CINEMA STUDIO28

2016-04-30

四月物語

 
 
四月って文字を目にしたり、耳にしたりするたびに、不意に肌に触れられたように細胞がざわつくのは、四月のはらむ曖昧さのためだろうか。さよならの余韻が残る中のはじめまして、冬物をしまわないうちに着はじめる薄物、咲いたそばから散っていく桜、まともに眠る時間もないまま外に出た私の都合など無関係に色づく視界。
 
 
四月のはじめ、初めてスクリーンで、フィルムで観た「四月物語」も、とらえどころのない四月が短い物語にぎゅっと閉じ込められていて、細胞がざわついた。北海道から出てきた卯月が勝手のわからない東京の郊外で分厚いニットを着ているのもいいし、同級生にからかわれて脱ぎいきなり半袖なるのもいい。少女と女の中間にあって、彼女を東京まで連れてきた秘められた感情が時折ごろっと顔を覗かせるのも良かった。書店で先輩を見つめる、あの上目遣いよ。
 
 
公開当時、日本にいなかったので、どのように公開されたのか知らず、今回、早稲田松竹でポスターを初めて見た。そしてパンフレットってどんなだったのだろう、と調べてみると意表をつくルックスだったので、完全版と思われるものを思わず古書で手に入れた。紐のついた大きな箱を開けると、
 
 
 
 
埋め込まれたブックレットと、あさがおの種。完全版、というのは、出回っている古書を見比べるうち、ほとんどのものにあさがおの種が付属していなかったから。せっかくなので、種もどんなだったのか見てみたい。付属していないものは、買った人が当時、種を蒔いて育てたのかな。
 
 
 
 
ブックレットは色違いで5冊あり、もちろん中身も全部違う。卯月が先輩を思って大切に読んだ国木田独歩「武蔵野」はもちろん、キャスト、スタッフの言葉、シナリオ、劇中映画を漫画化したもの、豪華な執筆陣が寄せた原稿。映画は1時間の中篇で、ブックレットを全部読み終わるほうが時間がかかる。あの小さな映画を、みんなが寄ってたかって盛大に愛でている様子、当時のミニシアター界隈は盛り上がっていたのだなあ。
 
 
さよなら四月、また11ヶ月後に会いましょう。

 

2016-04-29

ファイリング

 
 
ひんやりした風吹きすさぶ東京、昭和の日。借りたDVDを観て返さなきゃ、と言ったら、近所の友人も観たいと思っていたものらしく(「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」)うちのスクリーンで上映会しましょうか、と約束していたのが、友人の体調不良で流れた。ぽかっと時間が空いたので、午後から取り組んでいた部屋の片付けに勤しむ。紙モノ、徐々に整理しようね私、と本棚付近に積んだのは年末だっけ。一向に徐々る気配もなく4月も終わろうとしている事実に愕然…。
 
 
紙モノ、それは各種手続き書類、取扱説明書、手紙、そして映画のチラシや資料。映画関係が8割を占める。これを分厚い2穴ファイルにファイリングしていく。今のところファイルは3つ。「日本・アジア映画、国内の映画祭」「フランス映画」「アメリカ、その他地域の映画」で、現時点でぎっしりなので、そのうちファイルが増えて分類も細かくなるのだろう。観たものすべてを保管しているわけではなく、何かしらひっかかったものに絞っている。写真の「恐怖分子」のチラシは去年のリバイバルではなく90年代の公開当時のもので、長らく大切にしている。映画祭でかかるような珍しい地域の映画は配給されないことも多く、映画祭のブックレットが貴重な情報源だったりして、翌年の映画祭で観る映画を決める時の参考資料としても役立つ。ファイリング、面倒で後回しにしてしまうけど、今頑張っておくと後々の自分が助かる。
 
 
 
 
フランス映画のファイルを見ていてロメール「コレクションする女」のブックレット発見。何年か前にメゾンエルメスで上映された時のもの。最近LAで上映されたというpostを見たばかり。この映画のヒロインはロメール映画の中でもファッショナブルなほうだと思う。そしてラストシーンのあっけなさが最高で、クスクス笑いながらエルメスのエレベーターを降りた記憶がある。配布されるブックレットも現在のものとは違う蛇腹式で情報が多い。
 
 
『コレクションする女』は、見る者を夢中にさせ、挑発する映画であり、複雑な時代の複雑な証人である。突き詰めればそれはまた、ある闘いの肖像と言えるかもしれない。物事において、また人生において生じる、自然なものと人為のものとの容赦なき闘いの肖像なのだ、と。


そう、ロメールお得意の、奔放で自由な女と「愛の言葉にも出典を求めそう」な男の物語だったな、と思い出す。この時一度観たきりで、その後観る機会がなかったので、有楽町で再見するのが楽しみ。そしていちいちこうやって読んでいると、ファイリングなんて永遠に終わらない。
 
 
 

 

2016-04-28

2016/4/28

 
 
去年の夏、友達と食事に行った北京の路地で。犬のような動きの猫だった。犬のように人懐こかった。
 
 
毎年のことながら、2月あたりから4月後半、GW前のこの時期までの記憶が薄い。何もしていなかったように思うけど、手元には終わらせたらしい成果物がたくさんあることに驚く。仕事の資料も仕上がっているし、何人かに手紙を送った形跡もあり、原稿も書き終わった。冬眠してる間に小人さんが片付けてくれたのかな…と本気で考える。1年をここで仕切り直せることがありがたい。書く余裕がなかった映画の感想も、いくつか書けるのではないかと思う。
 
 
5月〜6月、「ハッピーアワー」が名画座に巡回するのを、半日分の時間をやりくりして、どこかでまた捕まえられたら嬉しい。あれは舞台挨拶だったか何かで読んだのか、濱口竜介監督が役者たちに「撮らせて貰えて幸せでした」と言っていたのが印象的だった。監督は何年かおきに転居し、その場所で映画を撮るスタイルだそうで、現在はアメリカにいるらしい。

 

2016-04-27

2016/4/27

 
 
本日の映画/映画館、待望の。
 
 
エンドロールでレオナルド・ディカプリオの名前が映された時、Bravo!!!!!!と立ち上がって拍手しかけた。ミスター匍匐前進、オスカー獲得おめでとう!今回も見事な匍匐前進だった。
 
 
 
今夜漂う、濃厚な金曜の夜っぽさ。明日まだ仕事があるなんて冗談みたい…。
 
 
 
 

 

2016-04-26

新旧交代

 
 
朝ドラのヒロインバトンタッチセレモニーのように、宇宙で活躍系ロボット/ドロイドたちのバトンタッチで付け替えられるiPhoneケース。注文したのが航空便で届いた。手荒な扱いに耐えたTARS、お疲れ様。R2-D2&BB-8、よろしくね。せっかくかっこいい黒iPhoneにしたのに思いのほかファンシーなケースになっちゃったけど、いいの。かわいいから(目尻を下げながら)。

 

2016-04-25

2016/4/25

 
 
電話をとったら、落ち着いて聞きなさい。の後に唐突な訃報を知らされる。うまく反応できないまま、目の端にニコニコしながら電話が終わるのを待ってる人が目に入り、受話器を置いて立ち上がり、こちらもニコニコと仕事の話と四方山話を終え、約束したメールをすぐ書いて送ったところで、聞いたばかりの訃報を思い出した。何もなかったかのように流れていく日常の驚くべき強度よ。私の人生の時間は続いている。終わっていない。
 
 
ふっと映画の場面が降りてくるのが思考の癖で、ずいぶん前に一度観たきりの「幻の光」が降りてきたのは残された人々の喪の時間の物語だったからだろうか。

 

2016-04-24

2016/4/24

 
 
テスト前日のような気分で一日中、机に向かっている。あともう少し。そしてテスト前ほど古い雑誌を引っ張り出して読んだり、おもむろに片付けたり半径2メートルほどに意識が向くもので、「四月物語」のパンフレットに仕舞い忘れた朝顔の種。これもパンフレットの中身の一部。パッケージにはヒロインの卯月さんが映画の中で着ているワンピースで描かれている。
 
 
 
ガーデニングの金字塔 あさがお って書いてあるのだけど、「金字塔」という言葉は「あさがお」を形容するのに似合わないな。98年公開の映画だから、18年も前のあさがおの種だけど、未開封状態なら蒔いたら芽がもしや出るのだろうか。数分の現実逃避もしたことだし、テスト勉強(じゃないけど)に戻ろう…。

 

2016-04-23

写真展 映画館

 
 
映画館に行く余裕はないけど、展示&トークは1回きりなのでこちらへ。
 
 
 
 
北から南まで津々浦々の映画館。2007年から映画館を撮影する旅に出始めたとのことで、当時は現役でも現在はもう閉館してしまってる映画館は多い。モノクロ、フィルム撮影ということで誤解していたけど、閉館した映画館ばかりではなく現役、もしくは開館に立ち会った映画館(元町映画館)や、新しめの映画館(広島の八丁座など)もあった。
 
 
「映画館と観客の文化史」では、欧米の初期の映画館の前身はヴォードヴィルショーの劇場が多かったと書かれていたのだけど、日本でも同じで芝居小屋から映画館に転換したところが多く、その面影を思い切り残した趣のある映画館が成人映画館だったりして驚き。それから京都、千本日活は「五番町夕霧楼」の舞台になったかつて遊郭だった一角にあって、千本日活は五番町の花街組合事務所の跡地に建っているというのが興味深い。古地図など好きな人なら詳しいのだろうけど、繁華街って昔から脈々と繁華街だし、映画館ってそんな界隈に建っていて、だからかつての新橋、浅草のように名画座の隣に成人映画館が併設されていたりするのよね。千本日活、行ったことないけど、現役なんだなぁ…。
 
 
トークの際の質疑応答で、巡った映画館で映画を観ているのか?との問いには、時間が合えば観ているけど旅程もタイトなので観ていないこともある。映画を観ることより映画館を撮ることが目的、と答えていたし、写真家でもあり映写技師でもある中馬聰さんは、映画自体もちろん好きなのだろうけど、映画館、映写室、フィルムによりざぶざぶと愛情と執着を抱いている印象だった。シネコン否定派の人からの質問には、快適だからシネコンによく行くしシネコンで観るのも好き、但しシネコンで観たことが印象に残るかと言えばそれは違う、と答えていた。
 
 
何より、こういった昔ながらの映画館を撮ることで、レトロ、ノスタルジックを好むように思われがちだが、むしろそれは避けたいと思っていること。写真を観てレトロ、ノスタルジックという感情を抱くのは観ている人であって、自分は写す対象にそれを求めているわけではない。という、きっぱりした言葉。昔ながらの映画館の写真を観る→ノスタルジックな気持ちになる→撮った写真家もそんな気持ちで撮ったのだろう、と推測するのは単純だけど、そうではない、というのを聞けて良かった。
 
 
 
 
 
一部、撮影可能エリアがあって、これは浅草中映・名画座の並び。時間表や番組表はフィルムセンターのスタッフの方が閉館に際して引き取り所蔵したものだとか。「彼氏と彼女の憧れの大スターに銀幕で再会しよう‼︎」って、言いたいことはわかるけどその日本語は正しいのだろうか、と思うフレーズながら、‼︎が斜めになってるだけで途端に漂う昭和っぽさよ。斜めになってるだけなのに…。
 
 
この写真の手前にミラノ座のカップルシートが置いてあり、ミラノ座の椅子に座って浅草を背景に写真を撮ることもできますよ、とのこと。それぞれ現役の頃は不可能だった、新宿と浅草の時空を超えたコラボレーション。この間まで座っていたミラノ座やシネパトスの座席は再会してみると、あなたそんな顔でしたっけ?という顔をしており、実用目的で座るための椅子だったから、まじまじ見たことなんてなかった。映画館でたくさん並んでいた座席が1つずつ取り出され、展示品として置かれているのを観て、ああ、ミラノ座やシネパトスでこれに座って映画を観る日々はもう過ぎ去ったんだな、と思った。
 
 
会期は7月までと長く、違う切り口のトークイベントもまたあるので、何度も通うつもり。

 

2016-04-22

2016/4/22

 
 
考えてみればこの週末も映画館に行く隙間時間がない…。しかし週末を乗り越えれば来週はディカプリオが熊と闘う映画を観に行く予定だから気持ち的には大丈夫。
 
 
まったく関係ない時に、ふっと映画の場面が脈絡なく脳内に降りてくることがよくあって、今日は「青髭8人目の妻」、デパートのパジャマ売り場の場面が降りてきた。勢いよく物を処分しすぎて夏もののパジャマがない…と、ふと気づいたことがきっかけなのか、GWが近く、去年のこの時期はルビッチ特集を今か今かと待ちわびていたことを思い出したからか。脳の働きは不思議。それにしてもパジャマ売り場で恋が始まるなんて、洒落てる。
 
 
この時期のシネマヴェーラ企画、今年は清水宏だそう。桑野通子好きなので「家庭日記」に興味津々。
 

2016-04-21

2016/4/21

 
 
ここ数日、スコセッシ「ミーン・ストリート」を最後まで観ようと試みていたのだけど、何日トライしても心が逸れ、いったん断念。73年のリトル・イタリーがどんな場所だったか観られたのは収穫。70〜80年代の映画をあまり観ていないのは視覚の問題で、その頃のファッションが好みではない、という理由が大きい。せっかく映画を観るのだから、自分好みのものを観てうっとりしたい。ちなみに私はショーン・ペンの見た目がどうにもこうにも苦手で、ショーン・ペン界隈にはどうしても詳しくなれない。どうも良い映画にたくさん出てるらしいと風の噂には聞いてるのだけど…。
 
 
話を戻して。しかしハーヴェイ・カイテルもデ・ニーロもさすがに若かった。2010年代のデ・ニーロがすっかり灰汁が抜けた、にこやかな老紳士を演じるなんて(「マイ・インターン」!なかなか面白い映画だった)誰も、本人も想像しなかったんだろうな。

 

2016-04-20

ローリング

 
 
観た映画のメモ。「ローリング」を観た頃はまだ桜も咲いてなかったな…(遠い目)。
 
 
 
 
水戸を舞台にした、元教師・権藤と、権藤が東京から連れて帰ってきたキャバクラ嬢・みはり、権藤の教え子・貫一の三角関係の顛末。権藤は女子更衣室を盗撮し職を追われた、2016年日本・週刊誌の吊り広告で頻繁に見かける言い回しを用いるとゲスの極み教師と呼びたい男。彼が中心に据えられ、役者の魅力のせいなのかさほど嫌悪感を誘う描かれ方ではなかったけど、こういう、ダメな俺ですみません、えへへ。的人物が苦手でしょうがないので私は嫌悪しながら観た。
 
 
若き教え子・貫一が、権藤に不相応に可愛いキャバクラ嬢・みはりを一瞬で奪い、権藤はまた負の方向へと回転していく。若い2人が可愛くて、貫一に対しては登場の瞬間からさっさと寝盗っちまえ、と応援する気になるし、みはりちゃんに対しては後ろは振り返らずに行くが良い、未来は少なくとも今よりは明るいぞ!という気になる。貫一を三浦貴大が演じており、佇まい以上に声がいい。黙っているより話しているほうがいい男。
 
 
そして、みはりちゃん。「ローリング」は、みはりちゃんの不思議な聖性に支えられた物語だった。柳英里紗が演じていなければ、この映画は観ていられないものになったかもしれない。みはりちゃんはきっと頭からつま先まで国道沿いのしまむらで買ったものを身につけてる。ぴらぴらの化繊で露出度は高い。トレンドもブランドも知らないし、上質で丁寧な暮らしなんて考えたこともない。身体の70%はコンビニごはんでできている。そんなみはりちゃんが他の誰より、芸能人になった地元の同級生の女より、みはりちゃんのほうが断然可愛い。生っぽくて安上がりな、地方都市の天使として描かれる。
 
 
若い2人が水戸に見切りをつけ東京に行くことにして、みはりちゃんは権藤に別れの挨拶に来る。権藤なんてほっといて無言で出て行けばいいのに、そこで挨拶に来るのが天使というもので、権藤の負の回転力にずるずる巻き込まれていく。考えてみれば一度は水戸を離れた権藤も水戸に戻り、貫一もまた水戸を出ない。みはりちゃんは男たちにだけ見える天使だから、男たちが水戸を出ない限り水戸にいる。水戸から東京なんてたいして離れていないのに、東京じゃなくても出て行く場所はあるだろうに、水戸から出ない、出られない人たちの物語だった。水戸の磁場が強いのではない。彼らがただ出て行かないのだ。
 
 
ああ、みはりちゃん。頭だって悪くないはずなのに、優しさゆえに男たちの公共物と化し、哀しみの方向へ回転していくなんて、ちょっとモンローみたい。「ローリング」、権藤に苛立つので二度と観たくないけど、みはりちゃんに何度も会いたい葛藤とともに、時々思い出すことになるだろう。

 

2016-04-19

2016/4/19

 
 
昨夜からの読書。室生犀星「蜜のあはれ」、いつの間にかいろんな書籍が出ているけど、どれか旧仮名遣いのものはあるのだろうか。普及しているのは講談社文芸文庫版だけど、あれは旧仮名ではない。かつて書店で手にとってみて「をぢさま」が「おじさま」になっていてがっかりしたっけ。題名もやはり「あわれ」ではなく「あはれ」と書かれているものを読みたい。
 
 
信頼のおける国書刊行会版を今回も借りてきた。これまで暮らしたあちこちの街の図書館で、この本を何度借りただろうか。持たない派に図書館は好都合だけど、金魚の目の部分に所有元を主張するシールを貼るのはいただけない。そろそろ購入して手元に置くべきということだろうか、時は満ちたか。
 
 
今回借りてきたのは、映画を観る前に読んでおきたかったから。都合のいい場所でかかっていないせいもあって延び延びになってるけど、理由は他にあって、映画を観てしまうともう、私とこの物語の蜜月期間が終わってしまう気がして。意を決してさっき予告篇を観てみたら、もう言いたいことが3つ4つ見つかってしまって、どうしよう、とぐずぐずしている。
 

 

2016-04-18

Carol

 
 
心に留めたまま書いていないことが多すぎる。映画原作のパトリシア・ハイスミス「キャロル」、何週間も前に読了。作家本人の実話だと誤解していたけど、あとがきを読むと、デパートの人形売り場でアルバイトしていたこと、キャロルのモデルになる婦人がそこに買い物に来たことは事実だけど、それ以降は創作らしい。婦人に出会った日、仕事を終えると家に帰り、熱に浮かされたように物語のアイディアと筋書きを8ページほど書き、翌朝に発熱、水疱瘡にかかったらしい。「熱は想像力を飛翔させてくれる」と書かれていた。西川美和監督はいくつかの映画の着想を、夢、悪夢から得たと読んだばかりで、どこにでも物語の種は転がっているのだな。見つけて、形にできる人は一握りだとしても。
 
 
映画にするために小説のいくつかの要素は省略されていたけど、省略されすぎて残念というほどでもなく、主役2人は脚本だけでなく、原作の行間まできっちり読みキャロルとテレーズを体現したのだな、と思わされた。時代的に女同士の恋愛が異端扱いされたことを軸に物語は進んでいたけど、同性だからって何だというの、と思わせるほどに純度の高いただのひとつの恋愛の成り行きがくっきり際立ち、むしろ2人の年の差にこそ特徴があるように思えた。20ほど年の差はあるはずながら、手練れのキャロルにうら若きテレーズがあっさり陥落し転がされるように教育された、というよくある話として描かれてはいないことこそ特徴と思う。夫も子もあるという事情を抱えるキャロル、けれどテレーズも事情を抱えないわけではない。それぞれが自分の時間を生きながら、抗いがたい、能動的な選択として相手を求めることが、きっちり描かれていたから恋愛ものが苦手な私でも、映画も小説も楽しめた。
 
 
それから、映画では2人がいったん別れ、再び出会うまでのそれぞれの時間が描かれ、強い意思をもって、もしくは決定的な出来事が起きて、ということもないまま、最後の再会を迎える。あの描き方は、小説ではくっきり描かれているのを敢えて映画では曖昧にしたのか、と思っていたけれど、映画と小説にさほど差異はない。2人の内面が数ミリ移動し、それによって決意がもたらされる、繊細な表現が連なっていた。そして共にいる夢中の時間ではなく、不意に訪れる別離の時間こそがテレーズを大人にする。映画、小説どちらも、私がこの物語で一番好きなのはそのくだりだった。
 
 
読み終えて改めて表紙の絵を見ると、ホッパーのこの絵はなんて「キャロル」に似合うのだろう。絵の中の女性は、始まりを待つようにも、熱情を冷ますようにも、どの場面のテレーズのようにも見える。

 

2016-04-17

The eternal city

 
 
眠ってばかりの週末。ようやくヒトらしく二足歩行できそう…おお、進化。など体力回復に歓喜してみるも、無情なことにもはや日曜の夜、再び眠る時間が来た。盆地育ちなので暑いのも寒いのもそれなりに得意だけど、こと屋内にいる時間においては、冷房も暖房も要らず、開けた窓からそよそよ風が舞い込む中、眠気に抗わず眠れるこの季節ほどの多幸は他にあるだろうか。
 
 
観なければならないものも、書かなければならないものもたくさんあるけど、返事しなければならない2通だけ短く返事し、眠りの合間に西川美和監督の本を読んでいたら、書かなければならないものにおいて示唆に富んだ内容だったので、人生に無駄な時間などないのであるな、と悦に入った。映画を監督することについて書かれたエッセイの冒頭。
 
 
「宇宙旅行へ出かけてみたい」と思ってはみても、では実際お連れしましょう、と言われたらちょっと尻込みしてしまうように、私は映画の監督をすることに尻込みをしてしまった。そういう時「やっほう、レッツゴー!」と言える人、本来監督をやるべきは、そういうタイプなのだと思います。


…ん?やっほう、レッツゴー!的な何かを最近、目にした気がするよ…探してみるとこれだった。スコセッシが11歳の時に描いたという絵コンテ。75㎜シネスコサイズ。MARSCO PRODUCTIONというのは Martin Scorseseに因んだ名前なのだろう。製作費さえ与えられれば明日にでも撮影を始められそうなクオリティ。やっほう、レッツゴー系の人は凄い…生まれながらの素養だなぁ…。スコセッシのフィルモグラフィーにそれほど詳しくないけど、この映画まだ撮ってないはず。映画監督が私財を投げ打って構想何十年、巨大セットで撮った系列の映画が大好きなので(ジャック・タチ「プレイタイム」やコッポラ「ワン・フロム・ザ・ハート」などが該当)是非元気なうちに11歳からの構想を実現!という触れ込みで撮ってほしいもの。この系列の映画は製作費の膨大さに対し興行的に失敗しがちで監督の破産を招く…というオチがつきがちなのだけれど。
 
 
西川美和監督からスコセッシに着地したので、いよいよスコセッシについて考えようっと。

 

2016-04-16

2016/4/16

 
 
昨夜、遅い時間に小麦粉もの(ラーメン)を食べたせいか身体が重く、目指すところだった素早く爽やかな目覚めには程遠い結果に。年々、小麦粉が身体に合わなくなってきているのは関西出身として由由しき事態だとは思っておる。
 
 
西川美和監督の別の本をまた借りてくる。「夢売るふたり」公開時の書籍で、監督やキャストのインタビュー、絵コンテなど。まだ映画を観ていないので、内容に触れそうなところは保留しながら。100の質問に答えているのが特に面白く、「初恋は?」「ラブレターを出したことは?」「初めてデートした相手は?」の質問に「言いたくない」「知りません」「恥ずかしい」と答えているのが、イメージどおり。こういう質問に嬉々として答える種類の女性、あまり好きじゃない。あと「男性のどんなところに魅力を感じますか」の質問への「自分の職へのプロ意識」という答えはいいな。全面的に同意。それ、実現してくれないかな、と思ったのは「テレビで1時間、好きに番組を作っていい、と言われたら、どんな番組を作りますか?」の質問への答え。「素人参加番組 『名画にチャレンジ』。ゴッドファーザーや大脱走、ベン・ハーなどの世紀の名画の一場面を、ど素人の家族や中学生の演劇部などに演じてもらう。」これ、西川監督のディレクションで観てみたいわ。「お熱いのがお好き」なんかも良いんじゃないかしら。
 
 
素人による名画の再現で思い出すのは、パリでぶらぶら歩いていた場所が「勝手にしやがれ」のラスト、ベルモンドが追い詰められて死ぬ界隈だと気づき、通りの名前を調べて行ってみた。カンパーニュ・プルミエール通り。写真を撮って帰宅し、ラストシーンを動画で観てみると、パリは景観が東京ほど短いサイクルで変わる街ではないので、現在とあまり印象が変わらない。ということは再現もしやすいということで、あの通りで誰か真似っこして撮った映画好きはいるはず、と調べてみたら、スペイン系らしき人々が再現しているのを発見。まだあるかな?とyoutubeで探してみたけど発見できず。俳優さんたちが誰も似ていないのが絶妙に素人くさくて良かった。難易度が高いのは、撃たれたベルモンドのヨレヨレ歩きの再現、ということもよくわかった。

 

2016-04-15

2016/4/15

 
 
仕事帰り、友達と現地待ち合わせで「リップヴァンウィンクルの花嫁」、18時半からの回に急いで滑り込み。建物入口にこんな大きく宣伝が。ユーロスペースっぽくない、シネマライズっぽい。岩井俊二の映画とシネマライズって記憶の中で手を繋いでいるからそう思うのかな。どうしてユーロでかかるんだろ、と思ったら、そういえばシネマライズはもうないのだ。
 
 
懐かしかったり新しかったりの映画だった。3時間の長丁場、ドーナツを買って持って入り、しかし観終わるとお腹が空いて、もはや曜日の感覚の怪しい私が「今日って何曜日だっけ…?」と問うと「金曜だよ!」と返ってきたのでドンキホーテ前あたりで軽く飛び跳ね、感想をわぁわぁ喋りながら塩ラーメン食べた。痩せる気はあるのか…。

 

2016-04-14

2016/4/14

 
 
「永い言い訳」を読み終わり、西川美和監督の過去の書籍を借りてきた。文体が好みということは、生理的に好ましいということと殆ど等しいと、よく思う。「永い言い訳」の装丁(葛西薫)も、「映画にまつわるXについて」の装丁(寄藤文平)も、西川監督の文体に似合ってる。「夢売るふたり」を未見ということが心にひっかかっていたのだけど、松たか子と監督がフォークリフト免許取得のため教習所に通ったエピソードを読み、近々、必ず観ようと決めた。
 
 
日記を読んでくださっている方に、熊本、九州方面の方はいらっしゃるのでしょうか。どうかご無事でありますように。数分おきに緊急地震速報の音が聴こえてきます。

 

2016-04-13

永い言い訳

 
 
西川美和監督の小説「永い言い訳」についてメモ。幼馴染のような女性2人が旅行に行き、交通事故で命を落とす。遺された夫2人の物語。主役はそのうちの1人で、本名を嫌いペンネームで活動する人気作家。冷えた夫婦関係が不慮の事故により唐突に終わりを迎える。夫たちの、タイトルどおり永い言い訳の物語だった。
 
 
2組の夫婦と関係する他者たちが一人称で語る部分と、そうではない部分が半々あって、後者のほうは複数の視点が脈絡なくスイッチしていくので慣れるまで混乱した。読んだことのない種類の文章だな、と不思議に思いながら読んでいたけど、映画のひとつの場面で同時に複数の人が映っていて、誰もが同時に何らかの言葉を発しているのを録音して言葉にしたような、と思い当たると腑に落ちた。映画監督の書いた小説を映画になる前に読むのは、おそらく初めての経験。最初に小説を読み、その後、その映画版を観るというパターンは何度もあるけど、小説・映画、どちらも同じ人物によるもの、というのも初めてかもしれない。
 
 
作家は我々(と括っていいものか)のいけすかなさを凝縮した人物で、呆れながらも身につまされる。そして亡くなった彼の妻。こんな鋭い女と一緒に暮らすのは「書く者」にとっては針の筵では、と思う箇所があって、読みながら軽く震え上がった。
 
 
自分の身に起きたことを削り取り、外に向かって書く、売る、というその蛮行を、ただ黙って理解し、赦し続けることだけが唯一「書く者」の家族の務めであるはずなのに、それが出来なくなる。どこからが「創作」で、どこからが現実からの謄写か、という境界線探しにのめり込んでゆく。暴かれることを恐れているのではない。むしろ暴き切れずに、すんでのところで本人の臆病な保身や、甘い自己肯定が顔を出す箇所を、見過ごせなくなるのだ。世間の読者が「うまい」と思ってくれるところを、「あ、逃げた」と、感じてしまう。主人公が、物語の締めくくりとともに人間的成長や新たな出発の糸口を見出したりしていると、救われるどころか、むしょうに鼻白む。人間に、そんな安直があるものか。お前は成長したか。新しい突破口など、見つけているのか。嘘嘘嘘。どうせどれもこれも、嘘つきが書いた、嘘ばっかりじゃんか。私はいつの間にか、彼の作品の、最大の敵になっていた。

 
配役は作家役に本木雅弘、妻役は深津絵里。子役の演出が肝のように思うけど、是枝門下生の西川監督なら子役の演出もきっと見事なのだろうな。
 
 
こちらのインタビューも面白かった。「映画は妻、小説は愛人」

 

2016-04-12

Cinema memo : 映画館

 
 
心身の復活、5合目まで到達。ほとんど1人で黙々と仕事を片づけて、体調も崩せない…と気が張っていたので終わった後の脱力感もなかなか。週末、見送った岩井俊二の新作、観に行く日にち、改めて決めた。
 
 
北京の映画博物館、CGってどうやってつくるの?のコーナー、ペンギンがモデルになっていたので思わず撮った。キャラクター設計→背景設計→動作設計→合成、という流れで無の状態から寒そうなところにいるペンギン映像が出来上がるステップの解説。ペンギン、モデルとしてしっかり働いていた。
 
 
去年発売された写真集「映画館」、まだ買っていないのだけど、刊行当時いくつかあった展示に行くつもりで全て逃したよよよ…とおもっていたら、フィルムセンターの次の展示がまさにそれ!
 
 
 
 
出品リストを見ていると、連載に書いた映画館が3つも(新宿、浅草、新橋)、そして新宿ミラノ座はペアシート、銀座シネパトスの座席も。映画や監督の展示はたくさん観たけど、映画館そのものの展示って初めて観るのではなかろうか。今は観る方法も増えたとはいえ、映画館がなければ映画、観られない時代が長かったのにね。ミラノ座やシネパトスの座席、あまり印象は強くなくて、東京の映画館だとやっぱり新橋文化の座席が懐かしい。ドリンクホルダーもついてないぐらい古くて、長い時間、人に座られ続けた形跡のあるベコベコした合皮だった。飲み物買って入っても、飲み干すまでずっと手で持ってなきゃいけなかったのよね。ドリンクホルダーにずいぶん私は甘やかされていたんだな…と気づいたものよ。
 
 
戦前の映画館の写真も楽しみ…!映画はもちろん好きだけど、映画館そのものも好き…異国の見知らぬ街の映画館の写真など眺めてどんな観客がいてどんな映画がかかるのか妄想したり、映画館の階段に無造作にフィルム缶が積まれてるの見るだけできゃーっ!と胸が高鳴ってその日はおいしくご飯が食べられるよ…という嗜好はなかなか伝わりづらく(当たり前か)、私も説明の言葉をあまり持たないのだけど、そんなニッチな嗜好を満たしてくれる展示があるなんて、まったく東京はいい街だな。

 

2016-04-11

Kingsman

 
 
昨日、アイロンがけしながら観た「キングスマン」、コリン・ファース主演のスパイものという前知識しかなく見始め、007のようなシリアススパイものかと思っていたらテンションの軽さに驚き、「キック・アス」の監督とようやく知って納得した。物語もさることながら、映像に深みがなくてテレビドラマみたい。映画館じゃなく家のスクリーンで観たからかしら。
 
 
サヴィル・ローの高級テーラー「キングスマン」が実は世界最強のスパイ機関…という設定は意外性だけではなく、美術も楽しめ、コリン・ファースってこんなに敏捷に動ける人なのだね、という驚きの後、激しいアクションの後も乱れないスーツの仕立ての良さよ。終盤の3分の1のスクリーンを支配するプティ・コリン・ファース的存在のタロン・エガートンという新人俳優が、緩めの服装からスーツに着替える瞬間はpopeyeの「大人になったら」特集を彷彿とさせ、あと10年もすれば何代目かのジェームズ・ボンド候補になるのではないかしらん。それともこんな軽いスパイ映画に出た俳優は、それだけでボンド・リストから外れてしまうのだろうか。
 
 
去年はスパイものの当たり年だったらしく、未見の「コードネームU.N.C.L.E」も近々観る予定。

 

2016-04-10

2016/4/10

 
 
夕方から渋谷で岩井俊二の新作を観る予定だったのが、昼寝しながら→何時に起きて支度すれば間に合うのだっけ→調べる気力が枯渇→また眠る、を繰り返していたところ、約束していた友達から体調が優れないと連絡が来る。私も昼寝から起き上がれない…と返事し、お互い今日は静養日と決定した。のろのろ起き上がって苺を食べ、借りていた「キングスマン」を観る。想像より遥かに子供っぽかったけど、ひたすらアイロンがけしながら観るのにちょうど良い塩梅の映画だった。
 
 
返却日が近づいているのに手をつけていない濱口竜介監督の本を開いてみる。映画「ハッピーアワー」のテキスト集成。「はじめに」の文章だけで引き込まれ、購入するか一旦返却してまた予約するかしなければ、と思う。あと数日あるから、脚本以外のパートは読めるかな。
 
 
「大学を卒業後、商業映画の助監督になって、学生時代に多くの時間を費やした映画や音楽の経験が、撮影現場の実務においては一切、役に立たないことに気づかずにはいられなかった。時に尻を蹴られつつ「映画や音楽は自分を助けてくれない」という事実に絶望的な気分にもなった。自分が大事だと思い、何なら人生の時間を捧げたものが、自分を一切助けてくれないことは、心の底から苦しい体験でもあった。
 
それから時間を重ね、今はどちらかと言えば全く逆のことを確信している。映画や音楽は人が生きることを助ける。最良のそれらは常に、人が真摯に生きたことの証拠であるからだ。記録機械であるカメラ(やマイク)はその事実を確かに記録して、何度でも再生する。疑いようのない証を見て、聞いたことが、受け取った者の基底において生きることを励ます。確信を持ってそう言えるのは、それが僕自身において起きたことだからだ。」

 

2016-04-09

2016/4/9

 
 
ウールのコートやニットをまとめてクリーニングに出す。スーパーに行くと、あまおうが底値らしき値段で、春のような陽気、春めいてきたなど形容する季節は終わり、正式に春になったらしい。改装していたセブンイレブンの工事が終わったことに気づき、平日朝から買い物に行って戻る道すがら、桜の花、登校する小学生、駅に向かう勤め人、白い朝の光が同じ視界に全部あって、ちょっと天国の景色だった。
 
 
何日か前の夜から見始めた「ナイトクローラー」を昼間に観終わる。ずっと夜の時間が映っていたから、夜に観ればよかったな、と場違いな時間に思った。ジェイク・ギレンホールの顔面の僅かな不均衡が役柄に似合いすぎていた。
 
 
今日は髪を切る程度の外出で、体力が尽きた。回復が待たれる。

2016-04-08

2016/4/8

 
 
はー!ひとまず終わった! 嬉しくて帰りの電車で友達にきゃー!きゃー!というテンションで終わった報告。先月から休みに出勤しすぎたのでGWにしっかり代休をとろう。あと3週間で休暇!
 
 
「リップヴァンウィンクルの花嫁」のサイトをチェックし、「ねこかんむり」のアプリを思わずダウンロード。岩井俊二の公式サイトでねこかんむりキット、グッズいろいろ売ってる…商売上手だな…。
 
 
 
目が覚めるまで眠ったら、伸び放題の髪を切りに行き、映画を観に行こう。部屋を片づけ、資料のDVDも観て、手紙も書かなきゃ。Bon week-end!
 
 

 

2016-04-07

2016/4/7

 
 
「永い言い訳」を読み終え、さっと次の本を手に取り往復の電車で読み始めた。読書が捗る理由はなんとなくわかっていて、web上の文章を読むことが減ったから。特にSNS。紙のページをめくっていると、ああ、編集された、本人以外の何人かの目を通過して世に出された文章…いいなぁ…と、うっとり。
 
 
今読んでいるのは穂村弘さんと川上未映子さんの共著「たましいのふたりごと」。2人+編集部がそれぞれ出し合った78のキーワードについての対談集。
 
 
「人たらし」という言葉について語られる箇所。穂村弘さんが「たとえば相手が演劇をやっていて、観た作品がたまたまつまらなかった場合、自分の率直な感想を優先するか関係性を優先するかで緊張するよね。良かったときに良かったよというのはいいんだけど、そうすると良くなかったときにどうするんだという問題が生じる。正直に言えるかどうか。」「すべて率直に言えるのがいいと思うけど、その緊張感に耐えられないので、どんどん回避していくと限りなく人たらし的な対応に近くなる」と発言しているのを読み、あ、私、これ、身に覚えがある。
 
 
ずいぶん前、友人が制作している演劇を観に行き、「他所の大学の学園祭に遊びに行ったら友達にばったり合って、ノルマ的にチケットを売ってたから1枚買ってみて連れられて行った場所でやってたような芝居だった」「つまらなくはないけど、面白くもない。そう考えると、つまらないと面白いの間には案外、距離があるのだな、と思った」って感想を書いたら、読んだ友人から「感想、書いてたねぇ」と渋めの顔で言われた。辛辣な感想、書いてたねぇ。の略なのだな、と思ったけど、好き勝手書いちゃってごめんなさいね、とは思わなかったので、穂村弘的に言えば私の対応はまったく人たらし的ではない。その後を読み進めていると、穂村さんは波風を立てること、争いごとが苦手な人のようで、好戦的な川上さんとは対照的な印象。だからこその「人たらし」の解釈ということか。そして私が思いつく限り、身の回りで最も「人たらし」という言葉が似合う人も、穂村弘的「人たらし」に該当しない。
 
 
ロメールの映画でセリフの洪水を浴びると、よくこんなに喋れるね!ということ以上に、こんなにたくさんの言葉を交わしても、人ってわかりあえずにすれ違っていくのだね!と思うことのほうが多いけれど、この本を読んでいても、言葉に自覚的な人々が差し向かいで言葉を交わしても、それぞれの解釈はまるで違うのだから、わかりあえた、共感した、なんて刹那の幻想であるな。南無南無。という気分でページをめくっている。
 
 
 
昨今観た映画の中で、最も「人たらし」的キャラクターは「極楽特急」でハーバート・マーシャル演じるガストン・モネスクだった。しかし思い出してみると、たらされているのは女ばかりで、そんなガストンを男たちは警戒していたから、ただの「女たらし」なのかもしれない。「人たらし」って言葉、難しい。

2016-04-06

2016/4/6

 
 
あと一息で仕事漬けの日々もいったん終わる。さほど仕事が立て込んでいない時に自分がどうやって過ごしていたのか、その体感が薄くなっていることに気づく。
 
 
西川美和監督の小説「永い言い訳」、さっき読み終わる。昨夜、お花見した友達はさすがの読書家でとっくに読んでおり、「すごいね、あと50ページ残ってるけど」「ほんと素晴らしいよね」と言い合う。
 
 
恐るべき鋭い観察眼。他人のことも自分のこともよく見えすぎている、的確に捉えすぎている、そんな印象で、夢中で物語を追いながら、書いている西川美和という女性のことを考える。こんなに何もかも見えて、辛くないのかしら。あ、けれど彼女は小説家というだけではない。だから映画監督なのだなぁ。きっと天職なのだろうなぁ。

2016-04-05

お花見2016



火曜ではあるけれど、予定が合ったのがこの日だったので、近所の友達と近所で待ち合わせてお花見へ。近所なので待ち合わせ場所が「坂の上の謎の自動販売機の前で」だったりして。1000円で夢が当たる!的な謎の自動販売機がある。誰かがそこにお金を突っ込んでるの、見たことないけど。先に着いて場所を確保し、ぼんやりしていると夜道に猫登場。春ですね、ご一緒しますか。と話しかけ、しばらく見つめ合ってたけど、友達が到着する前に去って行かれました。




火曜なのでノンアルコールで。と言っても最近ほとんどお酒を飲まない。和菓子を持ち寄ることにして、友達は味重視、私はビジュアル重視で準備することに。お盆に一式乗せて坂を上がる。NODATE PICNIC!といきたいところだけど、野点道具をまだ持っていない。次の京都で買うかな。




去年は地元の「つる瀬」という和菓子屋で桜大福を買って同じ場所で食べた。今年も、と週末に取り置き依頼にお店に行ってみたら、営業時間が短くなり18時閉店になっていたので、仕事の後にピックアップできず断念。代わりに、昼休みに買いに行けるよう表参道界隈で良さげな店を探す。


菊家に行ってみた。店の前に一本、柳がひょっと植えられているのが風流だった。向田邦子さんお気に入りのお店だったそうで、店内に写真が飾られていた。



上生菓子、右のは「吉野山」だったか「吉野桜」だったか。あ!吉野!と思って迷わず選ぶ。奈良・吉野といえば桜の名所として名高い場所で、母の故郷が吉野だから、小さい頃、吉野山でお花見した思い出がある。そして4月5日は母の誕生日。昨日、お花の配送を手配したのだった。私の血の半分が引き寄せたなんたる偶然。もう一つはミルク寒天のようなふよふよした中に蝶々が飛んでいる春らしいお菓子。どちらも名前があやふやで、和菓子の名前をいちいち正確に覚えるようにしたい。



場所は団子坂の上、森鴎外旧居前。「舞」という銅像があって、舞姫のエリーさんがモチーフのようだけど、よくよく見てみれば目線が鴎外の家を向いていてちょっと怖い…。あんたがいなければ日本に来ることも狂うこともなかったのよ…って言ってるみたいだねぇ。と、言いながらもぐもぐ食べ、お茶をずずっと飲み、寒くなってきたのでお花見終了。団子坂をお盆を持って下っていると、すれ違った自転車の男性が、は?何なのこの人たち?と思い切り振り返っておられました。お花見帰りです。



人の気配がなくて、木の下に椅子が3つあるのが便利で、私の秘密のお花見スポットなのだけど、先に到着してお盆を置こうと一番遠い椅子に近づいてみて見つけた。こんな言葉が書かれたメモ。後ろに百円玉が貼ってあって、飛ばないように重りなのかな。誰が何のために…?




ロメール「緑の光線」で、主人公が彷徨うパリやフランスのあちこちの街で、何故か偶然トランプを拾う場面を思い出した。私ももうすぐ緑の光線を見る、これは予兆なのかしら。

2016-04-04

初夏のロメール

 
 
仕事は今週でなんとか落ち着きそうだけど、4月に観る映画を整理できていない。「リップヴァンウィンクルの花嫁」と「レヴェナント」は前々から約束してるので決定だけど、それ以外をどうしたものか。時間の感覚がおかしくなっていて、すぐだと思っていたことがずっと先だったり、逆だったり。
 
アンスティテュの恋愛映画特集、詳細が出たのでスケジュールをチェックしていたら、ロメールが数本。未見のドキュメンタリーが金曜。あれ…この日って祝日か何かだっけ…って手帳見てしまった。普通に平日だった…。
 
 
どれぐらい行けるかな…と考えていると、角川シネマ有楽町でもロメール特集があるとの情報が!きゃーきゃー!
 
 
 
何年か前、ロメールが亡くなった折の追悼特集(たしかユーロスペース)で、劇場で観たことがなかったもの、未見だったものは制覇したのだけど、その後ぽつぽつ劇場にかかるのは四季の物語がメインで、あれもう一度観たいな…と思っていたのはかからなかった。今回その「モード家の一夜」がかかって嬉しい。
 
 
雪深い場所で夜、男女が「パスカルの賭け」について会話する場面があり、その場面を観たいと何度思ったことか。大好きな「冬物語」も「パスカルの賭け」がベースにあるし、ロメールを観る際の基礎教養として必要な知識だと思うのだけど、かなり直接的にそれが語られた「モード家の一夜」がなかなかかからなかったのよね。
 
 
 
「モード家の一夜」といえば、この写真左、マリー=クリスティーヌ・バローとう女優さんで、ん?バロー?と思って調べてみたら、やはりジャン=ルイ・バローと繋がりがあった。姪とのこと。
 
 
 
 
ジャン=ルイ・バロー、「天井桟敷の人々」のバティスト役でお馴染みの。
 
 
ラインナップを観ていて、改めて私のロメールベストは「冬物語」「レネットとミラベル 4つの冒険」、そしてたぶん「モード家の一夜」も再見するとベストに加わる予感がしている。乱れた時間感覚を元に戻すべく、とりあえず手帳に書いておいた。

 

2016-04-03

2016/4/3

 
 
おお、連日の映画館通いができるように。本日の映画/映画館。ギンレイホールで見逃し続けた橋口亮輔監督「恋人たち」を。140分と長いながら退屈はしなかったけど、この映画、好きではない。どうしてだろうな、と考えているところ。自宅だと観る気力を保てなさそうだったので映画館で観られてよかった。飯田橋は桜の木がたくさん、視界がちらほら白い。
 
 
 
トーキョー耳寄り情報。この春、東京メトロ1日乗車券がお値段そのままで24時間券に(何故か東京メトロのまわしものふう口調)。行動範囲をほぼ通勤定期で移動でき、交通費ほとんどかからない生活だけど、金曜夜にどこかに出かけて→土曜の夜までうろうろ、という使い方ができそうで嬉しい。お得度は数百円だとしても、こういう切符を持ってる時の「これであちこちどこにでも行けるのだわ!気まぐれに!」というテンションのささやかな上昇が好き。

 

2016-04-02

2016/4/2

 
 
3週間ぶりに映画館に復帰。久しぶりにシャバに出たら、スタバの看板、成城石井の棚、なんでもないものが120%の輝きを放っており目が眩む。北海道から上京したヒロイン・卯月の目にも、はじめての東京はもしかすると、こんなふうに映ったのかな。桜が満開の花冷えの夜、年季のはいったバチバチ音が混じるフィルムで、「四月物語」をかけてくれてありがとう、早稲田松竹。
 

 

2016-04-01

2016/4/1

 
 
4月1日。昨日まで空いてたメトロが今日は混んでた。通勤電車は霞ヶ関を通過し、夏になると官公庁勤務でサマータイムで早朝出社する人々が私より早い時間帯にごっそり移動するので、もうすぐまた空くだろう。あちこち移動し延べ150人ほどの前で話をしたので夜にはクタクタになり、しかし準備は整えたので這うように有楽町ビックカメラのSIMカウンターへ。手続きし、待機時間に無印に買い物に行っている間に、Softbankの電波が消えた。さようなら、10年以上のつきあいだったSoftbank。
 
 
iPhoneとiPad miniを回線契約していたので(PCを所有しておらずiPad miniで原稿書きなど含むすべてを賄っている)、この間、先にiPad miniを解約すべくショップに行ったら慰留トークが長く、疲れ気味の私はトークを途中で遮り「あの…普通に解約していただくことはできませんか?」と正気の欠けた目で訴えてみたら想定以上にドスが効いてしまったようで、若い男性店員は狼狽え、その後ほとんど無言で腫れ物に触るように見送られてしまった。今日はiPhoneの転出番号をなるべく誰とも話さない方法で獲得したいな…と思ったけど無理で、慰留トークが続き、マニュアルに沿って質問されているのだろうけど、転出の電話をかけてる時点でだいたいの人は心が決まってるんじゃないかしら。「心は決まっており説得無用」コースと「未練が残っており説得の余地あり」コースに分岐させ、私のような前者はプッシュボタンを押すだけにしてほしいもの。どうして次はどこと契約するかなんて別れる相手に伝えなければならないのかしら…そんなの風の噂にでも聞いてよ…と解約手数料(心底払いたくない)の説明を聞きながら、愛人に手切れ金払う男(イメージは田宮二郎)ってこんな気持ちかな…と途中から妄想の世界に足を踏み入れ説明はもはや耳に届かず、最後のやや芝居がかった「本当に残念ですが長い間ご利用ありがとうございました」で現実に帰還。電話を切るとSMSに届いた転出番号が、鍵はポストに入れておくわ〜って、そんな歌あったよねって感じだな、と思いながらメモ。自分の中で終わりを迎えた物事に対して、薄情なほど興味がなくなる私には面倒すぎる手続きだったけど、全体的に、面白い経験だったな。
 
 
新しいSIMを入れたiPhoneSEは、女房と畳は…という諺を思い出すぐらい、あっけなく快適。
 
 
映画の話をすると、西川美和監督の小説「永い言い訳」は夢中で読む面白さで、薦めてみたい人の顔がいくつか浮かぶ。映画館には3週間行けていないけど、この週末は行くつもり。DVDは「ナイトクローラー」と「キングスマン」を借りていて、どちらも名画座でもうまく捕まえられなかったので、観るのが楽しみ。