)の魅力が貧弱すぎ、2人ともファムファタールを気取りたいだけの普通の女にしか見えず、忽那汐里に至ってはずぶ濡れで走り回る痩せ細った犬のようだった。では女優、誰がキャスティングされれば映画を冒涜しなかったのかと問われるとすぐ名前が出てこないけど、この物語の中で女たちは男たちの添え物ではなく、そのミステリアスさが物語を牽引し掻き乱すほどの存在なのだから、ビートたけしや西島秀俊と並んで遜色のない女たちが選ばれなければならなかった。特異な存在感を最後まで扱いきれなかった消化不良感の残るビートたけしといい、観終わった印象は「西島秀俊が一生懸命立ち回って頑張ってた」だったな。
 
 
物語としては日本映画で全国公開されるものとしては難解かもしれないけど、ヨーロッパ映画や映画祭の観客なら好きな人はハマるかも?ただのリゾートホテルがSFのように映ってるのはそれだけで面白い映像だったから、悔やまれるはキャスティングと脚本……それって映画の大部分…。褒め言葉が出てこず心苦しくもあるけど、西島さんはこねてもこねてもまとまらない材料をなんとか形にしようとハンバーグのつなぎのような頑張りをみせていた(褒め言葉)…!2月27日から公開とのことです(この文章の閉じ方よ…)。

 

2016-02-23

さよなら、人類

 
 
 
ギンレイホールで。ロイ・アンダーソン「さよなら、人類」を観る。スウェーデン映画。
 
 
 
 
2014年の東京国際映画祭でかかった時は「実存を省みる枝の上の鳩」というタイトルで、これは原題の直訳。その年の映画祭では「破裂するドリアンの河の記憶」と並び、長く意味ありげなタイトルシリーズとして頭の隅に残っていたから、タイトルは重要。映画祭もロードショーで見逃したので、ギンレイでかかってくれて良かった。
 
シュールなジャック・タチという評判を聞いており、冒頭20分ほどは、なるほどね、ふむふむ。と観た。場所はあちこち変わるのに、壁の色がずっと同じトーンで、スウェーデンにはあの色の壁が多いのね。と思っていたら、全部セットらしい。ワンシーン・ワンカットで撮った39のシーンからなる。
 
 
吸血鬼の牙、笑い袋、歯抜けおやじマスク、今時どこで売れるの?という面白グッズの営業マン2人を中心に、市井の人々、馬、国王が登場、時勢も過去・現在・未来が交錯する群像劇。強烈なセクハラフラメンコ女性インストラクターが、彼女が中心ではない場面で、お気に入り男性とレストランで食事してるのが画面の隅にチラチラ映ってて、むしろそちらが気になるわ!(やがて泣き始め・・正式にフラれたのかな)画面全体見逃せない!と緊張して眺めているうちに疲れ、最後10分ほど眠った。肝心なところで・・・。
 
 
馬に乗った国王がカフェに登場する2度目の場面、戦争に負け、男たちは戦死し、女たちは泣いているのだ。と理解したあたりから、観る目も変わった。営業マン2人、高圧的な男、すぐ泣く弱い男の関係も、親密なようで微妙な力学が働いており、抑圧と非抑圧が描かれているのだな、と最後のほうに半分眠りながら理解して、そう考えると、この映画のほとんどは絵画のようなトーンで感情を打ち消しながら、抑圧と非抑圧の歴史と現在が描かれていたようにも思う。
 
 
酒代が払えないなら、キスで払って!の、ロッタの酒場の場面が好きだけど、あれも抑圧(ロッタ)/非抑圧(酒のためにキスしなければならない兵士たち)の構図だったのだろうか、と考えると、無邪気に好きとも言っておられぬ、スウェーデンの歴史も調べたくなるなど、何かしらもっと深読みをしたくなる映画だった。

2016-02-22

1920s - 30s

 
 
春の嵐って吹き荒れたのかしら。眠っていたから気づかなかったのかしら。朝の地面は濡れていた。しかし日曜の空は嵐が冬の気配を洗い流したような快晴。ギンレイホールで1本観てから靖国神社の前を通り、北の丸公園を抜けて工芸館へ。
 
 
フィルムセンターの展示に会期中何度も通うことがあるので、近代美術館のパスポートを持っており、竹橋のこちらも企画展以外は観られる。1年間、1000円の良い使い途ではないかしら。
 
 
 
 
未来へつづく美生活展の最終日へ。
 
 
このような展示物の製作年が幅広い展示では、展示品名より先に製作年を確認する癖があり、やはり私は20〜30年代が好き。ルビッチだって、観るように薦めてもらって最初に観たのは「街角 桃色の店」で、疲れている時に観たせいか印象に残らなかったのは…40年の映画ということもあるのかしら。その後ルビッチとの再会は、パリの…
 
 
1928年に建てられた映画館で
 
 
 
1925年に作られた映画「ウィンダミア夫人の扇」
映画館と映画、どちらもが放つアウラに圧倒され一気にルビッチに夢中に。
…20年代!
 
 
 
 
装身具を観るのが好きということもあり、こちらの一角に釘付け。どれも20年〜30年代。手前左の細長いものはシガレットケース、コンパクト、口紅の三位一体。サイズも小さめでどこに鏡や口紅があるのか、触ってパカッと開いてみたい…。「極楽特急」(1932年)でケイ・フランシスが持っているビジューたっぷりのクラッチバッグには何が入っているのか問題、これなら難なく入るし、用途もあれこれで装飾的かつ実用的。左上はイヤリングで、イヤリング掛けとセットでデザインされている。
 
 
 
 
展示物もさることながら、物に与えられた名前の美しさ。特に「初夏」と名付けられた紬(初夏という言葉の響きから連想する色そのもの)、「峰の雪」と名付けられた器、自然や季節に因んだ短い名前を潔く与えられるその言語感覚、自分に欠けているものなので羨ましい。何よりこれ、
 
 
 
 
ミニチュアサイズの工芸品と美術品の中間のようなオブジェが3つ並び、「用途を指示せぬ美の創案」と名付けられていて…名前と物の関係、禅問答のように名前自体が問いかけになっていて、物もまたそうである。という事実に圧倒された。これも1930年。
 
 
 
タイトルを決めるのが苦手なのに、いくつもタイトルの宿題を抱えておるので、欠けている種類の言語感覚は今からでも開発可能であろうか…。など、考えながら帰宅。

 

2016-02-21

Cinema studio28 award 2015 / Best H.K.

映画ベスト、最後は2015 Best H.K.!H.K.って?って野暮な質問ですね。川口浩に決まってるでしょ!2015年は大規模な若尾文子映画祭が開催され、短い期間で何本も大映映画を観たので、若尾文子だけではなく、大映俳優陣とは、もはやクラスメート気分。大映に短期留学したみたい。映画黄金期とはいえ、ある映画では恋人同士だった2人が、別の映画ではドロドロ反目しあってたりして、それが同じ年の公開だったりして、製作陣も俳優陣も混乱しなかったのかなぁ。
 
 
 
 
川口浩に関して我がオールタイムベストは、「最高殊勲夫人」、オムニバスの一篇だけど「女経」で、「くちづけ」「おとうと」など代表作からはちょっと外れていると思われ、軽やかなシティボーイとしての川口浩が好きなのよね。若尾文子映画祭では、これらの映画はパスして未見のものを中心に観た。未知なる川口浩。
 

改めてカウントしてみると、観た中で川口浩出演作は5本。もっと観ればよかったな…でも川口浩映画祭ではないものね…。
 
・東京おにぎり娘(1961年)
 
これだけレビューを書いておる。
 
若尾文子演じる主人公が、まりこっていう名前で、川口浩演じる五郎さんとは幼馴染、親同士も結婚しちゃいなさいよ、とけしかけるのだけど、より好きになったほうが結婚を申し込みましょう。など言ってる間に、五郎さんが他の相手に恋してしまうという、まりこ的にほろ苦い物語。川口浩に関係ないけど、その後で観た「濡れた二人」でも主人公の名前、まりこだったのだけど、獣と人間の成分半々ぐらいの北大路欣也(この映画は珍品。異様にギラついた北大路欣也だけでも観る価値はある)と…ああ…という展開で、気持ちが揺れる情緒不安定なまりこ。まりこが幸せになれない映画を2本観て、大映のプロデューサーか誰か、まりこって名前の女にこっぴどくフラれたとか、高いもの買わされた挙句に逃げられたとか何か恨みでもあるんでしょうか。まりこって名前の女はだいたい勝気だから(まりこ調べ)、もしかして…。
 
・家庭の事情(1962年)
 
定年を迎えたパパが、退職金を4姉妹にきっちり4分割して渡し、これで子育ては終了!と宣言する物語。男に貢ごうとする女、商売を始めんとする女、姉妹にもいろいろいるけど、最後には昭和っぽくみんな落ち着き先が見つかって丸くおさまったね!というホームドラマ。すでに記憶の遠くにあるのだけど、川口浩の印象が薄い。群像劇で出番が少なかったせいか。田宮二郎が田宮二郎らしさを発揮していてそちらの印象で上書きされている。
 
・女は抵抗する(1960年)
 
ロカビリーブームを背景に、敏腕女性プロモーター(若尾文子)が男社会でお仕事頑張ります、な物語で、川口浩は彼女を支えるジャズバンドのリーダーだったかな。映画自体の印象が薄いのだけど、女性ファンが紙テープ投げまくって歌手たちの身体に身動きとれなくなるぐらい絡みつくロカビリー喫茶の描写が何度か登場して強烈であった。
 
・閉店時間(1962年)
 
若尾文子、野添ひとみ、江波杏子のデパートガール3人組のそれぞれの青春。若尾文子が自立した女性で、川口浩演じる男尊女卑思想の社員と対立しながらも最後は…という物語。川口浩が途中までなかなかイヤなやつなのだけど、改心する過程が唐突気味で、え?もう変わっちゃったの?って拍子抜け。
 
・美貌に罪あり(1959年)
 
増村保造の映画、これは初見。若尾文子映画祭で観た中でもかなりの掘り出し物。あらすじだけ読むと、農家暮らしに嫌気がさした若尾文子がスチュワーデスを目指すお仕事青春ものに思えるのだけど、観てみると、昔から続く日本の家長制度が解体され近代化していく流れを、ひとつの家族の個々の決断になぞらえて描く、見ごたえたっぷりのドラマであった。美貌に罪あり、というタイトルが謎。杉村春子の存在感が見事すぎて他の出演陣が霞むほどで、川口浩の印象が薄い。若尾文子の実家の近くに住んでる幼馴染だったかな。山本富士子が踊りの師匠で勝新太郎と踊る場面があり、大映絶頂期のお金かかってそうな前衛的な舞台美術で謎のモダン日本舞踊を踊る…という奇妙な味わいの場面もあるし、野添ひとみも絶品。あまり上映されない印象だけど、これはまた是非とも観たいな。って、川口浩のこと何も語っていない…。
 
 
以上の中から2015Best H.K.は…(ドロドロドロドロドロ)…「東京おにぎり娘」!他の印象が薄いので消去法的に気弱に決定。まりこが幸せになれないのが気になるけど、川口浩に「まりちゃん!」って呼んでもらってしばらくの間は幸せであった。親同士が結婚させたがってるけど私たちは当分しないんだから設定は「最高殊勲夫人」と同じだけど、あちらはロマコメの定石に従い世にも可愛く成婚していた。新橋でおにぎり屋を営むまりこさんに伝えたいのは、相手は川口浩よ?わかってんの?もったいぶらずにさっさとつかまえなさい!ということである。2016年もまだ観ぬ川口浩との出会いを期待し、長々と続けたCinema studio28 award、発表終了。

 

2016-02-20

2016/2/20

 
 
妙に身体が怠くて重いのはきっと気圧のせいとして、この眠気は春が近づいてるからかしら。今夜の東京は春の嵐吹きすさぶとの噂。
 
 
天気が崩れないうちに、ラピュタ阿佐ヶ谷へ。ずいぶん前に来た気がしていたけど、上映室に入ってみて、もしかして初ラピュタだったのかもしれないと思った。基本的生活を山手線内側の狭い範囲で営んでいるので、円の外に出るのは遠足気分。ちょっとしか歩かなかったけど阿佐ヶ谷、生活の匂いのする街だったな。
 
 
見逃し続けていた「その場所に女ありて」を観に行ったのだけど、同じ特集でかかったらしい川島雄三「とんかつ大将」にちなんで、とんかつの食品サンプルが飾られていて、唐突な飾られっぷりに意表を突かれた。「とんかつ大将」も見逃し続けている1本だけど、川島雄三もとんかつも好きなので、次の機会でつかまえなければ。川島雄三は「喜劇 とんかつ一代」という映画も撮っていて、残念ながらそちらも未見なのだけど、溢れるとんかつ愛(知らないけど、きっとそうだよね…)を、映画という生業で活かせて素晴らしい。

 

2016-02-19

Cinema studio28 award 2015 / Best cinema books 2

2015映画ベスト、前田敦子さんについて熱くなりすぎ長くなって分断した映画本について、続き。
 
 
 
POPEYE 2015年6月号「僕の好きな映画」 マガジンハウス


楽しみにしていたので、発売日の朝、開店したての渋谷ブックファーストで買ったと記憶。朝早くに渋谷にいたのは、盛況のルビッチ特集で席を確保すべく、シネマヴェーラの開館前に並ぶため。映画のためとはいえ、我ながらよく頑張るね!階段で待ちながらPOPEYEを読み始めた。
 
 
雑誌の映画特集って、面白いと思えたことがないのは、執筆陣に目新しさもなく、だいたい公開される新作に絡めた宣伝(持ち上げることはしても冷静な感想でも批評でもない)が多いからかな。そのあたりから自由だからか、この号は面白かった。「僕の好きな映画」というシンプルな切り口で、いろんな人が好きな1本を好きなように語る。簡単なお題のようで、考え始めるとなかなか難しいのでは。何を選んだかがその人の印象を決めてしまいそうだし、たくさん観てる人は1本に絞るのも難しいし。自分だったら何を選ぶかな、と考えながら読んでいて、マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」かルビッチ「極楽特急」かな、と思う。
 
 
ファッションページも素敵で、撮影して編集して1本の映画をつくる流れがファッションとあわせて紹介されており、日大芸術学部の撮影スタジオやフィルム編集室が登場して、おおっ!と隅々まで見てしまう。編集室の椅子に座るモデル男子がTシャツ、デニム、サンダルのラクそうで同時にPOPEYEっぽいスタイリングなのだけど、写真の向こうにちゃんと物語が見える。この青年は、朝起きてさっと着替えて携帯と煙草と財布だけ持ってここに来て、夜中まで作業して帰って…の繰り返しの途中を撮られたって感じがするな。写真の向こうに映画青年の生活が見えるところが良かった。それから最初のほうの「映画監督ファッションがあるとしたら」というページ。ちょっと小津っぽい形の帽子に、コンバースは新品ではなくカメラマンの私物らしく履きこまれてよれよれしており、ポケットの大きいカーゴパンツに「台本が余裕で入る」って説明がついてて、その細かい想像力と機能性…いい!なんでそんなにポケット大きいの?って聞いて、台本入るんだ。って言われたら…ぐっとくるわ。隅々までしっかり読み、掲載されていたPORTER CLASSICのスカーフを購入した。雑誌を見て何かを買いに行くって、ずいぶん久しぶりのような気がする。
 
 
 
 
「もぎりよ今夜も有難う」 片桐はいり 幻冬社文庫
 
 
2015年は図らずも私にとっての小津イヤーになった。乗りかかった船だわ。と、秋には長野県茅野市で開催される小津安二郎記念蓼科高原映画祭に遠征したりして。片桐はいりさん、映画館界隈でしょっちゅう耳にするお名前だけど、今でも時々もぎりに立つというキネカ大森でもぎってもらったことは未だになく、接点がなかったところ、蓼科高原映画祭での上映後のトークで登壇されて、その映画・映画館愛にほとんど初めて触れた。
 
 
初めて行く街では映画館があるか尋ね、あれば挨拶のように行ってみること。小津監督の追っかけのように、ゆかりの地を旅していること。他人事とは思えず、東京に戻ってこの本をすぐに買って読んでみた。現在のシネスイッチ銀座の場所にかつてあった銀座文化でもぎりのバイトをしていたはいりさん、今よりずっとアナログだった時代のもぎりバイト中のエピソード、旅先で出会った映画館たち。本のタイトルも、ひとつひとつのエッセイのタイトルも、すべて映画のタイトルのもじりになっているという凝りよう。その中に「人生は長く静かな岡」という一篇がある。
 
 
2015年、memorandomというウェブマガジンで、東京の閉館した映画館について書いた。計6回を書くために、まず映画館をリストアップ。改めて調べてみると閉館した映画館は私の体感以上に多く、ノートのページがあっという間に埋まって唖然とした。自分の記憶も濃く、何か書けそうな予感がする映画館を絞りこみ、最終的に6館を選んだ。なんとか5回を書き進み、最後にとっておいた新橋文化劇場について改めて調べたこと、思い出したことをノートに書き出している段階から涙が止まらなくなった。いざ書き始めると数行書いては泣き、泣いて書くのを何度も中断した。なんとか最後まで書き終え、支離滅裂なことを書いていないか確認しながらまた泣き、どうしても泣いてしまうので何日か寝かせて送り、校正のために入った名曲喫茶ライオンでまた泣いた。大音量でクラシックがかかっており、座席がスピーカーに向かって配置されている店だから画面を見ながら泣いてる女がいても誰も気にしていないようで助かった。そして無事に掲載されたのを見届けてまた泣いた。けれど何故そんなに泣くのか、自分でさっぱりわからない。ふだん感情的なほうではないから、知らず知らず抑圧された涙が体内にたっぷり貯蔵されていて、これを機会に外に出ようとちゃっかり便乗しているのではないか、と疑ったりしてみた。
 
 
片桐はいりさんの「人生は長く静かな岡」は、渋谷にあったという東急文化会館の閉館についてのエッセイ。東急文化会館が閉館し、解体も始まって1年も経った頃、先輩女優から「無い!無いのよお!」「今渋谷なんだけど、無いの。なくなってるの!東急文化会館!」と悲鳴のような電話がかかってきたそうだ。とりあえずそこにいてください。と、はいりさんは渋谷に駆けつけ、泣きじゃくる先輩女優と喫茶店に入り、なだめているうちに、むしろはいりさんがうぉんうぉん泣いていた、と。
 
 
「ずいぶんたくさんの映画館を見送ってきた。銀座文化で働いていたころは、もぎり仲間たちと誘い合って、いちいち劇場にお別れを言いに行ったものだ。(中略)ひとりになったら、そんな勇気もなくなった。なくなっていくものがあまりに多すぎて、そのたびに立ち止まってはいられなくなった。」
 
 
「入れかわり立ちかわり水をつぎ足しに来るウェイトレスたちが、何?なんなの?とささやきあっている。昼日中から、混み合う店内で、どこかで見たことがある女二人、むせび泣く。どうぞ見のがして、と祈りながら、わたしは鼻水をすすっていた。」
 
 
これを読んでようやく私は、映画館がなくなったことで、あれだけ泣いたのだと思い当たった。うぉんうぉん泣くはいりさんと先輩女優さんの姿を想像しながら、映画館がなくなって号泣する人々がいるのだなぁ。あ、私もか。と、涙の理由をようやく知った。過ぎたこと、なくしたものにとれる態度は限られている。忘れてしまうか、思い出として大切にしまっておくか。センチメンタル嫌いな私は迷いなくさっさと忘れてしまうことを選択してきた。それは潔い態度かもしれないけど、ずいぶん気持ちには蓋をしてきたのだな。と、エッセイを読みながら思った。大切な場所を失うのは哀しい。それが続くと気分が滅入る。映画館がなくなることは、号泣に値する。書いて、泣いて、読んで、ずいぶん遠回りしてそんなシンプルなことに気がついたのだった。

 

2016-02-18

2016/2/18

 
さっき帰宅して、2015映画ベストの映画本の続きを書こうかな…と思ったのだけど、書き始めると絶対長くなるので保留。この週末のうちに全部書き終えよう。もういい加減、2015年気分でもないわ。
 
 
ジョニー・トー祭、今週は「スリ」(原題:文雀)を観て、これまでのジョニー・トーとはがらっと雰囲気の違う映画にうっとり。本篇を一度観て、特典映像のインタビューをしっかり観て、本篇を再び観ようとしているところ。ジャック・ドゥミやブレッソンへのオマージュでもあるけど、しっかり香港映画でもある。変わっていく好きな街の思い出を、こんなふうに映画にして残すことのできるジョニー・トーの才能が心底羨ましい。

 

2016-02-17

Cinema studio28 award 2015 / Best cinema books

まるで思い出した時に書いてるようなランダムな2015映画ベスト、楽しく読んだ映画本について。去年は仕事と映画とその他・私生活の隙間を縫って連載を書いていたこともあり、まとまった余分な時間がなかったので、批評などは読めず(もともとほとんど読まない)、隙間にぱらぱら読める軽いものばかりでした。
 
 
 
「ルビッチ・タッチ」ハーマン・G・ワインバーグ 国書刊行会


ひとりの映画監督について、史実が丁寧に紐解かれ、フィルモグラフィを網羅的に紹介してくれる本が好き。ルビッチについて、まとまった文章をほとんど読んだことがなく、ずいぶん前に東京であったらしい数本のみの特集上映のパンフレット(古本で購入)に掲載されタイトルだけのフィルモグラフィと、英語版のウィキペディアなど頼りにコツコツ観ていたので、この本の刊行は夢のようだった。当たり前だけど、ページをめくるたびにルビッチルビッチルビッチルビッチとルビッチ無双で幸せ。原書は1977年に刊行されたもので、この日本語版はトリュフォーによるエッセイや秦早穂子さんと山田宏一さんの対談も収録されていてお得感たっぷり。そしてこんな分厚い本を読んでも、ルビッチ・タッチっていったい何なのか、言語化するのは難しく、欠片だけでも真似できそうもないところがルビッチの素敵なところ。シネマヴェーラの特集と同じ時期に発売され、2015年の春はルビッチの春だった。
 
 
 
 
 
「前田敦子の映画手帖」前田敦子 朝日新聞出版
 
 
重厚なルビッチ本から、いきなり軽くなったね!と侮るなかれ。私の中での宝物レベルは同等、最上級なのである。そしてこの2冊、発売日が同じ日。2015年4月30日はきっと素晴らしい映画本が誕生する煌めく星の配置、宇宙も祝福した2冊…(大袈裟)…!夢中になれる、大好きな何かに出会ってしまった女の子の書いたキラキラの本なのです…!
 
 
前田敦子さん、アイドル時代から好きで、女優になってからも楽しみに出演作を観ており、そして本人は名画座に1人で出没し、新橋文化劇場にもゴッドファーザーを1人で観に行ったと何かで読み、そんな女の子のこと気にせずにはいられない。と思っていたところ、アエラの連載をまとめた映画本が出ると知ってさそく購入。難しい言葉がひとつも出てこない、観終わった瞬間の興奮をシンプルにそのまま真空パックしたような「すごい」「かわいい」「かっこいい」多用の文章は、とっても素直。読む人によってはその軽さが気になるかもしれないけど、私は女友達と一緒に映画館に行って、観終わった瞬間の、わぁー!って顔を見合わせてきゃいきゃい言うような、あの楽しい瞬間をいくつも思い出した。
 
 
周囲の人から薦められた映画の受け止め方もいい。映画を薦めるのって難しいことで、私も時々そんな機会があるのだけど、1本ずつ、「あなたにこれを薦める理由」を800字は書けそうな薦める理由があって選んでいるので、「観たけど、どこが面白いの?」とか言われると真剣に傷つくし、あまりにそれが続くと二度と薦めないぞ!と心に誓いもする。この本には映画監督や周りにいる人々に薦められて観た映画がいくつも出てくるけど、綺麗にラッピングされたチョコレートの箱を開けるみたいな手つきで、わー!と観たのがわかるような感想が書かれていて、ああ、彼女に映画を薦める人は幸せだろうな。秋元康には「ベティ・ブルー」を薦められ観て、まだ10代の自分には過激すぎて驚いたけど、「ただ、秋元さんがそういうことを気にせずに、こういうすてきな作品もあるんだよという意味を込めてすすめてくれたことが、とてもうれしかったのを覚えています」と書かれており…なんて受け取り上手なの!私も前田敦子さんに映画を薦めたい…!(そしてベティ・ブルーを薦める秋元康って…!)
 
 
薦められた映画も楽しみつつ、しかし観る映画はしっかり自分で決めてるようで、予告編が必要以上に情報が多いことが気になって、いつも映画館では予告編の時間は外で待ち、本編が始まる直前に着席するとのこと。そして観たい映画はポスターの雰囲気を観て決める、と。昔のハリウッド女優の本を読みたくて本屋に行き、グレース・ケリーの本を買って読み、出演作品を制覇、この本では「泥棒成金」「喝采」「上流社会」を紹介。私が映画を自主的に見始めた10代の頃の選び方にかなり近いのだけど、その頃と今じゃ情報量もまるで違って、芸能界のど真ん中にいてどんな情報でもとれそうな彼女が、こんなアナログな方法で観る映画を決めてるなんて…自分の目を信じてないとできないこと。映画と自分があればいい、余計なものは要らん。という姿勢の潔さよ。
 
 
あくまでさらっと書かれたこの本、けれど、スクリーンのこちらでじっと映画を観る若い観客である彼女と、時々スクリーンの向こう、女優になる彼女、そういえば歌って踊っての世界の人だった彼女…若さと、若さに似合わない経験値の高さを同時に匂わせて、読めば読むほど面白く、寂しい思いで読み終わると、最後のページに刊行記念トークショーの応募券がついてたので、ハガキに貼って初めてそういうの応募しちゃった!そしてあっさり落選した。そう、日本で一番有名なアイドルグループのトップだった人だものね、会いに行くには競争率高いってこと忘れてた。もっと何枚も応募すれば良かったのかしら。初回限定オマケで「本人セレクトによる名セリフしおり」がついていて、私のは「エデンの東」のセリフだったのだけど、これも何種類かあるみたいなのでコンプリートしたい…など考え…はっ!これが噂のAKB商法というやつなの!CD何枚も買って総選挙に投票する皆様の気持ち、ちょっとだけわかったかも…。
 
 
ああ、こんなに書くつもりなかったのに気がつけば長くなってる。好きって気持ちは暑苦しいわ。あと2冊あるのだけど、また明日(たぶん)…!

 

2016-02-16

KYOTO,MY MOTHER'S PLACE

 
 
本日の映画/映画館。と言ってもまったく原一男気分ではないのでパス。ラスト1本の大島渚のみ。夜に出歩きたくないのだけど、短いし、貴重な上映だと思うので。
 
 
BBCの依頼を受けて製作した「KYOTO,MY MOTHER'S PLACE」は大島渚自身の故郷である京都の歴史、母の人生、自身の半生についての50分のドキュメンタリー。瀬戸内で機嫌よう暮らしてたのに(父親が早逝して)京都の暗い町家で暮らさなあかんようになって、ほんま嫌やったわ(←そんな喋り方はしていないが…)と言いつつ、語り口が私の知るところのTHE京都の男!典型!だったので笑ってしまう。ロメール映画のセリフを借りると「愛の言葉にも出典を求めそう」な!もっとスコセッシの「イタリアンアメリカン」みたいな感じかと思っていたのだけど、ずいぶん印象が違ったのはイタリアンアメリカンと京都人の気質の違いだろうか…。
 
 
隣近所に目を配り家を守る京都の女として、結婚してからは私用で外出することもなく、自身を家に捧げた母親、そして生粋の京都人ではなく、どこか外の土地から小さい時に京都に移ってきた母親が、いかにも京都の女という振舞いを徹底して亡くなっていったこと。について触れながら、当時においては高等教育を受け、自由な生き方を求めていたかもしれない母親は、その人生についてどう考えていたのだろう…などとナレーションしながらも、大島渚自身もいずれ東京に母親を呼び寄せ、女に家を守ることを求めた京都の男のような振舞いを母親に見せる…という流れに業の深さを感じる。それを「京都という街が、(母にそのような生き方を)強制した」と語ったことも。
 
 
愛憎相半ばありつつも、長く暮らした街は身体の一部になってその人についてまわるのね。ということを、必要に迫られてちょうど考えんとしている時期だったのでタイムリーに見られて良かった。
 
 
 
 
シネマヴェーラ、次回特集がアステア祭…!

 

2016-02-15

2016/2/15

 
 
昨日の映画/映画館。特集上映があれば渋谷や新宿まで行くけど、できるだけ日比谷・有楽町・銀座界隈で観たい。家から近いし、観客も落ち着いてて静か。設備は新しくはないけど、一昔前の、夢のあるちょっとゴージャスな内装もいい。待望の「キャロル」を観ることにして、久しぶりにみゆき座へ。
 
 
宝塚劇場があるこの界隈、宝塚スターの出待ちをしている人たちも多い。ずいぶん前、赤いコートを着て映画館に急いで向かっていたら、出待ちの人々が何かのテーマカラーなのかみんな赤い服を着てビシッとスターの到着を待っていて、なんだか私もその一員みたいな格好だわ…。いえ違うんです。出待ちじゃないんです。映画なんです。と、心の中で言い訳めいた説明をしながら逃げるように通り過ぎたことあったな…。
 
 
封切られてすぐだからか、やはり映画館は冬の季語なのか、混んでいた。次の回は満席だったらしい。帰宅して、原作者のパトリシア・ハイスミス自身の実話だったと知り、その事実を知った自分で今すぐにでもまた観たいし、原作も読んでみたい。文庫が発売されていて、翻訳された方のブログがこちら。
 

 

2016-02-14

Cinema studio28 award 2015 / Best double features

2015映画ベスト、作品賞、男優賞、女優賞が終わり、ベスト番組賞。名画座の2本立て上映、この番組は最高だった!を讃えるもの。


・シネマヴェーラ渋谷 映画史上の名作特集「雨に唄えば」→「思い出」


1月の平日だったと記憶しているのだけど、仕事を終えて渋谷に移動し、駅からシネマヴェーラまで歩く道すがら、小雨の降る夜だった。到着してみて始まったのが「雨に唄えば」。何年かに一度の頻度で観ているのだけど、あらすじがいつも抜け落ち、映画史上の転換期、サイレントからトーキーに移行する時期の映画製作の裏側を描いた物語だと、観ながら思い出す。映画は虚構であるなぁ!という見事な総天然色。



「雨に唄えば」が終わり、次の1本がルビッチ「思い出」。完全なサイレント上映で、おじさんのいびきの音が会場に響き渡り…。「ローマの休日」の男女反転版のような、王子が庶民の娘に恋をする物語。ルビッチといえば、の扉の演出はなかったように思うのだけど、画面左から右に、森の中で王子が娘を追いかける姿→木の後ろを通る2人が視界から消え→追いかけ→木の後ろ。を繰り返した後、木の後ろで2人が静止し視界から消えたと思えば、画面右から猫がとことこ歩いてくるショットは去年のベストラブシーン。猫のタイミングまで完璧であった。写真はそのシーンの後の2人。


総天然色トーキー→モノクロのサイレントの2本立てを観て外に出ると、渋谷はまだ小雨、という夜でありました。


・目黒シネマ 市川準監督特集 「トニー滝谷」→「つぐみ」


この2本立ては、1本ずつ別々に観たので、2本続けて観たらどう思うかはわからない。「トニー滝谷」は犬童一心監督と宮沢りえさんのトークが上映後にあった。寡黙で短い映画だけど、観終わった後に、つくった人々のお話を聞きたくなる映画だと思う。

この日のレポートはこちらに



目黒は少し遠いけど、「つぐみ」を観ないなんて愚の骨頂のように思えて、別の日の夜に改めて観に行った。つぐみの暮らす家が海辺の旅館で、病気がちの彼女がベッドから這い上がりカーテンを開けると海、というオープニングから心を奪われ、最後まで潮の匂いがこちらまで届くようだった。まりあが東京を歩きながら、潮の匂いにあの頃を思い出す、というセリフに説得力のある映像。そして夏祭りの場面、私が小さい頃の夏祭りそのものだった。今と何が違うのかって、フォトジェニックな瞬間がたくさんあるのに、誰もカメラを構えていない。目の前にある景色を、隣にいる人とだけ見ている。


2015年観た映画で、ベストに入らずとも強く印象に残っているのが、SNSがつくる思い出と現実のギャップを描いた「スナップ」や、デジタル化された戦争で遠隔操作で人を殺すことで心を蝕まれた兵士が肉体を使って自分を取り戻していく「フル・コンタクト」だったということは、インターネットやSNSやスマートフォンから距離を置き、懐かしいのかどうかわからないけど、かつて持っていたはずの身体感覚を取り戻すことに興味があって、「つぐみ」の夏祭りの場面を観ながら小さい頃の感覚が蘇ったことが、興味にとどめを刺したように思う。目に触れるものや取り入れる手段を注意して選別しないと、空腹を感じることや、きちんと人恋しくなること、あらゆる生々しさを、そのうち私は忘れてしまう。


ほとんど荷物も持たずに「つぐみ」の舞台になった海辺の街に遊びに行きたいな、と思ったけど、あの旅館はもう廃業したらしい。目黒シネマのロビーは市川準記念館のように、ポスターや原稿が展示されていた。監督は生前、目黒シネマがお気に入りでビルごと買って、映画館の上に事務所を構えることを構想していたとかいないとか。それは実現しなかったけれど、毎年そんな場所で上映があるなんて、これ以上の追悼があるだろうか。

2016-02-13

2016/2/13

 
 
シャンタル・アケルマン特集で最も豪華な番組の1日だったので、早めにアンスティテュ・フランセに着いたつもりだったけど、想定外に人気で、その何時間も前に1日分のチケットが完売していたらしい…。映画館が減ってるせいか冬のせいか、このところ映画館がどこも混んでいて、チケット販売システム、もっとあちこち電子化されればいいのに…と思う。そちらのほうが運営側もラクなのではなかろうか。
 
 
いろいろ観るつもりだったけど「アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学」と恵比寿で観た「NO HOME MOVIE」の2本しか観られなかったな。しかし2本観てみて、アケルマンが好きか嫌いかというより、今はよくできたフィクションを観たい気分で、上映機会が貴重だからといって義務的に観るのもどうかな…と思っていたのだった。横浜に巡回した頃に、アケルマンの映画を観たい気持ちになっていたら、遠征して観に行こうかと思う。
 
 
など考えつつ、昨日は「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を、アケルマンにフラれて帰宅した今日は「ブレイキング・ニュース」をDVDで観た。ジョニー・トー祭、継続中。何千発ぶんの銃声を聞いたのだろうか。すっかり香港マカオに行きたくなってるし、よくできたフィクション最高!

 

2016-02-12

東映第一試写室

 
先週ばたばたしておったので、今日はお休みをいただき、声をかけていただいていた試写へ。
 
 
本日の映画/映画館。東映第一試写室は、東映会館(丸の内TOEIのあるビル)、東映本社内にあり、警備の方に試写に伺いました、と伝えて階を教えていただき、エレベーター降りるとオフィス…東映社員の皆さんがお仕事されてる脇を通って試写室へ。私の中では東映といえば仁義なき戦いや最近だとアウトレイジなので、この場所からヤクザ映画の名作が…!と胸を熱くしながら。設備は古く、50席ほど。スクリーンは小さく、一番前に座ってみたら、カーテンが開くとスクリーンはさらに奥にあったので(岩波ホールみたいに)、一番前で正解だった。
 
 
「女が眠る時」は2月27日から公開。感想はそのうち。しかし客席の皆さん、よく眠ってらっしゃいましたな…。
 
 
 

 

2016-02-11

Cinema memo : italianamerican

 
 
Cinema studio28 awardはあと少し続く予定だけど、本日はずっと外でバタバタしていたので一回休み。
 
フィルム、フィルム上映についてのポータルサイトがオープンしたとのこと。
 
そして知った大好きな映画の上映。スコセッシ「イタリアンアメリカン」、アテネフランセで今月上映ある!一昨年、フィルムセンターの特集で一度観てから、もう一度観たいと思っていたので嬉しい。スコセッシが両親を自宅で撮って彼らの話を聞きながら、イタリアからアメリカに移った移民一家の半生が浮かび上がってるくる小さく大きなドキュメンタリー。
 
 
アステア映画を最近観ていないので、「バンド・ワゴン」も観たいな…フィルムだし…。

 

2016-02-10

Cinema studio28 award 2015 / Best actresses

2015Best、男優賞につづきまして、本日は女優賞。ドロドロドロドロドロ(ドラムロール)
 
 
 
 
 
 
・ライア・コスタ 「ヴィクトリア」
 
 
「ヴィクトリア」で、主役・ヴィクトリアを演じたライア・コスタはスペインの女優。観終わった今も、この映画について追加情報を得てはいないので、ライア・コスタで撮ることを決めてから、ヴィクトリアのキャラクターをつくったのか、ヴィクトリアのキャラクターが先にあって、それを演じられる女優を探したのか知らないけど、ライア・コスタをキャスティングできただけで、この映画の7割は成功していたのではなかろうか。冒頭の、頼りなく隙だらけのヴィクトリアに、え、こんな所在なさげな人物が主人公なのか、最後まで観られるかなぁ。と、不安に思ったことすら、まんまと術中にはまっていた。
 
 
女ひとり、振り返らず歩く場面を持つ映画は素晴らしいって、「第三の男」の昔から決まってる。

 

 
 

 

 
 
 
 
・バーバラ・スタンウィック「レディ・イヴ」
 
 
「レディ・イヴ」はスクリューボールコメディの名手、プレストン・スタージェスの映画で、さすがに名手だけあって、誰をキャスティングしてどう演出すればボールがスクリューするのか知り尽くしている。「レディ・イヴ」を観てから、もっと彼女に会いたくて他の映画も観てみたけど「レディ・イヴ」ほど魅力的ではなかった。スタージェスは、どうせコケるなら間の抜けた顔の小柄な男より、コケる音量の大きさにも期待できそうな長身で真面目顔のヘンリー・フォンダのほうが笑えるってわかってるし、そんな男の相手役には、綺麗だけど動きが鈍い女より、歩くだけでボールが弾むような、小股の切れ上がった女、ダンサー出身のバーバラ・スタンウィックこそ適役とわかってるから名手なのだ。
 
 
台詞のキレも抜群。ディナーの席でヘンリー・フォンダを狙う女たちをコンパクトの鏡に映し、化粧直しを装いながら鏡に映る一挙手一投足にツッコミを入れていく場面の台詞まわしで、私は彼女に惚れた。バーバラ、吉本新喜劇でもナイスポジションを確保しそうな、関西のボケとツッコミのリズムを生まれながらに体得するアメリカ女性である。
 
 
生まれながらに恵まれた、ということに加え、ダンスがつくった筋肉にも支えられたスリットから覗く脚、折れそうに引き締まったウェスト、バーバラのスタイルを強調する衣装も素晴らしいな、と思えば、イーディス・ヘッドのデザインだった。さすが!
 
 
 
 
・長澤まさみ「海街diary」
 
 
「海街diary」は4姉妹が、美しいのはもちろん、与えられた役割をきっちり演じられる人を揃えることに成功している映画だった。吉田秋生の原作が秀逸、ということかもしれないけど、姉妹あるある的なキャラクター設定に加え、不在の父親や母親の性格が、それぞれに少しずつ宿っているだろうことも、物語の流れで自然に理解していく。何しろ広瀬すずちゃんが眩しすぎ、その後、テレビや雑誌で見かける広瀬すずちゃんは、ちょっと大人になっており、映画の頃の彼女はもうどこにもいない。撮られるべき人が撮られるべき瞬間に、きちんと撮られた幸福を味わう映画で、広瀬すずちゃんだけじゃなく、思い返してみれば4姉妹のみんながそんなふうに撮られている。
 
 
いない人、いなくなった人に振り回されながら、4姉妹の暮らしは濃くなっていく。母親がわりでもある長女、新たに家族になった四女が、不在者の影を肩に背負って、陰りを感じさせる役割を担うのに対し、次女、三女は陽の役割を担い、閉じた家族の内側と、太陽と海の街を繋ぐ存在として描かれる。次女・長澤まさみの伸びやかな肢体が古い日本家屋で動くだけで、何十年もその場所で蓄積された埃もさっと拭われ、光が射し込む。そんな効果を期待してか、ベッドに横たわる長澤まさみの脚のショットから映画は始まる。
 
 
あの身体で立っているだけで役割十分だけど、長女との対比で描かれる次女のキャラクター、放埓な異性関係も、後に登場する母親との血の繋がりを感じさせ、次女を通して、どこかしら母親も悪者なだけではない、憎めない存在に変化していく。何度かある喪の場面での姉妹の装いがそれぞれ特徴的で、長澤まさみは気難しい親戚のおばさんに怒られそうな膝上丈のノースリーブのワンピース(正座すると黒ストッキングの膝がさらに露出する)に、儀式の際はかろうじて何か羽織っているけど行き帰りではすぐノースリーヴ姿になり、露出した肌で喪の空気を消し去っていくのだ。
 
 
 
 
 
 
ああ、長澤まさみに素晴らしく似合う役が与えられたなぁ。ロメールやジャック・ロジエのヴァカンスもののような、夏に海辺で薄着の男女がだらだら恋をするだけの映画のヒロインとか、長澤まさみが演じるの観たいなぁ。「3人のアンヌ」のような、ホン・サンス映画でもいい。
 
 
私は姉妹がいないので(兄がいる)、姉妹感覚については想像の域を出ないのだけど、この4姉妹だったら次女(長澤まさみ)と三女(夏帆)を足して割ったようなタイプかな。両親のいない家庭で、お姉ちゃんがいてくれないと困るけど、お姉ちゃんも真面目すぎて大変だねぇ・・と言いながら、ごはんの前におやつを食べ過ぎ、無断外泊して怒られる、みたいな。それもあって、長澤まさみの伸びやかさに軽く共感もしつつ、綺麗なお姉さんに見惚れる中二男子のような目つきでも見つめた。

2016-02-09

Cinema studio28 award 2015 / Best actors

2015年、映画ベスト。各賞。まずは男優賞。
 
 
・ハーバート・マーシャル 「天使」「極楽特急」
 
シネマヴェーラ、ルビッチ特集よりハーバート・マーシャル!今回、何度目かの「天使」を観て、ディートリッヒを囲む2人の男、メルヴィン・ダグラス(写真右)、ハーバート・マーシャル(写真左)。いっけん、メルヴィン・ダグラスのほうがエレガントに見えるのだけど、それは彼がエレガントに見える演技をしているためで、作為の見えないハーバート・マーシャルこそエレガントな男なのではないか。と、その魅力に開眼したのであった。「極楽特急」を何度も観たのは、三角関係の中心にいて、だから出演時間がより長いハーバート・マーシャルを堪能するためなのであった。
 
声、表情、着こなし、立居振舞い。どれも静かに流れるようで、際立った特徴はないけど、ふと、ああ、あの人は優雅だった。と、うっとり振り返るようなさりげなさ。そして調べて知ったことには、ハーバート・マーシャルは第一次世界大戦で負傷して片足が義足だったとのこと。考えてみればルビッチはドイツからハリウッドに渡った人で、「生きるべきか死ぬべきか」はもちろん、「極楽特急」でもさりげなくナチス批判を織り交ぜ…(アドルフ!っていうセリフが唐突にあって驚く)、そして「極楽特急」と同じ年にルビッチにしては珍しいほどストレートに戦争の哀しみを描くシリアス劇「私の殺した男」を監督していたりもして、ルビッチ・タッチの裏には戦争に反対する唯一の手段は、の言葉を想像させるような意思も感じもするのだ。戦争の影を身体に抱えながら、微塵もそれを感じさせず、すっと立つハーバート・マーシャルこそ、ルビッチ・タッチの体現者と言える…かもしれない。
 
これにより?好きな俳優、オールタイムBest3は、ハーバート・マーシャル、川口浩、フレッド・アステアに決定。誰にも伝わらなさそうだけど、3人には私にしかわからなさそうな強い共通項があり、ちゃんと本能で選ぶと、好みってぶれないものですね。と、しみじみしておる。
 
「極楽特急」の撮影休憩中。セットの隅でお茶を飲む姿すらエレガント…
 
 
 
・イーサン・ホーク 「Born to be blue」
 
誰もが黄色い声をあげるようなアイドル的存在にキャーキャー言った記憶がさっぱりない私が、イーサン・ホークをbest actorに選ぶ日が来るなんて、月日とは不思議なものだわ。東京国際映画祭で観た「Born to be blue」は、チェット・ベイカーの人生の一部分を映画化したもの。「ビフォア・ミッドナイト」や「6歳のボクが、大人になるまで」で比較的最近のイーサン・ホークは観ており、その時は特に何も思わなかったので、この映画の彼がとりわけ印象的だったということか。薬に溺れる試練の時期のチェット・ベイカーを演じるイーサン・ホークは、角度によってはアイドル的俳優の面影も漂わせ、しかし角度によっては年月が容赦なく加えたグロテスクさも匂わせ、相反する魅力がバチバチ混じり合い、観終わってみると、うっとりした。何に?イーサン・ホークに。としか言いようのない存在感。スクリーンの中心で何時間も視界を占領する権利のある男であった。上手いかどうか、チェットに似てるかどうかということは別として、この映画はイーサンの歌も絶品。きっと公開されると思うので、その頃また会いに行きたい。
 
 
 
・トム・ハーディ「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
 
男優賞、最後の1人はこの方に。トム・ハーディというより、マックスという役、かもしれないけど、役と役者は不可分。何年か前「アナと雪の女王」を観に行き、堪能したのだけど、ディズニー映画って女の子に「いつか王子様が…」と夢見させるものなのではないの?よく知らんけど(ディズニーを全く通過せずに育ったので…)と衝撃も受けた。なにしろ姉は、ありのままの私になるために氷の城を自作して引きこもり、助けに向かう妹は途中出会い運命を感じた王子ふうの男に手酷く裏切られ、協力してくれる身分違いの男は体臭が酷く(ちょっとにおう♪みたいな歌あった記憶…)、大団円に達した後は身分を乗り越えいい感じになるかと思えばならず、しかし男は王室御用達業者と認定されて大喜び…良かったね!ロイヤルワラント…!…ああ、なんて厳しい物語なの、まるで現実のようだわ。ディズニーだけは「いつか王子様が…」って夢見させてくれるんじゃなかったの?家の前が小学校の通学路なので、登下校中の少年少女がのびのびと、ありのーままでーと歌うのをしょっちゅう聴いたけど、君たちこんな映画を観て、どんな大人に育つのかしらね。と勝手に心配までした。考えすぎだけども!
 
それから新しい映画を観るたびに、男、ヒーローの描かれ方について密かに注目していたのだけど「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」、案外このマックスという男は、新しい種類の「いい男」なのではないか…と思うに至った。男根的支配に反旗を翻す女たちは最初、マックスが男というだけで警戒していたけど、徐々にあれ…こいつは…なんか違うぞ…?と気づいていく過程が細かく描かれていた。ちょっとあっち倒しに行ってくるわ、と静かに去って行き、攻撃を見事に成功させて戻ってきて、無表情で次の仕事を進めるマックスの顔、女たちはみんな見ていた。俺やったぞ!とも言わずドヤ顔もしない。褒め言葉を求めない。しかし仕事はできる。すべて失ったらしい過去も一言も語らず、そっと女たちに共感して最大限に貢献、達成に喜ぶ女たちの姿に静かに癒され、無言で去って行く。こんな人いるの…?一緒にいてとてもラクだと思う。滅多にいないから映画になるんだね…。いつか王子様が。って夢見てもしょうがないし、そんなら自分で頑張るわ。と頭を切り替えた少女たちよ、マックス、いいよ(推薦)!
 
この映画についていろいろ感想を目にしたけど、笑いながらも私が共感したのはこちら。「風邪をひいた女性にお粥を作ることで、自分も癒される男なのです。今までのアクション映画に、そんなヒーローがいたでしょうか。」
 
2015年、007のボンドガールは知的な職業に就き共に闘った。ミッション・インポッシブルでも女は強かった。けれどジェームズ・ボンドもイーサン・ハントもマックスほど新しさを感じさせる男ではなかった。トム・ハーディは脚本を読んで驚いたはず。え…台詞3つぐらいしかないやん…主役、俺やで、と。でも「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」の主役は間違いなく、マックスなのであった。私がもし名画座であるならば「アナと雪の女王」と2本立てにするよ。

 

2016-02-08

2016/2/8

 
 
新年快楽!今年に入り、スマホ&インターネット離れすべくあらゆるSNSをiPhoneから削除したのだけど、使用頻度の低さから唯一残したSNS、それは微博(weChat )。北京に行った際、あちらの友達みんなから強制的にダウンロードを命じられたのだけど(中国では日本のLINE以上にインフラとして機能していて、支払いの際、誰も財布を開かない。すべて微博で決済するのだ)そちらでは新年の挨拶が飛び交っておった。
 
 
年間Bestの続き、各賞(男優、女優、その他)について書きたいのだけど、昨日たくさん文字数書いて疲労したのでいきなり一回休みである(怠惰!)。2月はジョニー・トー祭開催中で、エレクション前・後篇に続き「PTU」という映画を観て、これから観るDVDが手元に3本もあり、せわしない。ジョニー・トーの撮る夜の香港は男の匂いしかしない。これ、撮ってるジョニー・トーも見惚れてるよね、という場面の連続で眼福。

2016-02-07

Cinema studio28 award 2015 / Best films 5+1

明日は旧正月。ということは今日は旧暦の大晦日で、いよいよ去年のことを振り返るのもこの日までよ?と若干、追い詰められた気分で観た映画からベストをピックアップして記録しておく。旧作・新作問わず。一応10本選んでみたのだけど、選んだ中でも自分にとっても強弱が生まれたので5本に減らしてみて、そうすると漏れてしまうには惜しい1本を最後に足した。順位はなく、つけられるはずもありません。
 

 
・「やさしい女」ロベール・ブレッソン / 新宿武蔵野館、早稲田松竹
 
ロードショーの初日に観て、その後ドストエフスキーの原作を読み、もう一度観に行って、名画座にまわった時に3度目を観た。2015年、映画館で唯一3回観た…のは、上映が貴重な機会で、今後ソフト化されることもないらしいから。ブレッソンは「白夜」といい権利が複雑なのか、映画館で観る機会を逃せば次いつ観られるかわからない映画が多い…ということも素敵なこと。
 
何故3度も観たのか自分でもわからず、特にこの映画を好きでもなく、物語自体も苦手な部類だと思うのだけど、映画を観て生まれる感情は極私的なもので、観る自分は現実の人生や生活を引き摺った存在として物語と対峙するものとすれば、何かしら看過できないものが多分に含まれていた、ということかしら。あの夫が根太く抱える劣等感や敗北感が、恋とか愛とかの場面で歪な支配欲としてあらわれ、若く・美しく・賢い女が貧しさゆえにその囮になる物語だと受け取ったのだけど、この映画のコピーが「人を愛するとはどういうことか」だということに嫌悪感も抱きながらも、案外そんな物語かもしれない、と思ってしまって、結果3度も観た。映画を観てわからなかった部分は原作に理解の欠片を見つけるなど、多弁なドストエフスキーの物語を、寡黙な映画に仕立てたブレッソンの手つきには「白夜」然り、うっとりする。
 
 
・「極楽特急」エルンスト・ルビッチ / シネマヴェーラ渋谷
 
ヴェーラの素晴らしいルビッチ特集は1本だけ見落としたもののほぼ制覇。劇場に満ちるうっとりした空気はすでに懐かしく、ルビッチ、2年に1度ぐらい、あれぐらいの本数でかからないかしら。「極楽特急」はスクリーンで観て、その後DVDで2度観た。ルビッチ映画のほとんどは三角関係の物語で、バリエーションは男→女←男、女→男←女の二択。矢印の中心にいる人物の登場時間が当然ながら最も長く、「天使」ではディートリッヒを囲んで矢印の片側にいたハーバート・マーシャルという俳優が、「極楽特急」では女2人に囲まれて中心にいる、というのが、この映画を好きな理由。ハーバート・マーシャル!
 
「やさしい女」とは対極に、ルビッチ映画の多くは私にとっての恋とか愛とかの理想郷で、本当にこの世界がルビッチ映画のようであったなら、と願わずにはいられない。三角関係の物語だから恋の力学が描かれるのだけど、男も女も、恋に溺れ相手にもたれてずぶずぶ自分を差し出す、ということもなく、しっかり自分の場所に立ったまま、恋しさはスクリューボールに乗せて相手に投げる、その粋なこと。誰か1人が関係から退場することになっても、退場する背中すら見事であった。
 
オープニングで主題歌(!)が流れるのだけど、その歌も素敵で。恋をすればこの世は極楽、しかし時にトラブルもあるよ…という歌詞(意訳)だったと思うのだけど、この映画、「Trouble in paradise」という原題がすでに見事なルビッチ・タッチ。そして「極楽」はわかるけど「特急」って何ぞ。しかし「極楽特急」っていう響きはいいね!
 
 
・「ヴィクトリア」セバティアン・ジッパー / 東京国際映画祭 新宿WALD9
 
ここからは現代の映画。「ヴィクトリア」についてはこの日記でも長く書いたので割愛。ワンシーンワンカットという手法に、深夜から明け方にかけて1人の女性がどんどん変化していく物語がピタリとはまって、こんな映画を見せてくれてありがとう!と、映画に携わった人全員に最敬礼した映画。イメージフォーラムのサイトをチェックしていると今後のラインナップにあるのはこの映画だと思うので、公開されたらまた必ず観に行く。
 
 
 
・「ハッピーアワー」濱口竜介 / イメージフォーラム
 
東京での公開初日に観たけど、何も書いてなかった…。神戸を舞台にした、30代半ばを過ぎた女性4人の物語。プロの俳優が登場しない、演技経験のない、監督主催の演技ワークショップに集まった人々が演じていること、上映時間の長さ(3部制で半日かけて観る)、そんな映画が海外の映画祭で多数受賞していることで話題を呼んでいる。ということしか知らず観に行って、物語の意外なほどのドラマティックさに驚いた。もっと演じている女優たちの実人生を役柄に反映させたようなハートウォーミングな物語かと勝手に思ってた。最初は素人くささが多分に香る演技に、何時間もこれに耐えられるかな…と思っていたのだけど、時間の経過と共に女優たちはどんどん役柄になり、その過程と役の向こうの彼女たちが重なって、観終わる頃にはどんな巧い女優でも代替できない、唯一無二のキャスティングだったのだな、とすっかり納得している不思議。
 
伊丹十三の文章に「夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。」(ヨーロッパ退屈日記)という一節があることを折にふれて思い出すのだけど、この映画の女性はそんな時間を生きている。想像してみれば「ふつうの人々」が演技ワークショップに参加せんとする動機にも似たようなものがあるのかもね。ここまでの人生を受け止めながら、違う人になる欲望も止められない。生まれも育ちも関西ながら神戸という街に縁が薄い私は、神戸ってこんなに綺麗な街なのか、と知らない異国の景色を観るような気分だったけど、私が暮らしている街だって劣らず、薄氷の上を綱渡りの歩調で歩かされ、足元ばかり注意して見ているけど、ふと目を上げて見渡してみると、ずいぶん綺麗な場所にいたんだな、と気づかされるような、絶妙なタイトルを持つ映画。上映時間の長さは気にならず、2倍、3倍あってもずっと観ていられる。4人の人間の来し方、行く末、身の上話に耳を傾けるには、317分ではまったく足りません。
 
 
 
・「息を殺して」五十嵐耕平 / アップリンク
 
少し先の未来、オリンピックを真近に控えた東京。今から数年後の年末、ゴミ処理工場の二晩、夜から朝。しっかり語られないものの戦争は始まっているようで、生きている者と死んだらしい者が同時に映し出される。登場人物たちは仕事が終わってもだらだらと帰らず、オリンピックを観に行くお金もなく、小さな声で会話する。この映画の魅力を書くのは難しいけど、映画って過去・現在・未来どの時勢のことも描くことができて、でも映画館でありえない設定のアクション映画などわーわー楽しく観て帰宅した後、ふとニュースでシリアスな現実を目にすると、あれ、今日観るべき映画、あれで良かったのかな…と、ちょっと考えたりするような、ささやかに生じる違和感に応えてくれる映画だった。何年も後から振り返って、2015年は「息を殺して」を観た年だった、ああいう映画が作られる空気だった。と思い出すような映画かもしれない。ブレッソンでもルビッチでもなく。
 
唯一登場する女性が、世界にとってはささやかだけど、彼女にとっては大きな、関係をひとつ整理した後、踊る場面が素晴らしい。そっと差し出される手の温もり。白く明けていく夜。
 
 
・「あの日の午後」蔡明亮 / 東京フィルメックス 有楽町朝日ホール
 
上の5本をまず選んで、残り5本を省こうとして、省けなかった1本。蔡明亮の新作は、監督についてまとめた書籍…だったかな…に載せるために、監督の映画にずっと主演しているリー・カンションとの対談が欲しい、と編集者が考え、それなら映像にしたらどうだ、と監督が提案し、そういった経緯でできた1本…と上映後に登壇した監督自身が説明していたように思う。本当に2人が喋ってるだけのシンプルな映画なので、朝イチだし絶対に眠るだろうな…と思っていたけど、もう眠るどころではなかった。蔡明亮の、リー・カンションへの激しいラブレター。とにかく2時間ずっと愛を語り続ける。「俺より先に死ぬな」と懇願し(これ以上の愛の言葉ってある?)、健康を気にかけ、他の監督の映画に出る時は嫉妬まじりの心配をする。今は一緒に暮らしているらしく、途中まで2人はどんな関係なんだろう…と思っていたけど、セクシャリティに言及する場面もあり、徐々に観客は理解していく…と同時に、彼らの関係を端的に表すような言葉がこの世にはない、ということにも徐々に驚いていく。
 
こんなに激しい愛の告白映画が上映された後、どんな表情で2人は観客の前に立つのだろう…ちょっと照れてるのかな、と思ったのはまったくもって凡人の発想、まるっきり照れることもなく、もう映画そのまんまだったので、映画の続きを観ているようだった。蔡明亮の映画は蔡明亮そのもので、リー・カンションなくしてそれは成立しない。分身というより、もっと距離が近い。自分自身を表現する時に、ここは隠して、ここは見せてなど、ちょこまか考えることなど小賢しいことで、表現とはもっとその人丸ごとなのである。と、テカテカと健康そうな様子で喋りまくる蔡明亮を目の当たりにして思い知らされた。それだけで2015年の他の映画体験とは違ったものになったので、選ばずにはいられない。