CINEMA STUDIO28

2016-06-30

上半期




本棚に飾ってる若尾文子映画祭特製カレンダー、本の隙間に紛れ、5月のままだったのをようやく6月にしたのが1週間前。
「最高殊勲夫人」の大好きなラストショットだったのに….しょんぼり。そして気がつけば1年も半分が終わる。


体調を崩しがちだった昨年を反省し、仕事帰りに夜遅くまで映画を観ることも極力控え、体調を整えることを最優先していたし、3月4月は相変わらず目の回る日々で、あまり映画、観なかった半年だったなー。と、記憶を辿ってみると、若尾文子映画祭アンコール上映での映画初めを皮切りに、スターウォーズやミッション・インポッシブルの過去作を全部観た上で新作を観に行き、ユーロスペースでのオリヴェイラ特集、アップリンクでようやく観たTHE COCKPITも記憶に残ってるし、はたまた家でコツコツ上映したジョニー・トー、新作はキャロル、オデッセイ、レヴェナントその他いろいろ、岩井俊二、アメリカから来た友人と日本っぽいきっちりした運営の新文芸坐でハッピーアワーの2度目を観たのも思い出深く、満席の熱気の中でFAKE、ロメール、フランス映画祭まで…いろいろ観たのを忘れていただけだった。


ここでさらっと触れて下半期に移行しても良かったのだけど、案外覚えてるので、記録していないものを今後短くでも記録していこう。


振り返って、特に好きだったのはジョニー・トー「スリ」(DVD鑑賞)、「ハッピーアワー」は2度目でも今年ベストになりそうな映画で、そして半期珍品大賞はオリヴェイラ「カニバイシュ」だったことを、ひとまずメモして、上半期よ、さようなら。

2016-06-29

Ozu stamps



最近手に入れたもの、小津切手。平成15年発行。生誕100周年に因んだ発行だったようで、青春の地 三重県と書かれている。1シート未使用、夏にあるささやかなプロジェクトで使用するため、ひとまず温存。



小津監督が三重にいたことがある、というのはぼんやり覚えていたけど、松阪に9歳から10年間いたとか。すき焼きがお好きだったのは牛で有名な松阪にいたからなのかしら…と勝手に推測。ピケ帽で目尻を下げる監督の奥の建物は何かと思えば、切手シートに説明があって、「小津安二郎青春館」というのが存在して、古い映画館を再現した建物だとか。現存するのだろうか、と調べてみると出てきた…!


https://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1331183787654/index.html


三重県というのは、奈良のお隣で、奈良にはない海がある場所として、子供の頃、夏休みの旅行といえば伊勢や鳥羽で、ほほーこれが海というものであるかーという時間を過ごしていた。関西に帰った際に行く場所リストに青春館を追加。ついでに松阪牛の何かも食べようっと。

2016-06-28

2016/6/28




昨日の朝、上野公園の平和。空が高い初夏。今日はもう別の季節のようだったけど。


10月公開の西川美和監督「永い言い訳」を楽しみにしており、間もなく電子書籍でメイキングのエッセイを読めることを知った。書籍「映画にまつわるXについて」を堪能したので嬉しい。エッセイを読んでいると、不器用ですから、自信ありませんから、というトーンで書かれているものが多いけど、映画も撮れて小説もエッセイも書けるなんて、器用と呼ばずして何と…?


http://j-nbooks.jp/jnovelplus/original.php?oKey=66


2年ほど前PCが壊れ、たいしたことするわけでもない私ごときの用途じゃ、タブレットで十分なのでは?と、iPad miniにワイヤレスキーボードで凌いできたけど、今後あまりに必要に迫られそうなことばかりで、久方ぶりに購入。白プラスチックのmac bookが壊れて以来の新しいPCと書けばいかに久方ぶりかが伝わるだろうか。あったよね、白プラスチックの…(遠い目)。仕事でwinノートを使っているものの、macのノートの扱いを体が急速に思い出そうとしているところ。blogやその他文章を書く方法を急場凌ぎ気味に整えており、とりあえず、ベッドやソファで寝転びながら書けるというのは、とても心地良いものですね(まさに現在)。

2016-06-27

Tarte au citron




フランス映画祭の余韻で、古い写真を。OdeonにあるPolidorというビストロ。映画的にはウディ・アレン「ミッドナイト・イン・パリ」に登場する。オーウェン・ウィルソン演じる主人公がヘミングウェイと出会って会話する場所。歴史の長い店で、ヘミングウェイは実際に常連客だったとのこと。






現在の住まいの近所にアップルパイで有名なマミーズという店があり、時々手土産にホールやカットを買いに行くのだけど、夏に発売されるレモンパイがしっかりした酸っぱさで美味しく、むしろアップルパイより好き。昨日、思いついて買いに行き、レモンのお菓子を好きになったのはPolidorでデザートに食べたレモンタルトがきっかけだったことを思い出した。外食が高くつくパリにあって良心的な庶民派ビストロで、ボリュームもたっぷり、肉体労働のような食事。デザートもひとくちだけ甘いものを、という目論見など粉砕するカットの大きさで、食べたが最後、次の日までお腹が空かなかった。






先日サクッと受けた簡単な手術の細胞診の結果を聞くために、大きな病院なので時間をあまり選べず、今日は休みを取ることに。結果は問題なく良好で、しばらく気がかりだったので快気祝いをしたくなり、かき氷を食べに行きたかったけど、どこも月曜休みだったので、帰宅して大人しくレモンパイを食べた。初夏の味。

2016-06-26

フランス映画祭3日目



フランス映画祭は明日まで続くけど、私は今日で終わり。今日は1本のみ「めぐりあう日」。


仏語タイトルが意味深で、物語の最後に読まれた詩が唐突気味で少し戸惑ったけど、監督自身から由来を聞くことができて良かった。この映画の入場の時、隣に是枝監督がいらして、入場してからも席が近かった。お一人で観にいらしていて、Q&Aまできっちり聞いておられた。今年のフランス映画祭のラインナップで、最も是枝映画に近そうなのがこの映画だったので、なんとなく勝手に納得。


今年のラインナップは配給が既に決まっているものが多い。これから1本ずつコツコツ書いていきます。

2016-06-25

フランス映画祭2日目

 
 
フランス映画祭2日目、本日のイザベル・ユペール。有楽町朝日ホールの通路で1メートルほどの距離ですれ違った。肉感をまるで感じさせない、小柄で華奢な人。
 
 
チケット発売、今年からセブンチケットに切り替わり、オンラインで予約したはいいものの、すぐに店舗で入金しなければいけないシステムということを読み落としていて、気がついた時には予約が無効になっていた。慌てて予約し直したのだけど、1本だけ売切で買えなかった「愛と死の谷」のチケット、昨夜、映画情報を取得するためだけに持っているtwitterのアカウントをチェックしてみたら「譲ります」のアナウンスをしている方がいらしてお譲りいただけた。前から3列目、気合を入れて予約したのですね…という良席で、上映後の監督とイザベル・ユペールのティーチインも近くで楽しめました。本当にありがとうございました!
 
 
これまで使った中で、ペーパーレスでQRコードで入場するticket boardが一番便利で、東京国際もフィルメックスも導入しているので、フランス映画祭も是非ticket boardを検討いただきたい…。
 
 
今日はその「愛と死の谷」「モン・ロワ」「アスファルト」の3本で、どれもどれも良かった。ユペールは2本に主演していて、どちらもティーチイン、舞台挨拶があり、団長大活躍のユペール祭。
 
 
有楽町朝日ホール、どう考えても映画祭会場としては駅に近いこと以外に良いところがない(前方に傾斜がついていない、冷房がきつい、飲み物で暖をとろうとしても場内飲食禁止…等)けど、日劇がもうすぐなくなるということは、朝日ホールもなくなるのかしら。映画の思い出がたくさん染み付いているだけに、だとすると、ちょっと寂しいな。

 

2016-06-24

フランス映画祭2016

フランス映画祭2016、スタート。17時からと会社員的には微妙な時間からのスタートなので、毎年この日は終日休みにするか、半休をとる。今年は半休。

今年の団長はイザベル・ユペール!思い返してみると、イザベル・ユペールを苦手な人って会ったことないような。現役のフランスの女優で誰が一番好きかってやっぱりイザベル・ユペールかなぁ、と私も思う。カンヌで活躍する日本の監督ということで、是枝監督が登壇して花束贈呈、その後「淵に立つ」で今年のカンヌで受賞した深田晃司監督(私の日記を長く読んでくださってる方に説明すると、去年の東京国際映画祭で「さようなら」というアンドロイド女優をキャスティングした映画を撮った監督)、「淵に立つ」主演の浅野忠信さんも登壇して豪華。
「映画にたくさん出ているけれど、映画にまったく詳しくないのですが、イザベル・ユペールさんは大好きな女優さんだから、是非、深田監督にはユペールさんと僕をキャスティングしてもらって映画を撮ってもらいたい」という浅野さんのコメントがチャーミングで、え!そんなの絶対観たい、是非是非!と身体中の念を総動員して深田監督に送ってみた。
それにしてもゲストの皆様、ドレスコードは赤。と、事前通達があったかのような赤っぷりなのであった。

2016-06-23

2016/6/23

 
 
CHANEL LE VERNIS 581番は、その名も「CINEMA」。明日からフランス映画祭!
 
 
東京は魅力的な上映が多いけど、長い間仕事に追われ続け、ようやく先のスケジュールを立てられるようになって、無事に前売も買えてフランス映画祭のオープニングに行けた年は嬉しかったな。自分の好きなものにようやく戻ってこれた感じがして。オープニングはフランソワ・オゾンだったし、あの年のゲストは豪華だった。調べてみたら2013年、4年前。
 
 
 
 
話は飛んで、碑文谷公園の池に足のようなもの…とニュースの第一報を目にして、…犬神家?!と思ったのは私だけではないはず。東京で初めて住んだのがあの界隈なので、ニュース映像にゾッとしたり。池もあって、動物もいて、ひとしきりウサギを追いかけて遊んで、商店街にご飯を食べに行くコースが平和で好きだった。事件が早く収束するといいなぁ。角川映画祭のPRで角川シネマ新宿にいるらしいスケキヨにも会いに行かなければ。

 

2016-06-22

Hollywood banker

 
 
週末、EUフィルムデーズで観たオランダからの1本。「ハリウッドがひれ伏した銀行マン」(Hollywood banker / Dir. Rosemyn Afman)。7月公開されるらしく、先行上映。
 
 
 
 
オランダの銀行員フランズ・アフマンは偶然、ディーノ・デ・ラウレンティス(映画プロデューサー)に出会い、資金調達に苦しむインディーズ映画界に新たな融資の仕組みを導入する。プリセール(事前販売)とは脚本が完成した段階で融資を持ちかけ、製作費を調達。映画が当たればリターンがあり、製作が頓挫しても映画保証会社から保険金が支払われる…だったっけな。プリセールで900本もの映画製作をサポート。「ダンス・ウィズ・ウルヴス」などオスカー受賞作も含まれ、「プラトーン」製作においては「ジャングルに金を運んだ男」と呼ばれた…けど実際にジャングルには行ってないらしい。
 
 
プリセールの初期段階で、地方の普通の銀行員だったフランズ・アフマンが、権限の上限を超えて融資を行い、本社に呼び出され、しかし映画ビジネスの可能性に目をつけた銀行はフランズを応援し、やがてその銀行はフランスのクレディ・リヨネ(LCL!懐かしいことに、かつてクレディ・リヨネに口座持ってたわ…いきなり親近感)に買収された際、正式にクリエイティブに融資する部門として認められたという経緯、いい話だわ。ハリウッドの有名プロデューサーや俳優たちがルクセンブルグにいるフランズに会うべく列をなしていたと初めて知る。映画の世界に足を踏み入れるきっかけをつくったディーノ・デ・ラウレンティス(古くは「にがい米」やフェリー二「道」、後年は「ハンニバル」等の名プロデューサー)に専属スタッフにならないかと持ちかけられ、断った…というのは、フランズのきっちり、コンサバティブな印象から驚かなかったけど、断ったからディーノ以外のプロデューサーや監督たちにも製作支援を受ける道が開かれ、生まれた映画がたくさんあるのだろう。
 
 
フランズ・アフマン、どの場面でもきっちりスーツを着ていて、写真に一緒に映る俳優や監督たちのカジュアルで破天荒な表情と好対照。奥さんと寝る時もスーツを脱がないのでは?と口の悪い業界人たちにイジられながら、最後まで自分はただの銀行員ですから…という姿勢を崩さなかった人なのかな、佇まいに品性が感じられて、ハリウッドに彼のような人がいてくれて良かったね…と思った。
 
 
フィクションなら「プラトーン」大ヒット!手がけた映画でオスカー合計何十個受賞、晩年は家族と穏やかに暮らしましたとさ、と映画が閉じるところ、ドキュメンタリーだから、突然降って湧いた怪しいイタリア男に周囲との信頼関係を崩され、派手に梯子を外されて翻弄される。現実ってフィクションより遥かに容赦ないな、と思う。
 
 
この映画はフランズ・アフマンの娘が監督。父親の余命を知った娘が、偉業を記録すべくかつての仕事仲間たちにインタビューする構成。語られるフランズ・アフマン像が品行方正で実直なのは、娘がインタビューしてるから、というのもあるのではないか。パパが余命いくばくもない、ドキュメンタリーとして記録したい、と娘にお願いされて、あいつは影では弾けたやつだったよ!大きな声では言えないがね!って言える人はきっといない。…と、少し斜めから観てしまったのは、「FAKE」を観た後だからかな。ふてぶてしい森達也の欠片が少し乗り移ってしまったわ…。
 
 
上映後、ゲストとして東宝取締役で東宝東和会長の松岡宏泰さん(松岡修造のお兄さん!)が登壇され、仕事で親交のあったフランズ・アフマンの思い出を語られた。松岡さん、背が高く清潔で、ハリウッド・クラシックに登場しそうな少し日本人離れした印象の方で、フランズとの出会いはアメリカに渡った若き松岡青年が、ICM(エージェント会社)でメールボーイをやっていた時…ってそこ、もっと詳しく掘り下げて!裕福な育ちの松岡兄弟、兄はアメリカへ、弟はテニスの道を…そのままハリウッド・クラシックになりそう…と妄想しているうちに、トークは終わった。その際の様子はこちらに。
 
 
 
 
映画を観ていて思ったのは、フランズ・アフマンは何故、映画に関わることに違和感を覚えず、長く関わりを続けられたのか、映画好きだったのか?という点がほとんど語られない。その点について松岡さんは「真面目な人だから、目の前にある仕事を一生懸命やる、映画が目の前にきたから、一生懸命それをやった、ということなのかな」との推測。映画業界の裏側を描いており、業界人だけではなく、映画ファンにも自身の仕事を知ってもらえたら、フランズとしてはこんなに嬉しいことはないと思う、と最後におっしゃっていた。

 

2016-06-21

裸足の季節 / Mustang

 
 
シネスイッチ銀座で。東京公開の初日に観た「裸足の季節」(Mustang / Dir.Deniz Gamze Ergüven)。トルコ版ヴァージン・スーサイズのような…と聞いており、それってどんなの?と楽しみにしていた。ヴァージン・スーサイズが好きなわけではないのだけど。




首都イスタンブールから遠く離れた村に暮らす美しい五姉妹。学校は男女共学で、放課後、水辺で男女入り混じり騎馬戦をして遊んでいたら、目撃した村人が彼女たちの祖母に告げ口し、激昂した祖母は姉妹を家に閉じ込める。思春期の彼女たちには、こっそりつきあう恋人がいたり、サッカーの試合を観に行きたかったり、外に出たり理由は千ほどあって、姉妹が協力して達成したり、失敗したりする。やがて祖母は上から1人ずつ結婚させることを決め、1人また1人と結婚していくのを見送った、最も自立心の強い末っ子・ラーレは…。

 
大人になった女たちが着る露出の少ない貞淑な、修道女のような洋服(「くそ色」と忌々しく呼ばれる)を拒否する姉妹たちの洋服はパステルカラーで、長い髪をなびかせ脚を絡めあって戯れる描写は確かにガーリーなのだけど、イスラムの厳しい戒律を守らんとする世代と、自由を求めて抵抗する世代の対立を描くこの映画は想像以上に骨太だった。


ベルトコンベアに乗せられたように、年頃になると誰がどこで見つけてきたのかわからない見知らぬ男との結婚が、あっけなく決まる。女は処女でなければならず、定期的に処女検査を受け、初夜にドアの向こうで義両親が待機し、シーツに血がついているか(ちゃんと処女だったか)点検される始末。こういった題材は、イスラム圏映画を観はじめた当初は驚いたものの、何本か観るうちに慣れた。いくつか観たイラン映画で、処女検査を嫌がって自殺した結婚間近の女性や、婚約者以外の男性と親密そうに見えてしまったために消えた女性、若者世代とその親世代の対立など、「裸足の季節」の背景にあるものに、見覚えはあった。


それらは緻密な脚本、サスペンス仕立ての展開、完成度の高い映画揃いで緊張が切れることなく観られたけど、物語を駆動させるための強い要素だった「彼女たち」は終始哀しい表情を浮かべたままだったから、「裸足の季節」で私は初めて「彼女たち」がいかに戦うか?を観たように思う。イスラム圏といっても広く、イラン映画の女性たちは皆ヴェールをかぶっていたけど、トルコの姉妹たちはヴェールはおろか、半裸に近い服装でうろうろしていたから、微妙な文化の違いもあるのだろう。何も知らずに観ていたので、観終わってようやく監督が女性と知って、深く納得。「彼女たち」のその先を、ちゃんと描いたのが女性ということに納得した。
 
 
 
 
来日していた監督(中央)と、五姉妹のうち4人が上映後に登壇。華やか!戦う末っ子・ラーレは左から2番目。トルコのエル・ファニングと呼びたい、あどけなさと賢さがくるくる入れ替わって目の離せない美少女。
 
 
物語で五姉妹のうち一番ちゃっかりしているキャラクターが長女、というのが意外。次女と長女が反転していればしっくりしたかもしれない。祖母の決めた相手としぶしぶ結婚するのが次女、お見合いさせられそうになりながら抵抗し、唯一、恋人と結婚できたのが長女。処女検査をくぐり抜ける方法もしっかり身につけ…。要領の良さを妹たちに伝授してあげればよかったのに…お姉ちゃん…。
 
 
五姉妹それぞれの行く末を見守りながら、末っ子・ラーレにフォーカスされた物語でもある。じりじり自分の結婚の順番が迫る中、姉たちの顛末をしっかり観察した彼女は、家を出て遠くに行くことこそ唯一の未来と目標を定め、達成の道具として自動車の運転を覚えんとする。知り合ったトラックドライバーに教えてもらおうとして汚れた靴をからかわれたラーレは、おめかしの日に履くような、赤いエナメルの靴を履き、再び教えを請う。
 
 
不自由だろうと女として生まれたのは動かしようのない現実なのだから、綺麗な靴履くぐらいで運転教えてもらえるなんてあら簡単、いくらでも履くわ!と、女らしさは主張しない、女だから強いられる不自由さにメソメソもしない、けれど、女らしさが有利に働くならいくらでも利用してやるわ!という賢さが素敵。閉じ込められ、窓に格子がかけられていく家で、この小さな革命家の新しさこそが光だった。辿り着いた場所で、姉たちが実現できなかったぶんまで颯爽と未来を生きていくのだろうな。
 
 
 
 
トルコ・ドイツ・フランスの合作で、並みいる有名監督を差し置いてこの映画は今年のオスカー外国語映画賞のフランス代表に選ばれたそう。監督は次はハル・ベリー主演で新作を撮るという、期待の新星とのこと。姉妹たちに囲まれた監督は映画に登場しない、異国に住んでる進歩的な親戚のお姉さんみたいで、語り口は明晰ながら、仕草やファッションがとても女らしく、ラーレはきっと彼女の中にもいるのだろう。

 

2016-06-20

Cinema memo : le cinema

 
 
Le cinemaの今後のラインナップをチェックしていたら、観たいと思っていたイングリッド・バーグマンの生涯を追った映画が公開されると知った。
 
 
 
 
イングリッド・バーグマン、人生で初めて名前を覚えた女優じゃないかしら。幼少期、父がよく家で映画を観ているのを(衛星放送か、ビデオで?だったと思うのだけど)隣でくっついて一緒に観たり、飽きたら外に遊びに行ったりしていたのだけど、「誰がために鐘は鳴る」がお気に入りらしく、何度も観ているうちに、最後にバーグマンが言う「キスする時に鼻は邪魔にならないのかしら?」の台詞の可愛さが父のハートに刺さりまくっているようだ。どうやら好きな女優らしい。と名前を覚えたのだった。
 
 
私が最近観たバーグマンはベルイマンの「秋のソナタ」だったけど、映画もさることながら、バーグマンとベルイマン、読み方は違うけど綴りが同じ Bergman。そのことがきっかけで2人は、名前…一緒だネ…!いつか一緒に仕事できればいいネ…!キャッキャッ(意訳)と長い間、機会を伺っていたのを、いざ撮影が始まってみると、実生活でも母親であるバーグマンがあの身勝手な母親役に難色を示し、ベルイマンも鬼畜さゆえに譲らず、大喧嘩しながらあの映画が撮られた…というエピソードが、好きだわ。
 
 
そして、去年映画祭で観て、友達にも勧めたけど、いつ配給されるかわからなかったイーサン・ホークがチェット・ベイカーを演じる「Born to be blue」はル・シネマでかかるのね。イーサン・ホークが素晴らしかった余韻以外の記憶が良い感じに薄れてきているので、秋にまた観に行かなければ。
 

 

2016-06-19

Dancing house

 
 
EUフィルムデーズ開幕、フィルムセンターに通う週末。昨日はオランダ、今日はポーランド監督がリスボンで撮った映画で、欧州津々浦々。リスボンの街並みをスクリーンで眺めていると、石畳にトラムの組み合わせが懐かしく、プラハで撮った写真を見返す。映画館には行かなかったけど、映画的建築は見たのだった。
 
 
快晴の朝のプラハを歩いていると、艶めかしいくびれを発見。
 
 
 
 
ダンシング・ハウス!
男女が寄り添ってダンスしてるみたいだから…
 
 
 
 
「ジンジャー&フレッド」のニックネームでも呼ばれているらしい
 
 
真下から眺める…ということは
ジンジャーのスカートの中を覗き込んでいる、ということだろうか…
 
 
Wikipediaによると、
「冷戦終結後、チェコが民主化、スロヴァキアとの分裂を経て、ヴァーツラフ・ハヴェルが大統領の時代に建てられた。かつてこの土地の隣にある建物にハヴェルの実家があり、ウラジミール・ミルニッチが下宿していたのが縁で、ハヴェルの後援のもとにミルニッチとフランク・ゲーリーが設計した。」
 
 
いかにもフランク・ゲーリー建築!会員になって通ってたパリのシネマテーク・フランセーズもフランク・ゲーリー建築だったので馴染みのある曲線。さぞかしメンテナンスは大変だろうと思っていると、視界に、動く黒い人影。

 
 
 
朝だったためか窓拭き部隊に遭遇。山登りのような装備でガラス面を拭いていた。忍者みたいに。
 
 
EUフィルムデーズ、観る予定だった2本をさっさと観終わったけど、旅行気分で楽しいから隙間を見つけて他にも観ようかな。

 

2016-06-18

趣味と芸術 ー 味占郷

 
 
書き忘れ気味、京都で観たもの。
 
 
細見美術館にて、杉本博司「趣味と芸術 ー 味占郷」。昨年、千葉市美術館で開催された展示が京都に巡回。「婦人画報」に連載されていた、料理人を明かさない謎の割烹「味占郷」、ゲストが2名招かれ、ゲストにさりげなくあわせたしつらいでもてなされる。
 
 
書籍化もされており、「口上」から引用すると、
 
 
「我が国においては美術品鑑賞の為の場として床が室町期以降発達してまいりました。桃山期からは床は茶室の内でも重要な場となり、床に掛ける軸と添える花、ともに供される料理は茶の味と一体となって、客を迎える作法が完成し、今日にいたっています。(中略)本来日本の文化は日常生活の内に深く根ざしたものであり、西洋的な概念である『芸術』と呼ぶには相容れないものがございます。この展覧会ではあえて芸術を見せる場である美術館の場を借りて、日常の接待という、おもてなしの、気遣いの内に潜む日本的感性と、その美意識について、各界からのお客様をお迎えし、お客様、しつらえ、料理の絶妙なる取り合わせを試みてみました。」
 
 
連載27回、誌面で表現された「味占郷」の立体的再現。謎かけのような展示はもちろん、展示される品の豪華さにも目を見張った。
 
 
・招かれる客
・床に飾る軸
・軸の前に飾られる美術品(そこに花が活けられていることも)
・器
・料理
 
 
の取り合わせの妙。感性の下敷きは日本的であるとしても、取り合わされる品々が日本的である必要はなく、例えば
 
 
・招かれる客 : 寺島しのぶ夫妻
・床に飾る軸 : ジャック・ゴーティエ・ダゴティ「筋肉解剖完全版」
・軸の前に飾られる美術品 : 鎌倉時代の水注に野花を添えて
・器 : 李朝の粉引盦子
・料理 : あなごの開き
 
 
女の背中が大胆に解剖され骨と肉の見えた絵について「おなごの開き」と解説し、「あなごの開き」を供する。身も蓋もない解剖図に変わり、器は蓋のついたものを。寺島しのぶが映画などで身体を開きがちな女優だからだろうか。
 
 
他に、
 
 
・招かれる客 : 中村獅童夫妻
・床に飾る軸 : 硫黄島地図軸装 栗林中尉所持
・軸の前に飾られる美術品 : IWOと書かれた文字の残る、革製軍用鞄
・器 : 旧帝国海軍の為に製作された貴賓接待用の塗碗
・料理 : 蛤の吸物
 
 
イーストウッド「硫黄島からの手紙」に出演した中村獅童を招いてのおもてなし。塗碗には海軍の錨紋章入り。補給の途絶えた硫黄島で栗原中尉が食したかもしれない、という見立て。終戦記念日の時期にあわせての連載内容。
 
 
全てを高揚しながら観たため、ひとつひとつを記録しておきたいものだけど、長くなるので割愛。他には料亭の女将二人を招いた回も印象深く、料亭といえば三島由紀夫「宴のあと」。政治家と料亭の女将の出会いが東大寺のお水取りを見る旅だったことから、軸は「紺紙銀字華厳経巻頭」。江戸時代のお水取りの時に二月堂に火が廻り消失、焼け跡から取り出されたこの経巻は上下が消失し、しかし焼けた姿にも美を見出すことができる。
 
 
ちょうど展示を観る少し前に、話しながら私の妄想癖がそこかしこに迸り、しかし話し方や思考がロジカルだったようで、ロジカルだからこそ妄想ができる、という指摘をいただいて、その指摘は初めてだな、と面白く思ったのだけど、おもてなしの型を決め、型の範囲で最大限に妄想を繰り広げたこの展示は、妄想の最高級、展示される品々が高級であるだけでなく、ひとつの思いつきから四方八方に妄想を巡らせ、思考の結晶として眼前に提示する知識量や感性の質においても高級、と唸るほかにない。
 
 
謎の割烹「味占郷」の店主兼料理人は連載途中まで明かされず、途中で明かされたそれは杉本博司だった。供される料理は、雰囲気に圧倒されるもののよく見ると「ゆで卵」「冷麦」と身近なものもばかりで「ごちそう」が嫌い、という店主の嗜好があらわれている。
 
 
細見美術館の展示は、明日まで
 
書籍はこちら

2016-06-17

2016/6/17

 
 
明日から始まるEUフィルムデーズ、そして月末のフランス映画祭。毎年の恒例行事で、あ、もう1年が半ばまで来たな、と思う。
 
 
EUフィルムデーズ、去年の東京国際映画祭で観た「家族の映画」というチェコ映画がかかるもよう。犬。去年のBEST DOG映画だったので、犬好きな人にお勧めしたい。映画祭でかかる映画、せっかく日本語字幕もついているのに配給されないものが多くてもったいないな、といつも思っているので、みんなフィルムセンターに流れて行けばいいのに…。
 
 
自分の感想を思い出してみたけど、体調悪そうだしキャベツの話ばかりで大丈夫かな、1月の私。
 
 
私は他の映画をいくつか選んで観ようと考え中。写真はずいぶん前、プラハの夜。チェコは、好き!とも苦手!とも思わないけど無関心というわけでもない、最後まで距離感が掴めない場所だったけど、写真を見返してみると面白い建物や景色が多く、私はそれなりに楽しんだらしい。映画館には入らなかったけど、ローカルな人形劇の劇場に2度行って、子供たちに混じって途中休憩まであるしっかりした長さの人形劇・スペクタクル冒険巨篇を観た思い出。夜がきちんと深く、物語が生まれそうな夜だった。ひとつのチェコ語も覚えなかったので、表情豊かなポスターに何が書かれていたのか知る由もない。

 

2016-06-16

Beloved Daddy

 
 
私の中では唐突ではないけど、やや唐突気味にルビッチについて。「極楽特急」は去年3回(映画館で1回、自宅で2回)観たけど、今年まだ一度も観ていないのでそろそろ観なければ、血中極楽特急濃度の低下によりこのままだと欠乏症を引き起こしちゃう。オープニングに流れるオリジナルソングも大好きで、1週間に一度は必ず頭の中で鳴っている。
 
 
ルビッチは本人もなかなかフォトジェニックな人で、撮影風景の写真に発見するとしげしげ眺める。好きなのは上に貼った「天使」撮影中のショット。ルビッチ監督生活25周年記念だそうで、ディートリッヒが準備したのかマレーネとケーキに名前が。カットしてディートリッヒが両脇の2人に食べさせている右がルビッチ、左がハーバート・マーシャル。ルビッチはかぶりついてるけど、ハーバート・マーシャルは立居振舞いのエレガントな人なのできちんとケーキに両手を添えてる。ま、ルビッチは葉巻を片手に持ってるから手を添えられないのだろうけど。と細部を観察して喜ぶ私…。
 
 
 
 
「天使」オフショットといえばこれも好き。たぶん演技指導をルビッチ自らやって俳優に見せているのだろうけど(ルビッチはベルリン時代、劇団の俳優でもあった)ディートリッヒに頬ずりしながら浮かべる恍惚の表情…。見方によってはセクハラ一歩手前とも言える。
 
 
最近、何かの拍子でビリー・ワイルダーのお墓には" I'M A WRITER BUT THEN NOBODY'S PERFECT” と書いてあるらしいことを知り、流石に洒落とる!では師匠のルビッチのお墓は…?と調べてみたら…
 
ERNST LUBITSCH
1892-1947
"BELOVED DADDY"


と書いてあることを知って、流石の粋さに悶えた。去年刊行された書籍「ルビッチ・タッチ」によると、ルビッチの娘さんニコラ・ルビッチが著者ハーマン・G・ワインバーグに送った手紙によると、ハムレットの台詞を引用した後、「私の父は世界一のすばらしい父親でした。父はこの世の何よりも私を愛してくれました」、とのこと。"BELOVED DADDY”と書くことを決めたのは、娘さんだったのだろうか。
 
 
ルビッチ情報・東京。シネマヴェーラで間もなく始まるジョージ・キューカー特集でルビッチ「君とひととき」が上映される。モーリス・シュヴァリエにも若い時代があったのだね!という映画。若い上に歌まで歌うモーリス・シュヴァリエを目撃できる。
 

 

2016-06-15

2016/6/15

 
 
何故か寝つきが格段に良くなってしまい、本を抱えてベッドに入ってもすぐ眠ってしまって、ここのところ図書館の期限内に読み終わらず、途中まで読み、気になって買うか、またしぶとく図書館に予約するかという読書を繰り返している。2度目の挑戦だった濱口監督の本も面白そうなサブテキストに至る直前まで読んでタイムアウト、いったん返却してしまった。今度こそ買おうかな。映画の本って、そこにあるうちに捕獲しておかないとあっという間に絶版になりがち。
 
 
今は「アンドレ・バザン 映画を信じた男」(野崎歓 著)を読んでいるのだけど、文章のボリュームは控えめながら、文体にうっとりしすぎて読み進まず、またもや期限に間に合いそうもない。これも買おうかしらね。去年新訳が出たバザンの「映画とは何か」の前菜的な読書にしようと思っている。バザンについて。
 
 
「緻密な分析を繰り広げながら、ときおり彼は思いもよらない素朴さを示してわれわれを驚かせる。何よりも、彼の思想をつらぬくリアリズム論の根底には、映画を信じ、世界を信じたいというナイーヴなまでの願いが脈打っている。スクリーンに向けられる彼の瞳は、そこに世界が映し出されているという単純きわまりない事実に対する驚きによっていつでも大きく見開かれているかのようだ。」
 
 
濱口監督の本もそうだけど、良書の香りがする本は、まえがきからもう素敵。

 

2016-06-14

2016/6/14



あれから気がつけば「FAKE」のことを考えてる。映画の終わりを知った自分で最初から観たい。当分は混みそうだから無理だろうけど。友達、早く観てくれないかなぁ。


いろいろ読んでるとタイトルがタイトルだけに、オーソン・ウェルズのフェイクと紐付ける人がいるみたいだけど、森達也監督は観たことないらしい。「プティ・カンカン」上映後、ブリュノ・デュモンがQ&Aで「ツインピークスを思い出したのですが」と質問されて「観たことない」と厳しい顔でぴしゃっと答え、ちょっと空気が凍ったのを思い出した。いないところで何を言おうが自由だけど、本人を前にして他の作家の作品名を出すのは、なかなか危険度が高いことではなかろうか。ジョニー・トーの黒澤明オマージュのような例は別として、他人の名前を出されて嬉しい作家なんて、あまりいないんじゃないかな。


私はと言えば、観終わった直後とその翌日ではもう感想が変化してきていて、人間の思考って刻々と変わるな…と思う。佐村河内氏と同じくらい奥さんが重要人物なのだけど、夫婦愛、ラブストーリー、奥さんの献身が素晴らしい…などの感想を読むと、その感想は自分には1ミクロンもないので不思議、他人って本当に自分とは違う人間だな、と思う。私は少し、ポール・トーマス・アンダーソン「ザ・マスター」を思い出しながら、佐村河内夫妻は教祖と信者のようだったな、と考えたりしている。


「FAKE」のパンフレット、真っ赤な嘘ってことかしら。嘘ってこんな色かしら。まとまったら、また続きを。

2016-06-13

CINEMA VALERIA

 
 
ロメール特集で、まるで公式パンフレットかのように売られていたZINE「CINEMA VALERIA」が素敵で、本棚の、コツコツ集めてるロメール・パンフレットのエリアに飾ってる。
 
 
表紙の写真はカンヌだろうか。ロメール「夏物語」やジャック・ロジエ「アデュー・フィリピーヌ」のような、海辺で薄着の男女が入り乱れるヴァカンスものは、日本で言えば能や狂言のような、フランスの伝統芸能だから、ロメールが亡くなっても誰かが細々と絶やさぬよう継承しなければならない…と思っているのだけど、最近のフランスはヴァカンス映画作ってる場合じゃねえよ!ということなのか、あまり観ない。近年観た中で最も近かったのはホン・サンス「ハハハ」だった。
 
 
 
 
アマンダ・ラングレ(「海辺のポーリーヌ」のポーリーヌ!)のインタビュー(!!!)や、山田宏一さんの寄稿など読みどころたくさん。山田宏一さんはロメール・ファッションについても書かれている。「ファッションも素敵で、といってもあからさまにファッショナブルというわけでもなく」
 
 
今回、再見した4本で、おお!と思ったロメール・ファッションは「モード家の一夜」の、まさに一夜の場面。いよいよベッドに入ることになり女がパジャマに着替える。モノクロなので色は不明、けれど白っぽい色で長袖の…何度も水をくぐりすっかりくたくたになったバスクシャツのような、着丈が長めのトップスをワンピースのように1枚で。かろうじて下着は見えず、けれど太ももは露わで。着替えてドアの向こうから登場し、眠る時はこれも脱いで裸になるの、と説明した、あのロメール・ファッションはさりげなく記憶に残った。

 

2016-06-12

2016/6/12

 
 
噂の映画を朝イチで。先週から上映スタートした森達也監督「FAKE」、連日満席に次ぐ満席、立ち見も満席の盛況で、この週末の朝はユーロスペースの下階・ユーロライブ(旧オーディトリウム渋谷)での上映追加が急遽決まっていた。10時半から。ユーロスペースでの初回は11時半から。
 
 
友人と10時前現地着ぐらいで。10時半のが買えればそれで、無理なら11時半からの回で。と約束をしていたのだけど、早朝の連絡で体調不良で友人が離脱し、もう支度も済ませていたので私は観に行った。
 
 
9時40分にチケット購入、その時点で10時半からの回・整理番号45。ユーロライブの方は178席とユーロスペースより広く、傾斜もしっかりついていて観やすい。そして意外なことに前方に若干の空席があった。上映追加されたこと、案外まだ知られてないのかな。午後にはもう夜の分のチケットまで完売したらしく、「FAKE」恐るべし。ドキュメンタリー映画がここまで混雑するのは、原一男「ゆきゆきて、神軍」以来のことらしく、リアルタイムであの映画を観なかったせいか、「ゆきゆきて、神軍」ってそんなに話題の映画だったのだぁ、と今更思った。
 
 
「FAKE」観終わると、これ1人で観るのきつい!あーだこーだ言いたい!と、友人に早く体調不良を治して「FAKE」」観ておくれ!と懇願メッセージを送る。
 
 
綺麗な立ち位置からドキュメンタリーなんて撮れますか、面白いの撮るには底意地が悪くないとな、とカメラの後ろの森達也監督が言ってる気がして、そんな気がしたことも気のせいかもしれないけど、たいへん刺激的な鑑賞。音楽を作る側の人の感想を知りたいな。あーだこーだがまとまった頃に、また。
 
 
このインタビュー、読み応え抜群。

 

2016-06-11

もぎりと寅さん

 
 
術後静養モードに飽き、朝からシネスイッチ銀座へ。「裸足の季節(原題: Mustang)」初日。上映後、監督と出演者たちの舞台挨拶があった。という話は後日にして、階段を降りて地下1階でもぎってもらうと、もう1つ下が入口です、と案内されたので、あれ、地下2階まであるんだっけ、と降りてみた。シネスイッチ銀座の一番大きなスクリーン(だと思う)は今時2階席がある。地下2階、地下1階に2階分の座席が埋め込まれているのだ。前に来た時はゴダールの3Dで、あの時は3階だったのだっけ。縦に長い構造が面白い。
 
 
シネスイッチに来ると、反射的に片桐はいりさんを思い出す。映画館のもぎりアルバイトの思い出を書いたエッセイ集「もぎりよ今夜も有難う」の舞台となる「銀座文化」がかつてあった場所こそ、現在のシネスイッチ銀座だから。
 
 

 
 
帰宅して夜、NHKで「トットてれび」を観ていると、今日はトットちゃんと渥美清さんの思い出の回。 2人がお正月に映画館で待ち合わせ「男はつらいよ」を並んで観る場面があった。その映画館でもぎり役を演じているのが…片桐はいりさんだった…!「もぎりよ今夜も有難う」に、寅さんについてのエッセイがあったような…と探してみると、あった。時期によっては暇でたっぷり休み時間をもらえたもぎりバイトも、お正月興行は話が別で「男はつらいよ」の人気っぷり、2本立て興行でも「男はつらいよ」の回が際立って混雑し、もぎりもてんてこまいというエピソード。そして映画が始まり、扉が閉められると…
 
 
「どーん。ずーん。どよよよよ。地響きのようなくぐもった音。劇場の鼓動?いや黒山のお客さんの笑い声である。このどよめきが度を越すと、爆風となって映画館の重い扉を押し開けた。人いきれで沸騰した場内に笑いが起こるたび、扉が、ばふん、ばふん、と開いては閉じる。まるで生き物のようだった。劇場が巨大な怪獣みたいに、たくましく躍動しているように見えた。」
 
 
今日の「トットてれび」はトットちゃんと渥美さんの思い出と、片桐はいりさんの映画館もぎりの思い出のハイブリッドだったのだ。なんと芸の細かい脚本…。「映画館が呼吸するのを見たことがある」の書き出しから名文のこの「Wの喜劇」というエッセイの映像化を、その場所の跡地に行った夜に観られたシンクロニシティに、ほくほくした気分でいる。

 

2016-06-10

2016/6/10

 
 
3月の健康診断の結果、良性で放置しても問題ないがとっておいたほうがベターという案件が発生し、自宅近くの大学病院宛てに紹介状を書いてもらって今朝、緊張しながら行った。改めて診てもらい、手術日程をそこで決めるのだと思っていたら、ん?これはもしや診察ではなく手術が行われている?と戸惑う間に切除が終わり、リサーチして麻酔…入院…?保険って…など思い巡らしていた自分がアホの子のような気分になった。ホルマリン的液体に浸かって密封された数分前まで体の一部だったものに感想は特になく、付着する血液がちょっと生々しい…程度で、レントゲン写真を見る時ほどの感慨は生まれなかった。やっぱり私は肉より筋より、骨派であるなあ!その後、涼しい顔して仕事に行ったし、薬も出ず、日常生活での注意事項も特になかったけど、なんとなくさっと帰宅し今日くらいは安静を心がけているところで、読みかけの濱口監督の本を読み進めるなど。
 
 
観終わった後に、他の何にも似ていない気分を味わい、それが持続しているのは、他の何にも似ていない作られ方をしたからなのか。ひとつひとつ手探りで進められた映画作りはユニークで、濱口監督にしても、もう二度と同じ作り方はできないのではないかしら。
 
 
作られ方といえば、「ハッピーアワー」のクラウドファウンディングがあったことを、公開直前に知った。いくら集まれば何に使いたい、と明記してあるのが興味深い。300万円の目標を上回る資金を調達し、これだけが製作費の全体ではないと思うのだけど、これから何かを作ろうとしている人たちを励ますに値する事例ではないかと思う。
 
 
 
 
募集期間に知っていたら、私もいくらか支払ったと思う。映画館にきっちり観に行く以外に、こんな応援の方法もあるのだなぁ。濱口監督はじめ、お気に入りの日本の監督が今後またクラウドファウンディングを募ることがあれば、微力ながら支援したいと考えている。

 

2016-06-09

Rohmer et ses muses

 
 
角川シネマ有楽町「ロメールと女たち」特集、今夜4本目「コレクションする女」を観て、私のロメール特集は終了。あんなに混んでる角川シネマ有楽町は、ジャン=ピエール・レオーが登壇したトリュフォー特集、舞台挨拶の回以来では…というほど混んでいた。明日は最終日、金曜だしさらに混むのでは。
 
 
映画の後半に登場した、コレクションする男こと美術蒐集家・サムの薄ら気持ち悪さに圧倒された。ジャック・ニコルソンをこねて、のし棒でのして、ゲランドの塩をふりかけたような男・サム。「女たち」特集だったのに、サムの後味しか残っていない…。
 
 
今回の特集は8本と本数を絞って、3週にかけてゆったりかけてくれたのがとても有難かった。すべての特集上映がこれぐらいゆったりしていればいいのに…。
 
 
 
 

 

2016-06-08

ささめき



昨夜観たロメール「友だちの恋人」のパンフレットを本棚から手にとってめくると、レア役を演じたソフィー・ルノワールと林真理子の対談が掲載されていた。ささめき、という言葉、このところ目にしない。以前に観た時にも調べたように思うけど、ソフィー・ルノワール、画家オーギュスト・ルノワールは曽祖父、映画監督ジャン・ルノワールは祖父の弟という家系。ちなみにソフィー曰く「俳優としての才能は遺伝的なものじゃないし、ルノワール家に生まれたのも偶然よ」、とのこと。


映画で2人女性、ブランシュとレアは対照的なキャラクターとして描かれ、レアは情熱的で欲望に忠実な女性だけど、素顔のソフィーは恋愛については古風なフランス女の伝統を引き継いでいる、と自己分析しているのが面白く、フランス女としてのプライドが端々に垣間見えて興味深い。


例えば、林真理子が「アメリカ女は自分が食べたいものを主張して、割り勘で食べたいものを食べる」と言えば、ソフィーは「アメリカ女というのは、がまんできない」と笑い、「歴史の浅い国だから価値観が非常に違う」と説明する。男性が女性を手厚くする、ギャラン、騎士道のようなそれはフランス女にとっては普通で、「私を追いかけている男と一緒に出かけて、私が自分の食事代を払ったとしたら、うちの母は、驚いて目を丸くして、もう立ち上がれないでしょう」「男性が女性のためにドアをあけてくれなかったならば、その男は非常にしつけが悪く育った男」「男性が車のドアをあけにこないと、車の中に座り続けます。車のから出ません」女性が解放され仕事においては対等になりつつあっても、それとこれとは話が別。矛盾しているとはわかっているけれども。とのこと。この芯の強さよ…。


「友だちの恋人」の脚本は時間をかけて書かれており、女優たちも議論に参加したのだとか。2人の対比については「レアの場合には、自分で選んで、その後選ばせる。しかし、ブランシュの場合には逆で、選ばせておいて、後で自分で選ぶという。2人は逆ですね。」


以上メモ。どちらかというと自分はレアに近いと思って観ていたのだけど、ブランシュが木漏れ日を浴びながら涙する場面は何度観ても美しく、それはレアにはないかもしれない美しさだと思う。

2016-06-07

1987

 
 
東大本郷キャンパスの紫陽花。先週、紫陽花はさほど目につかなかったのに、1週間のうちに梅雨入りが高らかに宣言されたから、梅雨?うちらの季節ですが?と一気に主張しはじめたみたい。紫陽花って曇天の下、葉の上に雨粒が残る、ちょうどこんな日に観るのが似合う花。
 
 
繁忙期が明け、ロメール特集に復帰。土曜夜「レネットとミラベル 四つの冒険」(やっぱりこの映画は特別に好き!)、今夜は「友だちの恋人」を観た。ファッションを見ながら、この2つの映画は制作年が近いのではないか…と思っていたら、どちらも1987年。オーバーサイズのシルエットにメンズライクな革靴やスニーカー、最近の流行は確実にこの時代のリバイバルの気配がするなぁ…ということは、どちらの映画にも登場した肩パッドのしっかり入ったジャケットもそのうちリバイバルするのだろうか…。
 
 
ロメール映画、フランス女性たちのナチュラルなファッションに注目されたりもするけど、時々ギョッとするぐらい80年代!なキャラクターも登場する。「レネットとミラベル 四つの冒険」のスーパーマーケットで万引きする女性のファッションやメイクはなんだか異形だし、とりわけ「緑の光線(1985年)」、主人公デルフィーヌがやさぐれながらパリに戻った時、信号待ちか何かで話しかけてくるナンパ男は、レスリングの選手のような、それはいったいどこを見せてどこを隠しているの?と問いただしたくなる謎の露出のタンクトップ、しかも…メッシュ素材!目の粗いメッシュ素材!もう、いっそ裸になったほうが潔いのでは?というタンクトップに80年代真っ只中シルエットのジーンズで、ひゃー!いくら当時の流行だとしても、どれだけ1人でやさぐれていても、こんなメッシュのタンクトップ着た男に声かけたられたらデルフィーヌじゃなくてもそそくさと逃げるし、うまく巻いて一息ついたところで哀しみがこみ上げてきそう…と、あの偏屈なヒロインに軽く同情する威力のメッシュのタンクトップっぷりであった。
 
 
ロメール特集は金曜まで。あと1本観られるかな。東京では梅雨の入りに終わってしまうけど、梅雨明け、真夏に観られる地方の人がむしろ羨ましい。

 

2016-06-06

骨について、日曜

 
 
散歩圏内に東大があることの幸せは語り尽くせない。四季折々の植物、三四郎池、崩れ落ちそうなクラシカルな建物、早朝から深夜まで誰でも入れて、構内は車の通行もほとんどなく、のんびりできるベンチもたくさんあって。そして無料で入れる魅惑の東京大学総合研究博物館、2年ぶりにリニューアルオープン。「知の回廊」という展示、入ってすぐ目に飛び込んでくるコレクションボックス、様々な研究分野からピックアップされており、ディスプレイも美しい。研究室の雰囲気を再現するため、実際に研究設備を一部見せていたり、収集した研究対象を入れたボックスが重ねられていたり。
 
 
日時を定めて訪問したのは目的があり、週末午後に開催される記念連続講演会、その分野で世界を代表する研究者の方のお話を聴ける。タイトル読むだけで楽しいな。「そろそろペルーに遺跡を堀りに行きますが」など…!
 
 
私の目当ては遠藤秀紀教授による「生きている骨たち」。骨にフェティッシュな興味を抱いていることを「ツィゴイネルワイゼン」の原田芳雄に無意識に感情移入していることで自覚した私だけど、造形の美しさに心奪われていること以外、骨について何を調べたわけでもない。いきなり東大にお邪魔してお話を聴いて大丈夫だろうか…と、一瞬しおしおとしておったのだけど、まったくもって杞憂だった。

 
 
 
なにしろ「骨って、なんだ?」ということから、ご自身の言葉で説明してくださるのだもの。勉学として学ぶと骨の定義は…(図を見せていただいたが忘れた)…と説明した後、ご自身の研究内容について紹介してくださったのだけど、動物を解剖し、骨からその生態について調べることが日常、パンダに7本目の指があることの発見など、様々な研究成果をお持ちの遠藤教授のサイトはこちら。動物の生態は謎だらけで中を開いてみてようやく解ることばかり、開いてみても謎は残るばかりなのだな。遠藤教授はこの世の謎を少しでも解明し、誰にでも伝わる言葉で伝道する使命のため天から降り立った存在のような、生れながらの学者!という印象の方だった。
 
 
 
 

上野にある美術館・博物館群では科学博物館がとりわけ好きで、珍しく並んでまで観た「大哺乳類展」で出会ったパンダの剥製は、科学博物館で勤務されていた頃に遠藤教授が剥製化に携わったそう。解剖の過程の写真も見せていただいた。グロテスクな画像は苦手なほうだけど抵抗なく見られたのは骨が写っていたせいかしら…。

 

教えていただいたことを言語化するのは、専門外すぎる私には難しいことだけど、満席のホール、ここに集う人々はどんな方なのかしら…と、自分のことを棚に上げ考えていると、質疑応答で少しだけ謎は解明された。私大文学部の男子学生さんによる、専攻は文学だが骨に興味があり、どうしたら骨と接する仕事に就けるのか…という人生相談など。教授のお答えは①厳しい道かもしれないが自分のように研究者を志す②骨の美しさを表現するような、写真や彫刻など芸術の道に進む③方向性が違うかもしれないが葬儀屋など…とのことだった。骨格標本を作る仕事をしている方からの質問は、骨と肉を分離させた後、肉の保存が悩まくアドバイスが欲しいという内容で、腐らせないようにとにかく時間との戦いだから、塩の中に肉を埋められるほど大量の塩を準備するといい、という実務的な回答。はー!みなさん、様々な理由でここに集っていらっしゃるのですね。 とにかく教授の語り口がオープンで熱意に溢れており、私のような美しさに魅入られて…というシンプルな動機でもウェルカム!という雰囲気で終始楽しめた。


遠藤教授の講演会は会期中あと2回あり、また東大と文京区のコラボレーションで7月から開催される「骨を見る 骨に見られる」は写真と標本の展示で、まさに私のような造形美としての骨が好き、という人にぴったりの内容だそう。

 
 
理由もなく惹かれる対象こそ、大切に知らなければならない。そこに自分も気づかない嗜好が隠れているのだと思う。2016年、文京区の夏は骨の夏。

 

2016-06-05

Gravity



「インターステラー」に続き、私の好きな宇宙映画を家のスクリーンで友達に見せる会・第2弾は「ゼロ・グラヴィティ」。公開時、ヒルズのスクリーン7で観て→早稲田松竹で2度目を観て→今日で3回目。どんどんスクリーンは小さくなる。


「インターステラー」の前は、相対性理論、ワームホール、観る前に読むべき知識を網羅したサイトのURLを友達に送ったけど、「ゼロ・グラヴィティ」は予習は不要。セリフも少なくてもはや覚えてるぐらいだけど、登場人物を絞り、専門用語も排除して物語をシンプルにするかわりに、演技と視覚効果と音響で進行させる、実に映画らしい映画!と、3度目もやはり胸に迫るものがあった。


「オデッセイ」を観た後も思ったこと。アメリカの宇宙映画、宇宙に取り残された人間を生還させるため中国と協力する描写は、中国の巨大映画マーケットへの目配せなのだろうか。サンドラ・ブロックが最後に乗り込んだ「天宮」内を浮遊して移動する時、ふわふわ漂う卓球のラケットとボールが映るの、観るたびに細かさに笑ってしまう。

2016-06-04

IT CHOOSES YOU

 
 
ミランダ・ジュライ「あなたを選んでくれるもの」読了。怒涛の感動!求めていた本はこれでした(本と手を取り合って飛び跳ねながら)!という読了感が訪れるのではないか、という事前期待には至らず、淡々と読み終わったのは繁忙期の通勤往復で心を整えながら読んでいたせいだろうか。今週の私は他者の物語に巻き込まれすぎませんッ、何故なら片付けるべき仕事が山ほどあるからですッ…という静かな警戒が発動したのかもしれない。
 
 
新たな映画の準備にあたり、脚本は何度も書き直しを迫られ、追い詰められたミランダ・ジュライは現実逃避のネットサーフィンにも辟易とし、ポストに毎週投函される「ペニーセイバー」という無料冊子に目をとめ、私物を売ろうとする現実の人々に電話をかけ、アポをとり、会いに行く。彼らの多くは低所得者で、ミランダ・ジュライの行動範囲外で生活を営んでおり、PCを持っていないか、持っていても活用していない。SNSにもGoogle検索にも存在しない彼らの生々しい存在感に圧倒され、停滞していた映画の準備も予期せぬ方向に動き出す。
 
 
ミランダ・ジュライのようなユニークな人であっても、結婚や出産、人生の残り時間といったことに関して、めぐらせる想像、妄想、取りうる行動、選択肢は無限ではなく、コンサバな数種類に収束していくことが意外だった。そしてどんな本にも読み時はあるもので、半年前の私であればもっとこの本を切実に受け止めたと思う。今年の初め、ふと思い立ちお金にまつわる整理をした。きっかけは今年は真面目に家計簿をつけることにして、新しいサービスに登録してみたら、曖昧に把握していたあれこれが白日に晒され一気に現実のスイッチが入ったことにある。使っていない口座やクレジットカードを解約しながら、現在から未来にかけて何に時間とお金を配分していくか考えた結果、惰性で継続していたいくつかの関係を清算し、繰り返される興味のない誘いには返事すらしないという沈黙の反応を身につけ、インターネットの世界から可能な限り距離を置き、そうして捻出した時間を会いたい人に勇気を出して会いに行き、文章を書き、本を読むことに再配分した。
 
 
そんなステップを経て私が味わっている心境といえば、ミランダ・ジュライの言葉を借りるなら、まさにこういうこと。
 
 
登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ。でも独りだろうと二人だろうと、わたしたちが残酷なまでに多種多様な、回りつづける万華鏡に嵌めこまれたピースであることに変わりはなく、それは最後の最後の瞬間までずっと続いていく。きっとわたしは一時間のうちに何度もそのことを忘れ、思い出し、また思い出すのだろう。思い出すたびにそれは一つの小さな奇跡で、忘れることもまた同じくらい重要だ。だってわたしはわたしの物語を信じていかなければならないのだから。
 
 
最後に登場し、映画製作に大きな石を投じることになったジョーとの出会いもさることながら、さらにその後に登場するジョーの妻・キャロリンが私には魅力的だった。
 
 
ブリジットはキャロリンの写真を撮りながら、なんだか幸せそうに見えますね、と言った。キャロリンは、ええそうよと言い、それからこう言った。「だって不幸な人間でいるのは良くないことだもの。ドロシーがね、いつもそう言うの。わたしのお友だち。ドロシーのことはもう話したわよね。73年間ずっと仲良しなのよ。
 
 
あ、厳密にいえば登場しないドロシーが魅力的なのかもしれない。魅力的な人のまわりには魅力的な人が集まるということかもしれない。けれど彼女たちだって生身で触れ合ってみればそれなりのグロテスクさも備えていることだろう。しかし「だって不幸な人間でいるのは良くないことだもの」、なんてシンプルで力強い真理であろうか…。
 
 
見知らぬ人々と出会い続ける過程を経て出来上がった映画「ザ・フューチャー」は東京での公開初日に観たのだけど、数年前のことで細部を忘れているから、再見しなければ。あの映画の裏側にこんな苦悩と心身の移動距離があるとは思いもよらなかった。ミランダ・ジュライの表現はもっと息を吸って吐くようにのびのびと彼女が選ばれし存在であるかのようにこの世に生み出されていると勝手に考えていた。他者というのは、まったくもって謎の塊だと改めて思う。

2016-06-03

2016/6/3

 
 
今週は何気に繁忙の週で、いつもと場所を変えて青山一丁目に通っていたのだけど、表参道から1駅しか離れておらず、どちらの地名も等しく洒落た気配を漂わせながら、青山一丁目は意外なほどビジネス仕様で、表参道と比較すると、わ!半端な丈のパンツとかやたら構築的な洋服着てる人が皆無!わ、ランチの値段も200円ほど安い!わ、食事してたら周りの席が肩からセキュリティカードさげた白シャツのおじさまばっかり!と、完全に堅気の街だった。近場の国に留学したみたいで、気分転換に最適な数日間だった。
 
 
FAKEの初日が気になるけど、ロメール特集が最終週のためロメール優先シフトで。シネヴィヴァンが発行していたパンフレットはオークションなどでコツコツ集めている。シナリオが載っているのでセリフを思い出すのに便利。

 

2016-06-02

TIME AND PLACE ARE NONSENSE

 
 
LAからのお土産でいただいた、あちらで発売された鈴木清順本。清順映画の個性やバイオグラフィーも網羅し充実の内容、デザインもスタイリッシュで映画好きなら一家に一冊系の本。TIME AND PLACE ARE NONSENSEというタイトルが、清順映画の不条理、粋、モダーンな特徴を異なる言語で短く表現できていて、いいタイトルだなぁ…タイトルをつける才能の欠如した私は軽く嫉妬した。
 
 
そして未見なのだけど、タイトルが美しくて気になっていた「悲愁物語」のあらすじを教えてもらって俄然観たくなっている。
 
 
「製作も務めた梶原一騎による原案を、大和屋竺が脚本化し鈴木清順が監督。日活を解雇された鈴木が十年ぶりにメガホンをとった作品だったが、公開後わずか二週間足らずで打ち切りとなってしまった。  日栄レーヨンが自社のイメージモデルとして、若くて美しい女子プロゴルファーの桜庭れい子を起用。コーディネーターの田所は、雑誌「パワーゴルフ」編集長の三宅とコーチの高木の協力を得て、れい子を全日本女子プロゴルフ選手権優勝に導く。れい子は一躍スターダムにのし上がり、日栄レーヨンと専属タレント契約を結んだ。大金を手に入れたれい子は豪邸を購入し弟と同居し、近所の主婦たちの羨望の的となるが、やがて憧れは嫉妬に変わっていき…。」
 
 
爽やかスポーツ選手の栄光と挫折…なんて清順映画でそんなのあるはずもなく、文字を追ってるだけで珍品の香りしかしない。次にかかることがあれば見逃さないようにしなければ。珍品といえば今年観た中で最もポカーンとしたのはジョニー・トー「柔道龍虎房」で、黒澤明「姿三四郎」へのオマージュと言うべき柔道映画なのだけど、同時に落ちこぼれたちの青春映画でもあり、普段のジョニー・トーなら銃撃戦になるところが柔道に置換されていて終始ポカーンとした。スポーツ映画、珍品が多いジャンルなのかも。「悲愁映画」のあらすじをようやく知ったばかりで決めつけるのは早計だけれど。

 

2016-06-01

2016/6/1

 
 
 
去年の北京。友達の車から観た建築群。北京は凝った建築の見本市で、SF映画の未来都市みたいだったな。このビルは龍の頭の形、隣に低いビルがいくつか並び龍の体のようで、水が波打ったようなデザインのオリンピック水泳競技会場も視界に含めてみると、水辺から龍が頭だけ出してるように見えた。
 
 
引き続き「ハッピーアワー」について思い返し、LAから来た友達は東京滞在が48時間にも満たない短さなのに、そのうち6時間をスパッとあの映画に捧げて、さすがに映画猛者であったなぁ。時間の長さから勧めるのを一瞬躊躇ったけど、他の選択肢がロメールやトラック野郎で、それよりは日本のインディーズこそ東京以外で観るのは難しく、東京ならではの映画ではないか、と思ったのだった。
 
 
去年観た日本映画で良かったものはどれも慎ましく公開されたインディーズで、ソフト化されないものも多く、周りの人に話してみて興味を持たれたとしても観る方法が極めて限られている。「ハッピーアワー」と並び去年BEST5に挙げた「息を殺して」、パリのシテマテークで1度だけ上映される情報は掴んだけど、日時をメモし忘れているうちに気がつけば上映は終わり、パリの友人たちに勧め損ねた。あの映画がシネマテークでかかるなんて!と上映を想像して、遠く東京から勝手にドキドキしていたのだけど。
 
 
最近は古い映画はしばらくいいかな、という気分でおり、蓋を開けてみるとまったく受け付けないかもしれない、という危険もひっくるめて新しい映画を観たい。「ヒメアノ〜ル」が気になってるのだけど…とりあえず観に行ってみようかな。